第6話
「それでは、兄さん。また放課後に」
「ああ、そうだな。お互い授業頑張ろうな」
「…?」
「あ、そ、そうじゃなくて……ふ、ふん!1分
でも遅れたら承知しないからな?」
「はぁ」
「な、なんだよ…」
「…なんでもありません」
首を傾げながらも円香が一年の校舎へと向かって歩いていった。
ふぅ、と俺はため息を吐く。
円香があまりに健気で可愛すぎて、ついつい月城真琴としての振る舞い方を忘れそうになる。
気をつけなければと俺は自分に言い聞かせて、剣道部の道場へと向かった。
月城真琴は、椚ヶ丘高校の剣道部に所属しているからだ。
基本的に面倒くさがりな月城真琴がどうして
剣道部に所属しているからかというと、それはもちろん日比谷倫太郎がいるからだった。
日比谷に対して対抗意識が強い月城は、日比谷倫太郎に負けたくないからというそれだけの理由で剣道部に入ったのだ。
だが、もともと剣道がやりたかったわけではないので、当然練習態度は不真面目だ。
おまけに後輩部員たちを必要以上にこき使ったり、先輩風吹かせてパワハラめいた言動を繰り返しているため、当然の如く嫌われている。
反対に日比谷の方は、2年でありながら一年をこきつかったりせずに、練習態度も真面目ということで、後輩部員からも人気で、女子部員たちからも慕われたり好意を向けられたりしている。
だが当の日比谷はその好意に鈍感だったりして、ギャルゲーの主人公ここに極まれりと言った感じだ。
いつもは朝練などには参加しない月城だが、どうせホームルームまで時間があるし、俺は朝練に出てみようという気になった。
なるべく椚ヶ丘高校の施設を自分の目で見ておきたいという目的もあった。
「あ、お、おはようございます…!月城先輩…!」
「お、おはようございます、月城先輩…!」
「お疲れ様です月城先輩っ…!」
道場に入ると、俺の姿を認めた後輩部員たちが挨拶をしてきた。
どうやらすでに朝練を終えて、道場の床拭きをしている最中のようだった。
後輩部員たちは、時間もあまりないだろうに、俺の姿を見て掃除の手を止め、ビクビクしながら様子を伺ってくる。
俺はそんな彼らが気の毒になり、バケツの中から雑巾を取って言った。
「お前ら掃除のやり方が下手くそなんだよ!」
「え…先輩?」
「いいか、掃除ってのはこうやってやるんだ、よく見てろ!!」
そう言って俺は道場の床に一気に雑巾掛けをやる。
「何してる!?俺を見習ってやれ…!!」
「「は、はい…!」」
呆気にとられた後輩部員たちが、俺に続いて雑巾掛けをする。
俺たちはなんとか道場の掃除と竹刀などの手入れを時間内に終わらせることができた。
「ふぅ…疲れたな」
「せ、先輩…一体どうして…」
「何がだ?」
「だって……い、今まで先輩が掃除をしたことなんて…」
「あ?お前らの掃除のやり方が見てられなかっただけだぞ?勘違いすんな?」
「は、はぃい!」
「それより、今日は日比谷はどうしたんだ?」
俺は道場を見渡しながら言った。
いつもそこにあるはずの男の姿がなかったからだ。
「え、えっと……日比谷先輩は、今日は来ていないみたいです…」
「…そうなのか?」
「はい。俺たちずっとここにいましたけど、日比谷先輩は来ませんでした」
「…マジか」
日比谷が朝練をサボるなんてそんなことがあるのだろうか。
真面目な日比谷は、毎日欠かさず朝練をしていたはずなのだが、一体どういうことなのだろう。
「まぁいい。日比谷の顔なんてなるべくなら見たくないからな。それよりお前ら、さっさと掃除道具片付けてこい。授業に遅刻してもいいのか?」
「そ、そうですね…!」
「わ、わかりました…!」
俺は一旦日比谷のことはおいておいて、何やら奇異の視線をこちらに送ってくる後輩たちにそんな指示を出したのだった。
「兄さん……これ、お弁当です」
「いつも悪いな、円香」
「え…」
「ち、違った…えっと、お、遅いんだよ!いつまで待たせる気だ…!」
「…すみません」
お昼休み。
いつものように弁当を届けにきた円香に、俺は思わず快い笑顔と共に感謝を述べてしまった。
首を傾げる円香に慌てて俺は荒っぽい態度をとる。
円香の訝しむような視線を横目に、俺は風呂敷をほどして弁当を食べ始めた。
「どうですか、兄さん」
「美味しいぞ、円香」
「え…」
「じゃなかった。まずい…!大して美味しくない…!こんなのを俺に食わせるとか、俺を舐めてるのか?」
「舐めてないです。すみません兄さん」
「…っ」
円香がしゅんとする。
俺は心の中で円香すまんと謝りながら、円香の弁当を口にする。
「ひでぇよな」
「あんな可愛い妹の手作り弁当、何が不満なんだ」
「円香ちゃん、可哀想」
「健気だよなぁ、毎日あんな兄貴に弁当作ってきて」
周囲の生徒から円香に同情するような声が漏れる。
俺とて円香に美味しいと言ってやりたい。
可愛い妹の円香に思いっきり優しくして甘やかしたい。
けどできない。
それだと月城真琴というキャラクターの取るべき行動から大きく逸れることになる。
俺が月城真琴というキャラクターに割り当てられた役割を忘れて好き勝手に行動したら、この世界にどんな影響が出るのか分かったものじゃない。
もし魔術大戦がコントロール不可能なものになったら、それこそこの街が滅びかねない。
魔術大戦には、月城真琴なんて目じゃないくらいの悪役魔術師が多数参加してくる。
俺がシナリオをぶっ壊したばっかりに、日比谷じゃなくてそんな連中にもし魔術王の座が渡れば、取り返しのつかないことになる。
だから基本的に俺は、魔術大戦において、日比谷を勝たせるつもりでいた。
馬鹿みたいに他人の身ばかり案じている日比谷が魔術王になれば、悲惨な結果にはなるまい。
基本路線は、シナリオを極力改変せずに、魔術大戦で日比谷を勝たせる。
その上で、俺は日比谷とあまり敵対せず、周りの反感を買うことなく、円香と共に生き延びて破滅の未来を回避する。
そんな難しい舵取りが要求とされる。
だから、現時点で月城真琴の振る舞いからあまり逸脱した行動を取れないのが、なんとももどかしい。
周りの避難するような視線に耐えながら、俺は円香の作った弁当にまずいまずいと言い続けた。
「…円香?お前気分でも悪いのか?」
「え…」
「別にお前を心配しているわけじゃないから勘違いするな?ただ、いつもと様子が違うと思ってな。ほら、お前が授業中に倒れられたりしたら、兄である俺がお前を連れて帰らなきゃいけないだろ?そういうのは面倒なんだよ。だから気分が悪いなら、あらかじめ言えってそういうことだ」
なんだかいつもよりも円香に元気がないような気がした俺は、心配している感じを隠しながら、探りを入れてみた。
今朝は円香の表情が、どこか暗い気がしていたからだ。
俺にまずいまずいと手作り弁当を貶されたからというのもあるだろうが、それだけでここまで暗い表情になるだろうか。
俺が円香に暴言を吐くのはいつものことで、円香はそれだけでここまで落ち込んだりはしないはずだった。
「先輩が……お弁当を受け取ってくれなかったんです」
「え…」
円香が肩を落として俯きながらいった。
「日比谷先輩が……もう弁当は作ってこなくていいって。あんまり美味しくないからって」
「…日比谷が?冗談だろ?」
思わず聞き返してしまった。
日比谷のことが好きな円香は、俺だけではなく日比谷にも毎日弁当を作って届けていた。
円香の料理の腕は、正直あまり上手ではない。
いわゆるメシマズヒロインとまではいかない
が、味付けが独特で人を選ぶメニューばかり作っている。
本人はそれでも一生懸命なのだが、兄の月城はいつも円香に対してまずいまずいと暴言を吐いていた。
そして料理上手という設定の日比谷からしたら、円香の弁当は美味しくない部類に入るだろう。
それでも優しい日比谷は、円香の弁当をありがたがって、決してまずいとは口にせず、毎日食べていたはずだった。
「あいつが本当にそう言ったのか?お前の弁当をもう食べないって?」
「…はい」
「何考えてんだあいつ」
「え…」
「あ、いや……なんでもない…」
思わず声に怒りが滲んでしまった。
あいつ一体何を考えているんだ?
そりゃ、円香の弁当は料理上手のあいつからしたら不味いだろう。
だが、そこは主人公として不味くても美味しいと言って食べてやるべきだろう。
俺の知っている『魔術大戦』主人公の日比谷倫太郎なら、弁当をわざわざ早起きして作ってくれた円香に対してあまり美味しくないなんて絶対に言わないはずだ。
「いいんです。私の料理の腕が上達しないから、悪いんです…グス」
「…」
円香は泣いていた。
制服の裾で涙を拭っている。
「うわぁ」
「マジかよ」
「最低…」
「クソ野郎じゃねーか…」
俺が円香を泣かしたと勘違いしたクラスメイトからの氷のように冷たい視線が俺に突き刺さる。
「ごめんなさい兄さん。取り乱して。放課後、校門の前で待ってます」
円香はそう言って教室をさっていった。
「…」
後に残された俺は、気まずい空気の中、円香が作ってくれた弁当を完食したのだった。
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