第15話 幽玄坊

 神眼持ちの少女、花染姫香に男の手が伸びる。

 手首から先が青緑色の肌になり、爪先が鋭く尖った。


(こいつ、妖怪だったのか! 間に合うか……っ)


 咄嗟にポケットに手を入れ、護符に触れる。

 姫香が神眼でなにかを訴えた時に、すぐに反応するべきだった。


 このタイミングでは、間に合わない……!


「……なに?」


 呆然と手を見つめていた、姫香。

 彼女から霊力が噴き上がり、男は手を引っ込めた。


 次の瞬間、姫香のランドセルが光った。


「あはは、すごい。守護獣かな」


 ランドセルから出てきたのは、蟹の手足だ。ハサミで男を威嚇している。

 さらに、甲羅が出てきて姫香をすっぽりと覆った。もう姫香の姿は見えない。


 龍之介の術だ。護衛用に、危機に反応して発動する護符を持たせていたのだろう。


「ナイスだ龍之介! けどちょっと目立つな」


 蟹の守護獣ごと姫香を抱えて、男と距離を取る。

 俺は扇子を取り出して、手のひらでカッと鳴らした。


「幻術──神隠し」

「あれれ、君も妖怪?」


 男が驚いたように俺を見る。

 さっきまで眼中になかったみたいだけどな。


 幻術の幕が降りてきて、俺と男の間だけ別空間を作り出す。


「今からこの空間は、霊力のない人間には知覚されない」

「なにそれ。無駄な霊力使うね~。……バレたくないなら、みんな殺しちゃえばいいだけなのに」

「幻術を習得して真っ先に開発した術だよ」


 こうして町中で戦闘になることは予想していた。

 もっとも、想定よりだいぶ早いが。


「人間を襲う妖怪は許さねえ」


 俺は三尾を開放して、扇子を構える。

 必要のない術は解いた。髪も白に戻っているはずだ。


 優男風の青年だ。右手以外は人間体のまま、俺の姿を見て目を細めた。


「その尻尾……妖狐だね。なぜ人間の味方をするのかな」

「余計な問答をしてる暇はないな。入学式が始まっちまう」


 この男の実力は不明だ。

 まだ陰陽術は隠しておきたい。


「狐火──蒼炎」


 銀襴を喰ったことで、三尾になった。

 それにより幻術を習得しただけではない。霊力の総量が上がったことによって……他の妖術も強くなった。


 より破壊力の上がった炎を、弾丸のように男に飛ばす。


「火なら効かないよ」


 しかし……蒼炎は、男に辿り着く直前でかき消された。

 男が手のひらから放った水に相殺されたからだ。


「ああ、そういえばちょっと噂になってたね。九尾の狐に子どもが生まれたと。それが君かな」

「どうだかな」

「うーん、厄介だなぁ。この学校に妖狐族の王子と神眼持ちか」

「この学校……?」


 違和感のある言い回しだ。

 そもそもこいつは、なぜここにいる? 姫香のことは偶然見つけたような感じだった。なら、他に目的が……。


「うん、二人とも殺しとこう」


 男がにっこりと笑った。その顔が、青紫の肌に変わっていく。


「河童か!」


 河童の姿がブレる。

 瞬きの間に、目の前に移動してきた。鋭い爪による刺突を、閉じた扇子で受け止める。


 軽く跳躍し、ドロップキックの要領で河童の腹を蹴飛ばす。その勢いで、再び距離を取った。


「わお、なにその扇子」

「ハンドメイドだよ」


 この扇子は、中の紙に術式が書かれている。

 護符術と紋章術の応用で、一種の術具だ。鍛造や鋳造の段階で術式を織り交ぜないと作れない金属製の武器に比べ、扇子なら書くだけで作れる。


 効果はシンプルで、霊力を弾く。それほど効果の高い術ではないが、その分持続性と耐久性が高い。

 爪を受け止めるくらいならできる。


「ふーん、じゃあこれは?」


 河童が水を針状にして飛ばしてくる。


「避けられないでしょ。人間との共存、だっけ?」


 薄ら笑いを浮かべる河童の男。

 幻術は、あくまで俺たちの姿を隠しているだけ。後ろには、入学式に来た人たちがいる。


「避けねえよ」


 扇子を開いて面積を大きくする。

 無数の水針を、扇子で舞うようにして全て弾いた。


「へえ、その年でずいぶん戦闘慣れしてるんだね」

「そろそろ、その余裕ヅラも崩してやるよ」


 男の実力は、未だ計り知れない。

 だが、前世で戦った河童たちとは一線を画す戦闘力だと思う。河童は本来、もっと野性的で凶暴だ。さらに水辺でしか本来の力を発揮できない。

 陸地でここまで戦い、さらに余裕の表情をしている辺り、高位の河童である可能性がある。


「妖狐の魂は貴重だし、ぜひ欲しいんだけどね。……ざんねん、もう終わりみたいだ」

「なに……?」

「また会おうね、妖狐族の王子くん。僕は幽玄坊ゆうげんぼう。まあ、邪魔さえしなければ殺さないであげるよ」

「待て! なにを企んで……」


 幽玄坊と名乗った河童が、ぱちんと指を鳴らした。

 彼から溢れてきた霧が、視界を覆う。


「……逃げられたか」


 風にさらわれて霧が晴れた時、彼の姿はなかった。


「……っ! そうだ、姫香は!」


 俺は尻尾を消し、髪を黒くしたうえで幻術を解く。

 姫香を見ると、既に守護獣は消えていて、姫香はぼけっと立っているのみだった。


 駆け寄って、肩に手を置く。


「姫香、大丈夫か!?」

「ん……? おはよう」

「気絶してたのか寝てたのか……死にかけたのに呑気だな」


 とりあえず、無事なようでよかった。

 幽玄坊という河童……陰陽術も使って全力で戦ったとして、今の俺に勝てたかどうか。


「あ、パパ!」

「えっ」


 考えてみれば、守護獣が発動したことは術者には伝わる。

 そうなれば必然、大事な一人娘のために父親が急行する。


「おい、そこのガキ。なに姫香に触れてやがんだ、あ?」


 チンピラが現れた。

 あの……小学生の頭を握りつぶそうとするのやめてくれませんかね。


「パパ!」

「姫香~! 怖くなかったか? ごめんなぁ、パパが離れたばっかりに……。これからは二十四時間一緒にいるからな!」

「みて、さくや。ともだち!」

「友達だと? おい、俺の娘に手出したら許さねえぞ!」


 姫香の父親と目が合う。

 ああ、見慣れた顔だ。花染龍之介……幼馴染でともに修行し、一番隊でも背中を預けていた陰陽師である。


(戦闘は見られてないみたいだな)


 今の姿なら問題ない。

 陰陽師であっても、変化した妖怪は人間と見分けがつかない。


 幽玄坊との戦闘を見られていたら、即座に攻撃されていたところだ。


「……ちっ、妖怪には逃げられたか」


 龍之介が油断なく辺りを見渡して、そっと舌打ちする。


「りゅう……姫香のお父さん、あの……」

「むっ! まずい、そろそろ入学式が始まるな! 姫香、パパは後ろから見守ってるからな~!」


 自分が東雲一茶であることを伝えようとした。

 しかし、龍之介は気づかず、ダッシュで保護者席に向かってしまう。


 相変わらず、せっかちな男だ。それでいて、子煩悩。

 仕方ない。今後もチャンスはあるだろう。姫香とは仲良くしないとな。


「姫香、行こう」

「うん」


 俺は気持ちを切り替えて、新入生たちと合流するのだった。

 ……ちなみに。


「姫香~! 可愛いぞ~!」

「ええい、もっと朔夜を前に出さぬか! この妾の子じゃぞ!」


 バカ二人が、保護者席で隣り合わせで騒いでいた。


 なんでいるんだよコスプレババア!

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