第8話 墓場

 南さんが働いてる店、つまり綺麗なお姉さんがいるところか。

 

「今は店を開けられなくてね。だからといって国が補填してくれるわけでもない……夜職は不安定なんだよね」

 

 俺は両手でココアの缶を握りしめながら、実家の猫を想う。

 

 ベランダでタバコを吸っていた父が完全にタバコを辞めたのは、猫のココアのためだった。

 

 南さんも猫が嫌うタバコを吸わないものの、たまに衣服からタバコの匂いがすることがあった。

 

 職場で匂いがついてしまったのだろう。

 

「コロナが明けるまではどうするんですか?」

 

「そうだな、転売ヤーでもやってみるかなー」

 

 俺が黙っていると南さんは笑った。

 

「冗談! 俺は人の道に背くようなことはしないから」

 

 

 当初7都道府県を対象に出された緊急事態宣言は、すぐに全国に広がった。

 

 俺の仕事には特に弊害はない。コロナ前は20時閉店だったのが18時になったくらいだろう。

 

 客足は多少鈍っていたものの、そもそもこの時代にCDショップに来る人など限られている。

 

 わざわざ店に足を運ばなくてもスマホ一台あれば事足りるからだ。

 

 

 南さんは暇を持て余すわけでもなく、毎日熱心にパソコンのキーボードを叩いていた。

 

 

 そして1ヶ月半後、緊急事態宣言が解除される。

 

 

「あのう……俺はどんな服を着ていけばいいんですか?」

 

 大人の社交場となるとスーツなど着なければならないだろう。

 

「りくさん、そんなかしこまらなくていいよ。普段着で大丈夫、今着てるバンTとか」

 

 台所のカウンター越しに南さんが答えた。

 

 二人で外に出るとすでに、南さんが配車アプリで手配したタクシーが来ていた。

 

「今日だけ特別ね」

 

 タクシーの中は、母の運転していた車とは違う匂いがする。ウレタンだろうか。

 

 

 ほどなくタクシーは歌舞伎町に着き、南さんが俺をエスコートするように扉をあける。

 

 眠らない街、歌舞伎町。南さんに誘導されて、俺は一番街に入る。

 

 田舎者だと思われないように気をつけていたが、やはり見慣れないネオンの光が気になってしまう。

 

 目だけキョロキョロさせている俺に気づいているだろうが、南さんはからかったりすることもなく歩いて行く。

 

 

 やがて南さんは煌びやかな建物の前で止まった。看板にはK'S LIEと書かれている。

 

「いらっしゃいませ!」

 

 半分仕事モード、半分ちゃかした声を出す南さんに軽く会釈をし、店内にはいる。

 

 店を入ると細い通路があり、進むにつれて照明が暗くなっていく。ドアを足一歩分開けると室内から音楽が聞こえてきた。

 

「りくさんはトランスミュージックには興味ないと思うけど、この曲わかるかな?」

 

「Sandstorm!」

 

 俺の答えは完璧だった。

 

 南さんは笑いをこらえながら、人一人入れるくらいドアを開ける。

 

 

 

 そこに広がる世界は、一言で言うと「異様」だった。

 

 店内にいた客は10数人ほどだろうか、背広を着たサラリーマン風の男性ばかりだ。

 

 ピンクのソファに座った彼らの膝の上に、赤やブルーのベビードールにガーターベルトを身につけた若い女性たちがまたがっていた。

 

 一瞬事態を飲み込めなかった俺だったが、次第に南さんの言う「大人の社交場」の意味を理解し始める。

 

 それにしてもなぜ皆、こんなに堂々と。

 

 部屋の右端に目をやると、中年男性が自分の娘ほどの年頃の女性の胸を貪っているのが見えた。

 

 

 突然、切り裂かれたような痛みが頭の中を走り、俺はうづくまる。

 

 早くここから逃げ出さないと。

 

 

 え! と言いたげな南さんを振り切って俺は外に出た。

 

 痛みにさらに痛みを重ねるよう、両耳にイヤホンをつけ、スマホの音量を最大限にした。

 

 

 泣きそうになりながら、着ていたAs I Lay DyingのTシャツをひっぱり、両手でイヤホンを押さえ、My Own Graveを流す。

 

 

 俺はまるで死体のよう。だが横たわるには街の光が眩しすぎた。

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