14. 許婚の恋人

「少し魔力を入れるよ」


 先輩は私の右足に触れる。そこはローランドが手当をしてくれて、カイルが治療してくれた場所だった。もうすっかり治っているはずなのに。


「先輩、そこ、もう治っていませんか?」


 私が上半身を起こして尋ねると、先輩は真剣な目をしたまま言った。


「怪我はね。ただ気持ちの問題なんだ。上書きさせて」


 どういう意味だろう。カイルの魔法はローランドが消したはず。それに上書きって、何のためにそんなこと。そういえば、他の医師が治療した患者はやりにくいというのを聞いたことがある。つまり、そういうこと?


「さ、もういいよ」


 先輩は手を離し、私の両手を取ってソファーから引き起こした。


「ありがとうございます。何から何まで。どうお礼をしたらいいか……」


「お礼なんていいよ。でも、そうだな。君が作ったお弁当が食べたいな」


「そんなことでいいんですか?」


 先輩とはたまに一緒に昼食を食べる。私が適当に作ったサンドイッチと、一流の料理人が作ったであろう豪華なおかずを交換することもある。どう考えても、先輩のお弁当のほうがずっと美味しいのに。


「うん。できれば毎日」


「それは無理」


「だよね」


 私たちは目を見合わせて笑った。毎日なんて無理に決まってる。先輩とは丘の向こうでしか会ったことない。庭園には雨の日には出られないし、先輩のクラスも知らない。


「じゃあ、次に晴れた日に。いつもよりちゃんとしたものを作っていきますから」


「それは嬉しいな。楽しみにしているよ。でも無理はしないで。君はなんでも一人で頑張りすぎる」


 先輩は私の頭をくしゃっと撫でた。そして、そのまま私の手をひいて、図書館の出口まで連れていってくれた。すでに館内の照明が落ちていて、慣れないと物にぶつかってしまうからと。私のためにドアまで開けてくれたのだ。


 完璧なエスコートに、胸がドキドキする。そして次の瞬間、その胸の鼓動が一瞬止まってしまうような事件が起きた。


「先輩、色々ありがとうございました。じゃあ、また」


 私がそう言うと、先輩はちょっと私の手を引っ張って、自分のほうに引き寄せた。そして、私のこめかみにチュッと音を立ててキスをした。


「気をつけて帰って」


 先輩は私をドアの外に送り出すと、静かにドアを閉めた。


 初対面の事故チュー以来、先輩が私にキスをしてきたことはなかった。今日は唇じゃなくてこめかみだったけど、それでも恥ずかしい。

 それにしても、あの素敵な紳士ぶりはすごい。火照る頬を両手で押さえて立ちすくんでいると、背後から声が聞こえた。


「学園内で何してんだよ。節操ないな」


 振り向いて確かめなくても分かる。こんな言い方をするのは、カイルしかいない。


「何もしてないわよ」


 私はそう言うと、声の主を振り返った。腕と足を組んで壁にもたれかかっているのは、思った通りカイルだった。


「なんでここにいるの?」


「呼ばれたから」


「誰に?」


「知り合い」


 カイルはアレク先輩と知り合いなの? 意外な組み合わせ。


「じゃあ、入ったら?  中にいるよ」


 図書館のドアを指差して言うと、カイルは私の目を見ずに答えた。


「暗いから送ってく。どこ?」


「え、いいよ。大丈夫」


「いいから、行くぞ」


 行き先を告げると、カイルは私の前をスタスタと歩きだした。こうなってしまっては、もう黙ってついていくしかない。確かに歴史あるレンガ造りの学園は、夜はちょっと不気味。こういう時間にはおばけが出そう。


「カイル、あの、ありがとう」


 カイルは何も言わずに、黙々と前を歩いている。ローランドのことがあるから、カイルにはあまり近づかないようにしている。カイルも私とそれほど親しくしようとはしない。当然か。ローランドは嫉妬深いからね。


「あ、こっちが近道だよ」


 カイルが反対方向へ行こうとしたので、私は弓道場の方向を指差した。


「そっちはダメだ」


「なんで? あ、そうか。まだ弓道場にローランドがいるんだ」


「もうすぐ大会だ。雑念はないほうがいい」


 そういうことか。そうだよね、私とカイルが一緒にいるのを見たら、精神集中できないかも。やっぱりさすが。カイルはローランドのこと、本当によく分かってる。


「そういえばね、さっき、ローランドから結婚の相談をされたよ」


 沈黙の気まずさに、私はカイルが食いつきそうな話題を振った。


「結婚?」


「うん」


「いつ?」


「早くても卒業してからだよね」


「そう」


「カイルも賛成でしょ?」


 私の問いにカイルは立ち止まった。そして、ゆっくりと私のほうを向く。群青色の瞳がキラキラと光っていた。

 アレク先輩やローランドが陽なら、カイルは陰。夕闇の中で見るカイルは、夜に溶け込んでいるみたいだった。


「別に」


「何それ、無関心」


「俺には関係ない」


「え、なんで? 気にならないの?」


 当事者が関係ないわけない。その証拠に、カイルは私の言葉を聞いて、そのまま固まってしまった。図星を突かれて動揺しているんだろうか。もしかしたら、私に知られたくなかったのかもしれない。


 世間体を考えれば当たり前だった。覚悟ができてカミングアウトするまでは、結婚話は進められないはず。それが普通の考えだと思う。ローランドが焦り過ぎなのよ。やっぱり、私が一肌脱いであげないと!


 そう思うと、俄然やる気が湧いてきた。

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