1-4 荒野との境目

「―――さて。改めまして、わたくしノーザン=ノードマークが業務を説明させて頂きます」

 相変わらずソファに座ったままのノーザンは、口火を切るようにして喋りだした。

 低いテーブルを挟んだ先、対照に向き合って座るプリモは、怪訝な視線をノーザンに送り返す。

 ジャックは、プリモの手の縄を慎重に解いた。


「突然ですが貴方は今、どのような状況下にあるのかお分かりですか」

「……よく理解してるぜ。命の危機だ。罪を犯した俺は自警団のお前達に捕まって、処罰を受ける手続きが進められているんだ」

プリモは周囲に目を走らせて返答した。

「エンタープライズも奪うつもりなんだろ。治安の維持なんてよく言ったもんだぜ」


 プリモの後ろにはジャックが立ち、監視をするように見下ろしている。

 先ほどの賑やかさとはうって代わり、静けさが重たい。街の喧騒も遠く、ジャックの入れる紅茶がティーカップを満たす音が鮮明に響いた。


「ええ、半分は正解です。貴方はこの街の法に則り、自警団から処罰を受けようとしている」

 ノーザンは顔色を変えずに続ける。


「しかし、私たちは自警団ではありません。むしろその逆。貴方がこの街から逃げるための、お手伝いをさせて戴きます」

 その言葉がプリモの耳に入ってから、正常に認識するまでに暫くの時間が掛かった。

 プリモは一瞬脱力したのち、改めて異常な事態であることに気付き、体が強張る。


「私達はルミエールド・ラ・ヴィ。あなたの明るい人生を守る、下町の”暮らし屋”にございます」

ノーザンは胸に手を添え、静かに頭を下げた。

聞いていたプリモは、訝しげな視線を向ける。


「暮らし屋ぁ?回りくどいぜ」

「本当ですよ」

「ふん。お前ら、さっき『オーケスティアの人間が帰ってくる』って言ってたよな」

 プリモは前の会話を聞き逃さなかった。

「俺のエンタープライズを潰すつもりが無いなら、オーケスティアは必要ない筈だろ」

 そう言うと、肘を立てて鋭く睨んだ。


「まあ落ち着けよ。オーケスティアだとしてブラフを重ねる理由はねえ」

 目が散って仕方のないプリモの肩に、ジャックは手を置いた。

「……っ!じゃああの時俺のセーターが切られたのは何だってんだよ!お前が”コンダクター”の正体なんだろ!」

プリモは肩の手を払うなり吠えたが、不安が染みたのか力が入りきらない様子だった。

 ジャックは目を逸らすと、はあと息を吐いた。

 コンダクターと言えば、この街で一番の、自警団の実力者だ。的外れな勘違いではあるが、緊迫の最中に最悪の事態を想像してしまうことも、その結果パニックになってしまうことも仕方がないことだった。


「まあ一度座ってください。彼はうち専属の”暴き屋”、ジャック=ヴェルサイドです」

 ノーザンはまあまあとなだめ、ジャックは横を向いてため息をついた。

「貴方は、自身のエンタープライズ≪タメル≫によって、着ていたセーターの中に貴重品を転移させて回りましたね。そして彼のエンタープライズ《アバク》営みによって、それらを露出させたのでしょう」


 ノーザンにそう言われ、今一度プリモは自らの腹部に手をやる。

 よく指の感触を確かめると、セーターは引きちぎられたような、朽ちたような破れ方をしていた。

「確かに……これは切り傷じゃあねえ」


「ちなみに、この力のお陰で貴方の情報を入手することもできました」

 ノーザンは、個人情報の書かれた書類を翻して見せた。当然、プリモはそんなものを書いた覚えはない。相も変わらずノーザンは柔らかい表情で話を進めるが、プリモには却って不気味な様相に映った。


「……それで、俺の逃走を手伝ってやるってのか」

「はい。人的サポート及び、道具や情報、食料など提供致します」

「表向きの業者じゃねえと。誘いを受けない手はあるのか」

「絶望的でしょうね」

 ノーザンは即答する。


「既に街の両側の門では、警戒体勢が敷かれています。この対応の速さは想定通りですか?」

 プリモは言葉を詰まらせる。警備態勢が行き届いているからこそ平和な街は成り立っている。それを豊かに暮らしてれば知る由もないのだ。


「なら、」

 プリモは真剣な顔つきで前に乗り出す。

「この状況を、あんた達なら何とかできるのか?」

 紅茶の湯気が揺らぐ。ノーザンは真っ直ぐな視線で宣言した。


「はい、必ず門から連れ出しましょう」

 ノーザンは語幹を強め、揺らぎなく言い放った。

「根拠は」

「こちらにはエンタープライズが”4つ”あります」

 そう言って指を四本立てる。プリモは圧倒され、肩を揺らした。

「まあ今現在、一人は不在ですが……」

 そう言って、一本の指を畳む。


 プリモは喉を鳴らした。

 三つ、それは十分すぎる魅力だった。

 エンタープライズは稀な力で世界に異変を起こす、人類の要と言ってもいい存在である。一人でインフラを支えるような、一人で文明を進めるような、一人で常識を覆すような、そんな力が、ここには三つある。


 プリモは改めて騙される可能性を捨てきれず、しばらく目を伏せて考えた。

 八方塞がりのこの状況。頼れる人間はいないと考えていたが、特殊な力を持つ彼らなら、街から脱出できる可能性を高めてくれるのではないか。

 思わず、喉を鳴らした。

 ……だが、彼らに命を預けてしまっていいのか。もしも裏切られたら、もしも彼らが自警団と繋がっていたら。プリモの中で答えのない疑念が幾つも渦巻いた。

 しかしどうしても、プリモは口が渇いていた。


 プリモが震えがちにため息をつくと、ティーカップの湯気がゆらりと傾いた。そしてゆっくりと、ノーザンを見据える。


「……少しだけ、力を借りてみてえ」

「ご利用、ありがとうございます」

 ノーザンは体を動かさないまま、にこりと微笑んだ。


「紅茶、冷めますよ」

 プリモはノーザンに視線を合わせたまま、ティーカップに口をつけた。

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