第3話 半信と半疑

「いや……いや……来ないで!!」


「あはははっ!! もう遅いよ!!」


 私は床にへたり込んだまま必死に泣き叫び、四条さんは狂ったように笑っていた。

 そして、鞄の中からさらに何種類もの鋏を取り出し、鼻歌を奏でながら美術の作業台の上に広げていく。


「準備するから、もうちょっと待っててね♪」


「へ……」


 四条さんはとても嬉しそうににっこりと笑い、私は間の抜けた声を漏らした。

 理解が追いつかず私が固まっている間に、四条さんは隣接する美術準備室に消えていき、しばらくして、新聞紙、大きな白い布、卓上鏡を持って戻ってきた。

 いずれも美術の授業で使うもので、美術室の備品であった。

 四条さんは作業台の上に卓上鏡を置き、床に新聞紙をひろげてその上に椅子を置く。


「さ、ここに座って」


 四条さんは白い布を手にかけ、優雅な動きで恭しく礼をした。

 その姿はまるで、王族お抱えの宮廷美容師のようであった。


 私がその姿に見とれていると、四条さんは「もう、早く座ってよ〜」と急かしてくる。

 恐る恐る椅子に座ると、用意されていた白い布をかけられ、首の後ろで結ばれた。

 専用の布ではないのでやや不格好だが、美容院でかけれる布と同じようになっている。


 私は思った。


 イジメにしては無駄に本格的だな……

 ただぐちゃぐちゃに切るだけなら、こんな回りくどいことはせずに、床の上でそのまま切ればいいのに……

 いや、でも結局イジメには違いない……

 こんなの、四条さんにとってはただの戯れの演出だ……

 この後、私の髪は乱暴に切り裂かれて、ひどい姿にされるんだ……


 白い布の中で、私は自分の体を抱き、屈辱と恐怖に震えた。


「さあ、どんな風にされたい?」


 四条さんは、またあの悪そうな笑みを浮かべ、震える私に……

 ファッション誌のヘアカットの特集ページを広げて見せてきた。


「今、手元にこれしかなかったんだけど、最近のメジャーどころは押さえてると思う。私的には、この辺が森田に似合うんじゃないかなーって思ってたんだけど……あ、でもこういう系もかわいいかも……あ、こっちもいい……うーん、いざとなると迷うね〜♪」


 とても嬉しそうにページをめくっていく四条さんに、私は恐る恐る聞いた。


「もしかして……ちゃんと切ってくれるの?」


 その問いに四条さんは「う〜ん」と唸る。


「いや、『ちゃんと』って言われると厳しいな……森田からどこら辺まで『ちゃんと』って認めてもらえるか……私、お母さんが美容師で、私も美容師目指してるんだけど、まだ家族とか、友達とか十何人か切ったことがある程度だから……」


 待て待て待て待て……

 話が全然変わってきたぞ……

 何、何、美容師……

 いや、それ私が想像してたのに比べたらたぶん十分『ちゃんと』だから……


 よく見ると、作業台に広げられた鋏はどれも理髪用と思われ、刃先がきちんとケースに収められている。


 本当に美容師目指してるのかな……


 私はため息をついた。

 恐怖で固くなっていた体から緊張が消えて、全身が一気に脱力する。


 まだ半信半疑だけど……

 信じてみるか……


 そこで私は差し出されたヘアカットの特集ページに目を落とす。


 どれも可愛らしい。

 だがそれは、モデルの容姿の要素が多分にある。

 どんな可愛い髪型を選んだって、私がこのモデルたちみたいに可愛くなることなんかない……


「わたし……こういうの全然わからないから……四条さんに任せるよ……」


 私は投げやりにそう言った。

 どうせさっきまで滅茶苦茶にされると思っていたのだ。

 四条さんの好きなようにしてもらえばいい。


「そう言われると、それもそれで困るけど……ま、でもいいわ。森田にはとことん私好みの女になってもらうから」


 四条さんはそんな気持ち悪いことを言って、気持ち悪い笑みを浮かべる。


 やっぱり不安だ……


「とりあえず、全体の髪のボリュームを減らすところから始めましょうか」


 そう言って四条さんが手に取ったのは梳き鋏のようだった。


「じゃあ、いくわよ」


 四条さんの手が私の髪を幾つか束ねて掴む。


 手つきがプロっぽい……

 本当に美容師目指してるんだ……


 四条さんの鋏が私の髪を切り裂く音が耳に響く。

 切られた髪が白い布を伝って新聞紙の上に落ちていく。


 不思議な感じ……

 クラスの誰とも関わってない私が、クラスメイトに……

 それも、カーストの女王の四条さんに髪を切ってもらってるなんて……


 サクッ、シャッ、シャッシャッ、というような音が絶え間なく響き、四条さんは手際よくどんどん髪を梳いていく。

 全体の長さは変わらないのに、髪のボリュームが減って頭が軽くなっていく。


「梳きはこんなもんでいいかな……次は長さをどのくらいにするか……」


 そこで四条さんはまたファッション誌を手にとり、ページをめくりながら唸る。


「よし、決めた!!」


 四条さんは再び鋏を持ち、私の髪に手をかける。

 今の私の髪は肩にかかるくらいの長さだったが、四条さんは思い切って、うなじの高さでばっさりと切っていく。


 いきなりこんなに大胆に切られると、さすがに少し胸が苦しくなる。

 私の髪は今、四条さんの手に完全に委ねられている。

 髪は女の命なんていうが、だとしたら私の生殺与奪は四条さんに握られていると言っても過言ではない。

 成り行きと勢いとはいえ、少し自暴自棄が過ぎたかもしれないと今更ながら反省する。


 そんな自戒の念に駆られている私に、四条さんは背後から不意打ちを食らわせてきた。


「ねえ、森田ってさ、いつもあんな絵描いてるの?」


 ぐさっと、自分の心臓が貫かれた音が聞こえた気がした。


 そうだった……

 こうなった発端はあのイラストだった……

 髪を切られたくらいで終わるはずはない……

 やはり私の生殺与奪は四条さんに握られている……


「四条さんには関係ないでしょ……」


 四条さんがこれからどうでてくるかわからないが、とりあえず私は精一杯の抵抗をする。


「いや、ああいう趣味を人に知られるのは恥ずかしいってのはわかるけど、私は仲間だから話してよ」


「仲間?」


「私もああいうの大好き♡」


「BLが?」


「そう。だから、森田のこともっと教えてよ。他にも描いてるんだったら、もっと見せてよ! 私、あのイラスト見て、もう森田のファンになっちゃったんだよ!!」


 四条さんは髪を切る手を止め、私の前に回り込んでキラキラした目で私を見つめてくる。


 四条さんがBL好き……

 四条さんが私のファン……


「信じられないよ……」


 私は無意識にそう口にしていた。


「えー、なんでよ?」


 不満げに口を尖らせる四条さんを、私はキッと睨みつけた。


「四条さん、あの日トイレで私に言ったこと、まさか忘れてないよね?」


 四条さんもあの日のことを覚えていたらしく、びくっと体を震わせて困った顔をする。


「いや……あれは……その……」


「アンタの髪、マジ、ダサい……」


 私はあの日の四条さんの言葉をそのまま口にした。

 自分の口から出てきても、やっぱり心をえぐられる。


「私だったら、とても学校に出てこれないわ……」


 そして、あの片方の口角が吊り上がった残酷な笑顔。


「あの時、私がどれほど傷ついたか、四条さんにはわからないよ……」


 四条さんは何も反論できず、絶句している。


「髪をどんな風に切られても別に構わない……でも、私はやっぱり四条さんのことが信用できない。だから、私の大事な部分には、絶対に踏み込ませない!!」


 そうだ……

 私は二度と騙されない……

 だから、私は誰も信じないんだ……



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