1-3 空気の止まった事務所

 薄暗い部屋の中、点々と灯された燭台が辺りをぼんやりと照らす。

室内は空気が静止したように閉鎖的で、厚い絨毯や重いカーテンのちりがぼうっと拡散し、白く光っていた。


「……以上が、今回の報告になる」

 コートとマスクを脱いでスーツ姿になったジャックは、パタンと手帳を閉じた。

「お疲れ様、ジャック。盗難を未遂に抑えたのはお手柄だったね」

 ジャックのいる部屋の更に奥の部屋で、一人用のソファに深くもたれた男が相槌をうつ。


「ああ、かなり骨が折れた。仕事着も濡らすし最悪だ」

「ジャックが手こずるとは珍しい。細かい仕事はこなしていたから、ブランクは無いと思っていたよ」

 男の影は、肘掛けに手をついて上体を起こした。顔がオレンジの光に照らされ、ベージュの髪と、やつれたように垂れた目が光る。

「……いや。精神的な疲弊だ、ノーザン。お前にも一度会わせてやりたいもんだ」

「その口振りだと人……いや、また子供か」

「……俺ってそんなに面白いかね」

「図星みたいだね」


「お待たせ~、準備できてる?」

 突如、部屋に明るい光が差し込んだ。二人が光の方を向くと、小さな影が立っていた。

「お帰り、キッド」

「おお、帰ってきたか」

「帰ってきたか、じゃないよ全く。ノーザンとジャックは居るとして、ブリランテさんはまだ帰ってない?」

 キッドと呼ばれた少年は、悠々と喋り込んでいた二人を見て、少し頬を膨らませた。そして二人の方を向いたまま、器用にかかとでドアを閉める。

「ブリランテはオーケスティアの本部に行ったままだ。きっと夜には戻ってくるよ」

 ノーザンはキッドに答える。



「それよりこれ!」 

キッドは人参でも握るように、右の手を突き出した。

 右の手は、男の襟をガッチリと掴んでいる。ノーザンとジャックが視線を下に移すと、華奢な少年の腕にだらしなく吊り下がった男の姿があった。

 先程のひったくり男、プリモ=ストケージはキッドに何をされたのか、顔はすっかり蒼白し、脱力しきった体とは対照的に唇だけがブルブルと震えていた。手首もきつく結ばれ、外見はさながら鍋にされる草食動物のようだった。


「やあ、彼が件のひったくり魔かい?」

「しっかり捕獲しておいたよ、濡れ犬ジャックの代わりにね!」

 ジャックは眉をピクリと揺らす。

「……まあいい、お前も早く身支度を整えてこい」

「えぇー?それだけじゃないでしょ」

 ジャックがさりげなく席を外そうとすると、キッドはすかさず回り込んで道を塞いだ。そのままジャックを見上げて、何かを目ではっきりと訴えかける。

「……何か言いたいのか」

「成果に見合った称賛がほしい!」

「成果ぁ、ねえ」

 ジャックは窮屈になって目を逸らした。ミスへの落ち度は全く気にしていなかったが、キッドの褒めてアピールに好機を与えてしまった自分自身を恨む。


「そう、高速で突っ込んできた犯人を片手でいなし、無数の投てきを見切り、隙を捕らえた五連撃で華麗なノックアウトを決めたよ!」

「こいつにそんな外傷ねえよ」

「あと通行人から歓声が上がった」

 適当を垂れつつシャドーボクシングをするキッドに、ジャックはため息をついた。


 ノーザンは目を通していた資料をテーブルに置くと、フォローに口を開いた。

「まあしかし、ジャックはカバーが入る前提で行動をしたようだが、その期待にしっかり応えたキッドは確かにお手柄だったよ」

 そう言うと、キッドの顔は暗い部屋に映えるようにぱあっと明るくなった。ノーザンは黄色みを帯びたステンドグラスと見比べると、思い出したように書類を置いた。


「キッド、仕事の時間だ。裏門の偵察をするために、準備をしておいておくれ。”お客様”には僕たちで説明しよう」

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