第7話 重圧
南さんから勧められてCDショップで働くことになる。
この頃から俺は髪を伸ばすのをやめた。
伸ばしていた髪を耳のあたりで切り、元々の茶髪に緩めのウェーブをかける。
また音楽関係の仕事につけるのはありがたい。
好きな曲を流せる職場なんてそうそうないだろう。
とはいうものの俺にはまだアルバムを選ぶ権利などあるはずもなく、職場の先輩が流す曲を右から左へと聞き流すだけだが。
客層は多岐にわたるが、大手のCDショップと違ってジャンルごとに分けられるほどフロアはない。一階に全てのジャンルのCDが並ぶ。
だから無難な曲、俺にはどれも似たように聴こえる曲が流れているわけだ。
南さんのマンションとCDショップ、そして音楽スタジオを行き来する日々。
なかなかバンドを組めないことに俺は焦りを感じ始めていた。
メンバー募集を見るとたいていギターとボーカルは決まっている。
ギターはロックの花形だ。やりたいやつはやまほどいる。
目立ちたいやつはボーカルを選ぶだろう。歌ってるとき以外は何もすることがないくせに。
変わってるやつはベースだ。パッと見ギターとベースの違いが分からない人は多い。そんな人々を想像してニヤけるのがベーシストだ。
淡々とリズムを刻むのがドラマーの役割だが、稀に何分もドラムソロを演るやつがいる。そういうドラマーはやたら脱ぎたがる。
南さんと顔を合わせることはあまりないが、無機質なコンクリート丸出しのマンションには奇妙な居心地のよさがあった。
このまま何も変わらないまま、ただ時間だけが流れていくのだろうか。
だが世の中はそう平和ではなかった。コロナという疫病が大流行し、緊急事態宣言が発令されたのである。
その日から南さんはマンションにいる時間が長くなった。半分失業したようなものだと笑う。
改めて考えると、俺は南さんの職業を知らない。あのときは上京するのに必死で、居候させてもらえるのなら誰でもよかったからだ。
「仕事? ボーイだよ」
南さんがテレビのニュースを見ながら答える。
世間知らずな俺が困っていると、南さんはいったん俺の方を振り返る。
「綺麗なお姉さんがいる大人の社交場だよ。そこで働いてる」
なるほど。南さんがほとんど家にいないのは、俺が昼間働いてる間は家にいて、俺が帰宅する前に出勤していたからか。
「仕事は楽しいですか?」
マンション下にある自販機で買った缶コーヒーを差し出しながら聞く。
「んー、楽しいというか……人を楽しませる仕事なんだよ」
缶コーヒーを受け取った南さんが答える。そして俺の手元を見て笑った。
「ちょ! ココア飲むの? りくさんはお子ちゃまだなー」
俺は単にココアが好きなんだよと思いつつ、話を合わせる。
「コーヒーは苦手なので」
「ずばり聞くけど。というか当たってると思うんだけど」
「りくさんて童貞でしょ」
突然そんな話になると思っていなかった俺は、うまい言葉が見つからなかった。
「そういうわけじゃないですよ」
「仕事柄分かっちゃうんだよね。彼女もいなそうだし」
「特定の彼女がいないだけですね」
これは音楽スタジオで一緒に働いていた先輩の受け売りだ。
「じゃあ、初体験はいつ?」
なんて不躾な人だろう。これが職場だったら同性セクハラで訴えるところだ。
再びテレビのニュースに目をやりながら、南さんがつぶやくように言った。
「コロナあけたら、俺が働いてる店にきなよ。もちろん俺のおごりで」
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