第2話 秘密の居場所
『居場所』に入ると、真っ先にかび臭い匂いが私の嗅覚を刺激する。その後に遅れてやってくる埃の匂い、そして湿り気の混じった木の匂い。
閉まり切ったカーテンに、粗雑に積まれた段ボールやもう使われていない机や椅子たち。廊下に面した窓には大きな本棚が並んでいて、廊下から中の様子を窺うことは出来ない。元々クラス名が書かれていたであろうパネルには、上から「雑倉庫」と書かれた紙が貼られている。
ここが私の『居場所』、入学してから数日経ったあたり、既に不良学生としての片鱗を教師たちに嗅ぎ付けられていた私が見つけ出した私の居場所。特等席。
元々は大量の資料やら紙束やらが乗っていたソファへ鞄を放り投げ、倉庫の中から適当に拝借した読書用ランプの電源を入れる。元々教室だった名残だろうか、天井には蛍光灯があった……名残がある。私が此処を見つけた時ですら蛍光灯がはめ込まれているであろう電極はがらんどうになっている。
そもそも普段使われている教室と形状が異なるので、きっとここが倉庫になった時はあれが色んな教室に並んでいたのだろうな、と思う。こういう昔の名残に想いを馳せるのは嫌いではない。
私はいつも通り、廊下から私を隠してくれている本棚の前に立ち、暇を潰すための一冊の本を探し出す。
学校という空間から切り離す役割を担っている大きな本棚の中には、長短様々な背丈を持った専門誌や辞典、生徒から没収したらしき漫画、昔使ってたであろう私が渡されたのとは違う背表紙の教科書、英語で書かれた無駄に分厚い革張りの本、特徴を列挙すれば暇が無いほどに様々な本やら何やらが乱雑に詰め込まれている。
この場所を見つけて半月は経ったが、未だに新しい発見がある。きっとこの学校に在学している間、この本たちを全て読んであげることは出来ないだろう。
文字たちの、文章たちの墓場だ。
こうやって本を探していると、そんな言葉がいつも頭に浮かび上がる。この本たちは、今授業を受けている生徒たちの殆どに見られることもなく、読まれることもなく、ただこの学校が無くなるいつかの日か、この居場所が無くなる日まで無惨に時だけを重ねていくのだろう。
ならせめて、その内のどれかでも私が読んであげたい。卒業するまでに読めるのは何百冊かもしれないし、明日にはこの倉庫は誰も入れないようになっていて今読んでいる二十冊目の本だけかもしれない。幾ら物語を書いても、頭の中に詰まったものを書き上げても、誰かの目に付かないと意味がない、と思う。
「……不良生徒の、学校へ向けた孝行ってか」
絶対違うと自分でも気付き、口から渇いた笑いが漏れる。
どうせ今日の授業は午後に一つ出れば単位は足りる計算だ。不良生徒への情けか、親切か、それとも自分のクラスから補習を受けるような人間を出したくないのか、担任は定期的に私へ「この日の授業は出てくださいね!」と、コミュニケーションアプリへメッセージを残してくれる。母親といつも行く本屋の公式アカウント、月宮と担任しか居ない
どんな目的にせよ、こうして教えてくれるのは有難い。そのまま受け取って「優しい人だ」とも、裏を読んで「計算高い人だ」とも思わないが、感謝はしている。
勿論、既読を付けるだけで返信はしない。面倒臭いからだ。
本を適当に一冊手に取り、先ほど鞄を放り投げたソファへ座る。中のスプリングが錆びてるのだろう、お世辞にも座り心地が良いとは言えないが、学校という空間から隔絶されたこの部屋は、この学校のどんな場所よりも私を安心させてくれる。
適当に取った本の内容は、とある人間の人生を描いたものだった。家族に恵まれず、失敗を重ねながらも最後には成り上がった人間の自伝。作者は私でも知ってるような大企業の名字であり、きっとそこの創始者なのだろう。普段は自伝など好き好んで読まないが、この人の文章は着飾るようなところがない。淡々と書かれる一人の人生、目が滑るようなこともなくすらすらと読んでいる自分に気が付いて、ふっ、と笑いが漏れる。
「他人の人生を読む、か」
そうだとしたら私は————。
「私は月宮の人生を」
そこまで呟いた瞬間、音を控えめに設定したスマホのアラームが鳴る。ここに潜んでいるのは教師たちにとっては周知の事実だが、授業中に堂々とサボっているところを見られれば良い気持ちにはなってもらえないだろう。そんなことを気にする義理など無いが、見逃してもらってるのであれば教師という存在をあまり怒らせない方が良いとは思っていた。
この小さなアラームの音が私の気遣いの一つ、なのかもしれない。
「次の授業は……ああ、美術か」
埃の積もっている引き出しを開け、その中から美術用の教材を取り出す。
私の鞄の中に教科書やノートと言ったものは入っていなかった。この引き出しが鞄替わりみたいなものだ。「置き便禁止」、中学の頃はそんな規則もあったなとぼんやり考える。別に置いていったって誰も困らないだろう。予習や復習をするようなお真面目さんだけ、困るのは自分だけ。その規則一つでまだ成熟していない子供の中から勤勉さを引き出そうとしていたのなら、笑い草だ。
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