第2話 アレキサンドライトと漆黒の魔女

 私がアイツを強く意識したのは、高校2年の1学期最初の日だった……


 私の名前は四条玲奈。

 都内の公立高校に通う高校2年生だ。

 その日、クラス分けが発表され、1年のときに仲のよかった友達のほとんどが同じクラスになり、私はとてもテンションが上がっていた。

 新しい教室に入り、新しいクラスメイトのほとんどが教室に入って談笑しているなか、最後の最後にアイツが入ってきた。


 身長140cm少々。

 ろくに手入れをしていないボサボサの黒髪で、前髪も長く、目にかかっているほどだった。

 その上に黒縁眼鏡をかけて、俯いているので顔がほとんどわからなかった。

 知らないヤツだった。

 1年のときは別のクラスだったのだろうが、それにしたって「こんなヤツ、同じ学年にいたっけ?」と思ってしまった。

 ただ、それだけの感想でさしてそいつに興味がわかなかった私は友人たちとの談笑に戻った。

 だが、その2,3分後、そいつはいつの間にか私の傍にちょこんと立っていた。

 そして、俯いたまま何かを言いたげにもじもじとしている。

 私が「なんか用?」と聞くと、そいつは無言で震えながら私が腰掛けいている机を指した。

 すぐにはわからなかったが、数秒で私は察した。

「もしかして、ここあんたの席?」と聞くと、そいつは無言のままこくこくと頷いた。

 私は慌てて机から腰を浮かした。

 知らないやつだけど、これから1年クラスメイトだ。

 悪い印象を持たれたくないと思った私は、両手を合わせて、「ごめんね」と頭を下げた。

 そして、頭を上げるとき、前髪の隙間からそいつの目が覗き、私の目と合った。

 前髪が長くて、眼鏡をかけているので、その瞬間までわからなかったが、その子の目は大きくくりっとしていた。

 よく見ると、鼻筋は綺麗な曲線を描き、口は小さく、唇は淡いピンク色でとても柔らかそうだった。


 コイツ……


 私は理解した。


 コイツはとんでもない原石だ!!

 ダイヤの原石とかそんな生ぬるいもんじゃない!!

 例えるなら、宝石の王様と言われるアレキサンドライト……

 アレキサンドライトの原石!!

 いや、もはや鉱脈だ!!


 私はその子の顔を食い入るように凝視してしまっていた。

 対して、その子は小さく小刻みに肩を震わせていた。

 今にして思うと、私が怒って睨みつけていると思われたかもしれない。

 いや、私はある意味怒っていた。


 なんでそんな可愛い顔立ちしてるのに、そんなダサい眼鏡かけて、そんなダサい髪してるんだ!?


 その怒りが言葉となって、口から飛び出す寸前で、担任が教室に入ってきた。

 担任が「席に着けー」と言い、クラスメイトたちは各々の席についていく。

 私も、飛び出しかけていた言葉を飲み込み、席についた。


 それが、私と森田望の出会いだった。


 その日以来、私の目は常に森田を追いかけてしまっていた。

 なんとかして森田と仲良くなって、あのアレキサンドライトの鉱脈を掘り返したいと目論んでいたが、森田は難攻不落の要塞だった。

 去年のクラスメイトや同じ中学だった子たちに探りを入れたが、森田は万年鎖国状態で、最低限の事務的な内容でしかクラスメイトと会話をしないらしい。


 どうしたものか……

 なんとか森田を取り込みたい……

 でも、下手につつけば逃げられる……


 それはまるで希少な野生動物の捕獲作戦のようであった。

 せめて趣味とか好きなものでもわかれば会話のとっかかりになるのだが、森田はクラスメイトとプライベートな会話を一切しない。

 情報が少なすぎる。


 いら立ちが募っていたある日、たまたま森田とトイレで一緒になった。

 手を洗いながら、つい森田の方を見てしまった。

 アレキサンドライトの如きその美しい顔は、漆黒のぼさぼさの髪に覆われて、見ることが叶わなかった。

 腹立たしさが極致に達した私は気が付くととんでもないことを口走ってしまっていた。


「アンタの髪、マジ、ダサい……」


 なんてこと言ってるんだ、私ー!!

 こんなの森田に嫌われて、さらに警戒されてしまうじゃないか!!

 なんとか、フォローしないと!!

 私だったら、もっと可愛い髪型にするのにー、とか!!

 そういうフォローを!!


「私だったら、とても学校に出てこれないわ」


 ちがーーーうっ!!

 何言ってんだ私!!

 だめだ!!

 てんぱって、変なことしか言えない!!

 せめて微笑んで、悪意がないことを示さないと!!


 私は必死に作り笑いを浮かべる。

 口角を必死に上げて笑おうとするが、ひきつって片側しか上がらない。

 手洗いの鏡に映った私の笑顔は、完全に相手を馬鹿にしている悪人のようにしか見えなかった。


 まずい!!

 この顔はまずい!!


 そう思った時には遅かった。

 森田は泣きながら、トイレの外に走り去ってしまっていた。


 やっちまったーーー!!


 私は心の中で絶叫した。

 ただでさえ警戒心の強い森田を、最悪の形で刺激してしまった。

 もう、森田の中で私は凶悪な外敵とインプットされてしまったことだろう。


 あー……

 さようなら……

 私のアレキサンドライト……


 とは言うものの、それですっぱり諦められるわけもなく、私の目は相変わらず森田を追いかけてしまっていた。

 いや、未練が募ってさらに悪化し、授業中まで気が付くと森田の方を見てしまっていた。

 しかも、運が良いのか悪いのか、私の席は森田の斜め後ろだった。

 これでもかというくらい森田の姿を愛でることができた。

 だが、相変わらずあの漆黒の魔女の如き黒髪が邪魔をする。


 あの髪をいつか私の手でズタズタに切り裂いてやる……


 そんなヤバい妄想まで抱くようになっていたある日、些細な変化に気づいた。

 ある授業中、森田の手が異様に激しく動いているのだ。

 最近ずっと森田のほうばかり見ている私が言うのもなんだが、森田は勉強に関しては不真面目なほうだ。

 授業中ぼーっとしていることが多く、板書の書き取りも書いたり書かなかったりという具合なのだ。

 なのに、今は異様に熱心に手を動かしている。

 しかも、この授業の先生は余談のほうが多く、板書もかなり少ない。

 あんな手の動きにはならないはずだ。


 何か、別のものを書いている……

 不真面目な生徒が授業中に暇つぶしに書くもの……

 いや、もの……

 絵か……


 森田は何かの絵を異常なほど熱心に描いている。

 私はそう結論づけた。

 そうなると、森田がどんな絵を描いているのか無性に気になって仕方がなくなってしまった。


 そんな私を、天が試すかのように誘惑をぶつけてきた。

 森田が帰り支度をしている最中に担任が森田を呼んで、教室の外に出て行ってしまったのだ。

 森田の机の上には教科書とノートが詰まれている。

 手を伸ばせば中身を確認できる。


 いや、だめだ!!

 何を考えているんだ!!

 そんなの、クラスメイトとして……

 いや、人として許されることじゃない!!


 そう心では思いながらも、「玲奈ー、帰ろー」という友人たちに対して、「あ、ごめん、ちょっと先生に用事があったんだー。長くなるから先に帰っててー」と言って、帰してしまった。


 ほどなく教室に残っているのは私一人だけになった。

 もう私は、自分で自分を止めることができなかった。

 森田の席に近付き、一番上に詰まれていたノートを手に取る。

 ぱらぱらとノートめくり、そして、目的のモノを見つける。

 それはシャープペンシルで描かれたイラストだった。

 そこでは、イケメン二人が肌を重ねて、艶めかしく絡みあっていた。


 ぐっはーーーっ!!


 私は悶絶した。


 ナイス、森田!!

 グッジョブ、森田!!

 私も実はこういうの大好きだ!!


 絡みあうイケメンのイラストに悶絶しながらも、私は気づいた。

 この数か月間求め続けていた森田と仲良くなる糸口を、奇しくも私は掴んだのだ。


 森田が戻ってきたら打ち明けよう。

 私もこういうの大好きな同志だよって。

 だから、これから仲良くなろうって。


 完璧だ!!


 そうこうしているうちに森田が帰ってきた。

 私の手にノートがあるのを見て、森田は愕然としている。

 私はすぐに取り繕った。


「ああ、森田、ゴメン。ちょっと手が当たっちゃってさ。ノートが床に落ちちゃって、拾ったらつい目に入っちゃって」


 見てしまったことは平謝りして、とにかくイラストを褒めて褒めまくって、私もこういうの好きだっていうことを徹底的にプレゼンしよう。


 が、森田は死にそうな声で懇願してきた。


「お願い……何も見なかったことにして……」


 下を向き、両手でスカートの布をぎゅっと握り締めている。


 可哀そうに……

 よほどこのイラストを見られたことがショックだったのだろう……

 恥ずかしかがることなんかない、森田のイラストは最高だってことを伝えないと。


「え~、こんなイイもの……見なかったことになんてできないよ」


 私は森田の描いたイラストを嘗め回すように見つめながらそう言った。


「お願い!! 何でもするから!!」


 森田が泣きそうな声でそう叫んできた。


 いや……

 そんな、思いつめなくても……

 そんな、何でもするなんて……

 ん……

 何でも……


「ふーん、なんでも……」


 私は考えに耽りながら無意識にそう呟いていた。


 何でもするってことは……

 ってことだよね……


 私は森田の手を掴んだ。


「じゃあ、今からちょっと付き合ってよ」


 私はこれから森田に対して行う行為を想像し、笑みを浮かべていた。

 片方の口角が鋭く吊り上がったあの笑みを。


 私は強く手を引いて、教室の外に連れ出した。

 廊下をどんどんと進み、本校舎から、特別教室などがある別館に連れていく。

 最終的に辿り着いたのは美術室だった。


「ここで何をしようって言うの?」


 怯える森田の問いに答えず、私は美術室の前と後ろの出入り口の鍵をかけた。

 そして、持ってきていた自分の鞄から鋏を取り出した。


「アンタの髪……マジ、ダサいから、私が切ってあげる……」


 私は笑った。


 やっと願いが叶う……

 森田の美しさを覆い隠すあの漆黒の魔女をこの手で切り刻むことができる……


「いや……やめて……」


 森田は恐怖からその場にへたりこんでしまった。


「何でもするって言ったじゃん」


 私は鋏をジョキジョキと鳴らしながら、森田に近付いていく。


「いや……いや……来ないで!!」


「あはははっ!! もう遅いよ!!」



 1時間後、森田はぽろぽと涙を流して、泣いていた。

 森田の前には鏡がある。

 その鏡には、変わり果てた森田の姿が映っている。

 可愛らしいショートボブに髪を切りそろえられた森田の姿が……



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