1-2 路地を抜けた先

 濃い陰の落ちた道、人の波に逆らうように歩く男が二人。

 

季節遅れな毛皮のコートに身を包んだ男が、小さく口を開く。

「標的のやつ、スピードが上がったぞ。何かするつもりじゃあねえだろうな」

深い毛に包まれたフードの先、素顔を隠した仮面をくいと持ち上げた。


「何かマズい予感でもするの?ジャックにかかれば、幾ら逃げようが関係ないじゃん!」

 隣で歩く背の低い少年が、呑気に顔を覗き込む。

 ジャックと呼ばれたコートの男は顔を合わせる様子もなく、建物の壁を見透かすように一点を見つめている。


「そりゃあ俺がエンタープライズを見失うことはねえ。だが、今回の標的はオーケスティアからの逃亡者だ。この機会にやるのが最高だろうな」

「おお、ちょっと張り切ってる?久々の仕事だから?」

「……そう思うんなら、もっと気張ってくれ。人目が増えると動きづらくなる」

 ジャックはキビキビと、隣の少年はチョロチョロと歩く。ジャックは会話を重ねると徐々に猫背気味になっていった。


「それに、なにやら他にも気になる影が見える。杞憂ならいいが、どちらにせよコイツは早く片付けてえ」

 二人は歩みを進め、少しずつ明るい方へと向かっていく。

「なるほどね。それじゃあ、頑張って捕まえてきて!」

「お前も少しはフォローしろ。標的、近いぞ」

 ジャックは、コートについたフードをさらに深く被った。


「了解、気を付けて」

 隣の少年は行き先を変え、更に細い路地の方へと消えた。

 ジャックは、タイミングを伺うように足を早める。

 暗いこの道と交わる大通り、左手の方から不審な騒ぎが近付いてくるのが分かると、ジャックの駆ける速度は頂点を迎えた。



 勢いよく大通りに突っ込むと、ジャックに日光が照りつける。人々の目が一瞬コートのジャックに集まると、彼は顔を覆う仮面を一層押し付けた。

 大きな騒ぎの中心には、猛スピードで商店街を下る男が一人。容姿は普通に見えるが、編み込みのセーターの腹部だけは異様に膨れていた。

「は……ははは……!いいもんだなぁ、世界一浮かれた街!思わず欠伸が出る……!」

 そうして男が走った少し後ろから、遅れて悲鳴やらざわめきが巻き起こる。


「あっ……財布が消えた!」

「ポシェットが無い!」

「まあ、私の手提げカバンが!」


「チッ、やっぱりもうやってんじゃねえかよ……!」

 ジャックは焦ったように睨むと、胸に手をかざす。迫りくる男から視線を動かさずにじっ、と集中すると、胸の奥から「パキリ」と砂を噛んだような音が響いた。


「突き飛ばすぞ、道を開けろ!!」

 男は険しい表情で声を荒げた。

 ジャックは、猛スピードで突っ込んでくるひったくりをするりとかわす。ひったくり男は両手で腹部を抱えており、側面は無防備。ジャックは素早く手をつき出し、空を絡めるように手を仰いだ。


「身体検査が先だ。見せてみろ」

 直後、ひったくりの男は小さな違和感に足を止める。その反動で、腕の隙間からボトボトと数々の財布やカバンがこぼれ落ちた。

 ひったくり男が腹部をまさぐって確認すると、着ていたセーターはいつの間にか大きく引き裂かれていた。


「切られ……っ!?」

 ひったくりの男は思わず後ずさる。

「こっ、コンダクターは出払ってるんじゃなかったのかよ!」

 ジャックはその様子を、顎に手を当てて見下ろした。


 ジャックは無視して口を開く。

「あんたの名前はプリモ=ストケージ、24歳。下町の『ポリー配達』に勤務している……違いないな?」


「クソッ、今はそういうのは関係ねえんだよ……!」

 プリモと呼ばれた男は動揺し、手近な所に放置されたバケツを両手に掴んだ。


「元はと言えば、お前らが人のことを理解してくれねえのが悪いんだろうが……」

 絞り出すように話すプリモは、小さく震えていた。その震えは両腕に下げた空のバケツまで伝い、やがてジャブジャブと水の音が響き始めた。


「お花畑はこれでも食らってやがれ!」

 プリモは重りを引くように体を捩り、バケツに力を集中させる。一瞬バケツはピタリと宙に固定され、遅れてジリジリとジャックの方へと動き始めた。


「この動き……”溜めた”のか!」

 ジャックは、咄嗟に腕を突き出し、防御姿勢をとった。

 間髪入れずに、腕に鈍い衝撃が走る。続けて頭の先から冷たいものを被ると、視界は水に覆われた。

 腕を振り払って重いバケツを弾くが、プリモは既に真っ赤な手提げカバンを抱えて走り出していた。


「クソ、《アバク》ッ……!」

 ジャックは、すかさず右の手をつき出す。胸のあたりがパキリと仄かに光ると、遠くでプリモの持つ赤いカバンが呼応して震えだす。


「悪ぃが貰ってくぜ!……うわっ!?」

 カバンは勢いよく開き、重厚なバックルがプリモの鼻頭にぶつかる。そのまま走るプリモの視界を覆い隠したので、プリモはたまらずカバンを投げ出した。


 カバンは弧を描くように宙を舞う。

 ジャックは降ってきたカバンに立ち位置を合わせ、目の前で受け止めた。

「おい、待て!」

 直ぐに追いかけようとしたが、ジャックは周囲の様子を見て冷静になった。

 これ以上、人混みの中で騒ぎを起こしては動きづらくなる。間もなく自警団の者もやってくる頃だ。そう気付いたジャックは、やむ無くプリモを追いかける足を止めた。


(……まあ、あの方向ならアイツが上手くやるだろ)

 髪を掻き乱すと、玉のような水滴がバタバタと飛び散った。

 依然として商店街にはざわめきが起こっているが、恐らく盗まれたものは全て取り返すことができた。概ね御の字だろう、などと考えていると、人混みの中から少女が駆け寄ってきた。他の市民より格段に目立つ、真っ赤なドレスを着た少女だ。


「わ、わたくしダリアと申します……!カバンを取り返して下さって本当に助かりましたわ……!」

「……別に礼なら結構だ」

 息を切らしてひぃひぃと鳴く彼女にジャックは派手なカバンを手渡した。


「それと、観光客が怪しい男に近寄らない方がいいぞ」

 ジャックは、ずぶ濡れの手で再度目元の仮面を掛け直した。

 ダリアの服に施された装飾はオーリウの集落のもの。華美な見た目と包括して、ある程度裕福な観光客であることは推測できた。

「いえしかし……そうだ!宜しかったら一緒にお茶でもいかがですか?」

「退かねえなお前。話し相手のジェントルマンなら中心街の方で探しな」

「あっ、ちょっと!お話、お話をー!」

「どっかにこう、押しの強い子供が居たかね……」

ジャックは、諦めの悪い彼女を無理やりUターンさせると、力づくで中心街の方へと押し返した。

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