3. 奇跡の残念イケメン

 奇跡のイケメン。まさにその呼び名がピッタリな人。


 身長は180cmを超えている? サラサラと額にかかる髪は薄茶。私に向けられている目は、海のような深い青。彫刻のように甘く整った目鼻立ちとは対照的に、引き締まった口元には、意志の強さが感じられる。


 こんな人間がいて生きて動いているのは、神様への冒涜かもしれない。そう思ってしまうほどの奇跡のイケメンだった。


「いいんですよ。市民の義務ですから。衛兵さんが来たら、被害を通報しますか?」


 こんな小さな小競り合いには、たぶん衛兵さんは来ない。でも、被害を届けることできる。私の言葉を聞いて、市場は初心者だと思われる奇跡のイケメンさんの顔色が変った。


 そうか、衛兵にお忍びの身分がバレたくないのね。でも、大丈夫、衛兵さんもそういうのはお見通し。そもそも地元の町民は、ゴロツキたちに絡まれたりなんてしないから! 誰がどう見ても、あなたは貴族。


 そう説明しようと思ったときには、もう奇跡イケメンさんは私の手を掴んでいた。そして、ゴロツキが去っていった方とは別の通路を、逃げるように走っていったのだ。


 逃げた! でも、なんで私も一緒に?


 疑問には思ったけれど、気持ちは分かる気がした。この容姿だし、私が衛兵に特徴をあげれば、高確率で身バレする危険がある。予防線を張ったというところだろう。


 しばらく、適当に路地を走った後、彼は急に立ち止まった。


「すみません。ちょっと事情があって。あそこで騒ぎを、起こしたくなくて」


 そうですよね。大丈夫。私も人のことは言えないから。


「そうでしたか。立ち入った真似をして、かえってすみません」


「いえ、そういう意味ではないんです。あの、何か助けてもらったお礼を……」


 そうは言ったけれど、どうやら自分が何も持っていないことに、今更ながら気がついたらしい。こういうお坊ちゃまは、いつも従者や護衛を従えている。自分では何も持っていない。


「気にしないでください。お礼なんていらないので」


 私が笑ってそう言うと、奇跡イケメンさんは困ったように、こう言ったのだ。


「それでは、僕の気が済まないんです。じゃあせめて、貴方が喜ぶことを……」


 そして、話は両手ビンタに戻る。


 鳩が豆鉄砲を食らったような顔をするイケメンさん。怒りに燃えて手のひらの痛みに耐える貧乏男爵家の娘。


「どこのお坊っちゃまか知りませんが、女性にいきなりこんな不埒な真似をするなんて! その痛みは、当然の報いだと思ってくださいっ」


 私がそう訴えると、イケメンさんは両頬をさすりながら、オロオロと謝罪を繰り返した。


「すみません。そういうつもりではなかったんです。感謝の気持ちで。貴方に喜んでもらいたくて。誤解させてしまって、申し訳ありません」


「誤解って! 間違ってるのは、あなたの認識です。いくらイケメンだからって、女がみんな自分に惚れると思ったら大間違いですよ!」


「あ、いえ、あの、女性を喜ばせるには、まず距離を詰めて容姿を褒め、次は口付けをするようにと教わって」


 だから、それは何の教育? 女を口説く方法じゃないの? どう考えても、このシチュエーションでその手順はおかしいでしょ。応用力なさすぎ。


「もういいです。さっきのことは、なかったことに。きれいさっぱり忘れましょう!私、急ぎますので、もう失礼します」


「待って。名前を教えてはもらえませんか? 後日、改めて謝罪とお礼を」


「結構です!」


 出会って十数分でキスをされた相手に、後日また会うと思う? この人、いいのは顔だけだ。もったいない。非常にもったいない! 鑑賞用の残念イケメンさんだったのだ。


 まあ、悪気はなかったことだし、これ以上関わってこなければいい。もうこの件は不問にして忘れよう!


 困惑している残念イケメンさんをその場に残して、私はそこから足早に退散した。彼が追ってこれないように、わざと入り組んだ路地をあちこちの方向に曲がって。


 とにかくあの人から離れないと。ろくなことにならない気がする。


 そう思うのに、壁ドンからキスまでの光景が、なんどもフラッシュバックする。なぜか胸のドキドキが止まらず、頬が赤くなってくる。

 

 ああいうのは『事故チュー』というはず! なんの意味もないキス。なのに、何なの? 私、なんでこんなに焦ってるの? ないから! あれで私が喜ぶとか、それは残念イケメンさんの認識違いだから!


 一瞬だけ触れた唇は柔らかくて、髪からは爽やかな香木の香りがした。私を見つめる瞳は甘やかで、微笑んだ顔は優しくて誠実そうだった。


 いや、いやいやいや。素敵なのは外見だけの、残念イケメンだから!


 鑑賞用の推しにはいいけど、恋人には無理……って、違う! 別に恋人になりたいとかじゃないから!


 モンモンとそんな余計なことを考えていたせいで、私はすっかり上の空だった。


 そのせいで、あのゴロツキたちが私の後をつけていることに、全く気が付かなかったのだった。

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