一寸先は霧
丑三つ時。
赤く滴り落ちるソレは変化のないその景色を一瞬にして赤く染め上げた。
赤く染まって行く視界に、思わず転移陣を幻視した。
バステカ一行が目を開けると、そこは奥に行くに連れ深い霧に包まれている……奇妙な河原に立っていた。
「あ、宝の地図じゃねえか?」
足元にはもはや恒例となった宝の地図と積み上げられた石のコインが積み上げられていた。
深めに切ってしまった指の止血を行いながらレイシーは口を開いた。
「これ……賽の河原ってやふじゃにゃい?」
「喋るか止血するかどっちかにせんか」
「あたし知ってるわ!賽の河原ってやつよ!」
少し悩んで喋ることにしたレイシーはドヤ顔で宣言した。
しかし二人の反応は乏しかった。
「ここは地上と違ってダンジョンだからなぁ……とりあえずいつもの確認しようぜ」
「そうだな」
一行は積み上げられた石のコインを崩さないように回り込む。
そして裏面の左下に記されたヒントを読んだ。
「霧の川が流れる河原で、10枚の石貨を持って川を進みなさい。途中貴女は選択を何度か強いられるだろう。その度に石貨を払い進みなさい。対岸では石貨はチリとなり、貴女は後悔するだろう」
これまでのものより長く複雑なヒントだった。実際レイシーは反芻してその意味を考えていた。
しかしアンゼとバステカは読み終わるや否や口を揃えて言った。
「「行くか」」
その手には10枚の石のコイン。我先にと取り合った結果辺りにはいくつかの倒されて背の縮んだ石の塔があった。
「ちょっと二人ともはやくない!?置いてかないでよ!」
やっとのことでレイシーが石のコインを集め始めた頃には、二人は既に霧の川に足を踏み入れていた。
もたつくレイシーからの抗議にバステカは楽しそうな笑みを浮かべ振り返った。
「一番最初にこの川抜けたやつの勝ちな!」
そう言い残すと一目散に川へと駆け出した。一瞬遅れてアンゼも動き出した。
「それはフライングだろう!」
まるで川遊びでもするかのように、二人は無邪気に霧の中に消えて行った。
誰もいなくなった河原で一人、レイシーはごちた。
「なんでみんな置いていくのよ……」
それは耳を傾けていなければあっという間に霧散してしまう小さな声。
集めた10枚の石のコインを持って走り出すレイシーは、思わず漏れ出た不満を自らの大声で掻き消した。
「待ちなさーい!!フライング共〜!!!」
霧の中に消えていくその背中は、いつもより少し小さく見えた。
「なん……っでこんなに……っ!おもいの……よっ!」
周回遅れで勢いよくスタートしたはいいものの、想定外の霧の重さに苦労していた。
まるで本物の川のように進めば進むほど、霧が濃くなれば濃くなるほど体は重くなっていく。
目の前は深い霧で見えず、立ち止まれば一瞬にして方向感覚を失うだろう。
それでも足を前に出すたび、身体を捻るたび、体と共に気持ちはどんどんと沈んでゆく。
さっきの山下りが肉体と精神を7対3で削るものだとするならば、こっちは精神的に10削ってくる様だった。
突然、目の前の霧が一部晴れ、空中に文字を作り出した。
ポッカリと空いた穴は『愛』と『金』の二文字に別れていた。
「は、はぁ……?これが、問題……?」
突然の出題に戸惑いつつも、レイシーは後を考えて2枚の石のコインを『愛』へと投げ入れた。
「行儀悪いけど……これで、許してちょうだい…………」
すると『金』の文字が霧に呑まれ、『愛』があった方向の霧が少し晴れていた。
ほんの一時とはいえ、重い霧の中を進まなくていいことに安堵した。
悠々と霧のない道を歩いていると、目の前にまた濃く深い霧がかかり始めた。
そして再び一部の霧が晴れると、今度は『力』と『名声』の形に穴を開けた。
「名声なんて別に──」
その時、レイシーの頭にはおじいちゃんの顔がよぎった。
名声があればおじいちゃんを見つける目印になる。
「……絶妙にいや〜な感じのする出題ね」
額に冷や汗を浮かべながらレイシーは3枚の石のコインを投げ入れた。
「……なるほどそういうことね」
名声を選んだ先はさっきよりも長く霧が晴れていた。
支払った石のコインの数に応じて霧が晴れる距離が変わるのだとレイシーは推測した。
仕組みがわかれば楽を出来る。
無駄に重い霧は、問題毎に適切な枚数のコインを支払わせるためのもの。
これまでの情報からそう結論付けた。
「つくづく性格の悪い質問ね……」
レイシーは目の前に浮かぶ『思い出』と『今』の形に空いた穴を恨めしそうに睨みつけていた。
「そんなもの思い出にきまっ──」
この時、レイシーの頭には二つの情景が浮かんでいた。
一つはやさしい声でやさしい表情で冒険譚を語るおじいちゃんの姿。
もう一つはあたしの鼻水を巡ってなすり付け合いをしている二人の姿。
どちらもレイシーにとっては大事なものとなっていた。
「……ごめん、みんな」
レイシーは3枚の石のコインを『思い出』に投げ入れた。
霧が晴れたにもかかわらず重い体を引き摺る。
意外にもその体は……対岸に辿り着いていた。
「あっ……」
手元にある石のコインがチリとなって消えた時、レイシーは異変に気付いた。
目の前にはいくつかの背の低い石の塔。誰かが掃除したのか石のコインが一つも落ちていない河原。
そこは最初の河原だった。
「うそっ……そんなのってないじゃない……」
振り出し。
その言葉は既に霧の重さを、質問のいやらしさを知ってしまっているレイシーには重く苦しいものだった。
しかし、二の足を踏んでいれば気付くこともあった。
二人ともいないのだ。
「負けてやらないわよ」
こどもじみた取り決め。今はそれが再び足を踏み出すキッカケとなった。
問題は全部で3問。10枚使い切らなくてはダメ。払ったコインの枚数に応じて霧が晴れる距離が伸びる。
大丈夫、次は抜けれる。
深くなる霧も重くなる体も気にせず進む、終わりが見えればなんだってことはなかった。
再び目の前に『愛』と『金』の二文字の穴が空く。
「愛!」
迷わず5枚のコインを投げ込んだ。霧が一気に晴れる。
ここまで来れば後は歩くだけ。
そう思っていたのに……
「ほんっとに悪趣味だわ!」
目の前には『仲間』と『自分』がぽっかりと宙に浮いていた。
まるで自分から大切な何かが削ぎ落とされていかれるような感覚を覚えながらコインを4枚投げ入れた。
『金』『力』『今』『金』『自分』。
彼女は落っことした言葉を拾い集めていた。そのどれもを慈しむように。
『金』、彼女にとってそれは苦い思い出だけじゃなかった。
商人を始めた頃、まだ幼かった彼女にとってお金とはキラキラしていて綺麗なものだった。
商いが上手くいくと増えて嬉しくなったし、上手くいかない時は減って悲しくなった。
彼女の心の中にある大事な1ページだ。
『力』、それは冒険譚を目を輝かせて聞いていた彼女にとって憧れのものだった。
幼いながらにおじいちゃんに稽古をつけてもらい、軽く払いのけられては頬を膨らませ、アイスを買ってもらっていた。
幸せが詰まった大事な1ページだ。
『今』、5日前なら拾いもしないその言葉。
彼女を連れ出した訳のわからない二人組は、彼女に今を楽しむことの素晴らしさを教えた。
誰かに甘えることの大切さを教えた。
信じて突っ込むバカさを教えた。
最も新しい1ページだ。
『金』、それは彼女にとっての半生だった。
幼いころはわからなかったお金も、大きくなるに連れてその意味を知った。
キラキラした綺麗なものは信頼の象徴と知り、お金の増減は血と涙の記憶と知った。
彼女を支える1ページだった。
『自分』、それは…………なんだっけ?
彼女が未だ開いたことのない最初の1ページだった。
レイシーは三つ目の問題に1枚のコインを投げ入れ、霧を抜けた。
「なん、で……?」
振り出しへと帰ってきていた。
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