訪問
陽炎揺れる炎天下、人気のないアスファルトの上を、1人の男が歩いていた。見た目は30代ほどで細身。首にカメラを下げ、腰に下げたポーチからはノートらしき紙がはみ出ている。ハンカチを額に当てながらダラダラと汗をかいているところを見ると、太陽照りつける中を相当歩いてきたらしい。
男はとある建物の前にやってくる。
「もう3年も前の話、か……」
男は目の前の空を見上げながら時の流れの早さに浸った。植物が蔓延り、所々に色褪せた黄色いテープが貼られているそこは、すっかり廃れてしまった公立高校だった。正確には、廃校になった高校、だが。
男はテープを跨いで校舎内に侵入する。本来は立ち入り禁止場所だが、人気のないその場所は、たとえ不法侵入だろうが咎める者はいなかった。
ガラスが割れた扉の隙間から体を捻じ込み、男はコンクリートの床を踏む。当時は全ての棚が使われていたであろう古びた下駄箱が、男を迎えた。
男は周辺を見まわした後、そのまま廊下に上がり、真っ直ぐ進んだ。数年使われていない校舎は、静かさこそ漂うものの、まだ綺麗だった。突き当たりで右側に階段が現れ、男はそれを登る。まるで、脳内に学校の地図が埋め込まれているかのように、男は迷うことなく足を進めた。
2階に上がってまた少し廊下を進み、男はある教室の目の前で足を止める。他とは違い、その教室の入り口だけ黄色のテープが、校舎の扉と同じように巻かれていた。男はそれさえも躊躇なく越え、中に入る。埃を被った机や椅子の匂いが男の鼻腔をくすぐる。男はぐるりと教室内を観察して、それからふぅと息を吐いた。
「変わり映えしないな」
そうして男はカメラを構えた。カシャッ、カシャッと、シャッター音が立て続けに鳴る。3年前とあまり変わらない風景を、男はカメラに納め続けた。唯一、生臭い匂いを除いては。
「誰?」
男が写真を撮るのに夢中になっていた時だ。声が聞こえた。男は慌てて振り返る。
入り口に一人の女性が立っていた。花束を手にしている。彼女は男の格好を見るなり、眉を吊り上げた。
「まさかとは思いますが、報道関係者ですか?ここは学校です。マスコミの餌ではありません」
「ああ、いや、これは失礼」
男は急いでカメラをしまい、代わりに名刺を差し出した。
「私、こういう者です」
女性は訝しげにそれを受け取り、さらに表情を険しくした。
「編集者……、やっぱりメディア系の人なんですね。こんなところに不法侵入して、挙句に過去の事件を掘り起こそうとでもしたんですか?随分と欲にまみれた方のようで」
「不法侵入は貴方もでしょう?」
「私はこの生徒でしたからいいんです」
理由になっていそうでなっていない事実を言いながら、女性は男を避けて教室の中に入る。そして、不自然に机がはけた床に、その花束をそっと置いた。そこは、何かが暴れたか、あるいは悪いものがあったのか、今となっては分からない。
「今年も来たよ」
女性は目を細めて、それから手を合わせる。男はその様子を、ただじっと眺めているばかりだった。
しばらく固まっていた女性は、やがて立ち上がり、男の方を向く。先ほどと同じく、男には邪魔だと言いたげな視線を向けていた。
「さっさと出ていってくれませんか?ここは私と………友達の、大切な場所ですから」
「あなたに迷惑をかけるような行為は致しません」
「ここに来ているだけですでに迷惑です。とにかく出ていってください。どうせ何か証拠品を見つけて記事を書くつもりだったんでしょう?あいにくですが、そういうものはありませんので」
「迷惑な存在になってしまったことは謝ります。ですが、一つ訂正させてください」
「訂正?何を?」
「私は記事を書くために来たのではありません」
「はぁ?」
嘘も甚だしいとでも思ったのだろう。女性は呆れたように肩をすくめた。
「そんな嘘、通じる訳──」
「私は──いや、僕は真実を知りにきたのです」
「……真実?」
女性の表情が変わった。男を疑っていた色が、僅かに薄れる。男は鞄を漁り、とある記事を取り出した。
「これ、僕が3年前に書いたものなんです」
見せつけられた女性は、「ああ」と再び警戒心を強めた。それは、3年前に二人がいる場所で起きた事件についての記事だった。
「その記事の続きを書くために真実を知りたいって、そういうことなんですね」
「いや、記事はどうでもいいんです。僕が知りたいのは、これが本当に原因なのかということだ」
「本当って……あなたが書いたんでしょ?自分の目で確かめた事実なんじゃないですか?」
「当時はそうでした。でも、改めて読み返すと、こんな美談が本当に現実で起こりうるのかと疑問に思った。だから、真実を知る人にお会いして、真相を知りたかったんです」
「それでここに来た、と。そういうわけですか」
「はい」
女性はじっと男を見つめる。まだ疑いは晴れていないようだった。それでも男は真剣な眼差しで女性から目を逸らすなんてことはしなかった。
やがて女性は再び口を開く。
「……どうして」
「えっ?」
「どうして、そこまでして真実を知ろうとするんですか?たかが、赤の他人なのに」
女性にとって純粋な疑問だった。普通に人であれば、事件などただの出来事に過ぎない。それに、過ぎて仕舞えば過去のもの。特段気にする理由はないはずだ。それでも目の前の男が、こんなにもあの事件にこだわるのは何故かと、女性は不思議で仕方なかった。
「簡単なことですよ」
男は不意に口元を綻ばせた。寂しそうに笑うその表情には、どこか怒りも含まれている気がして、女性は無意識に息を呑む。
「死んだ子が、僕の姪だからです」
「……えっ」
女性にとって予想外すぎた言葉だったのだろう。驚きの声を漏らした女性は、しばし固まった。
「あなたの……姪?あの子が──
女性は、疑っているというよりはそれが事実かどうかを確かめたいという、そんな願いのもとで尋ねた。男は力強く頷く。
「はい。
「嘘、でしょう……?」
「本当です」
作り話にしては凝りすぎている。その上、男の表情には偽り一つ垣間見えない。しばらく何かを考えていた女性は、男のことを信じることにした。
「もしそれが本当ならば……話してもいいかもしれません」
「本当ですか!?」
男の瞳は途端に輝いた。
「本当に記事なんかに書かないでくださいね。あと、私から聞いたというのも内密にしてください」
「もちろんです。約束は守ります」
「ありがとうございます」としきりに感謝の言葉を述べ続ける男に少し引きながらも、女性は語り始める。
「あれは、まだ夏が始まって間もない頃でした──」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます