第11話 四尾の銀狐

 四尾の銀狐、銀襴。

 十六夜と対立していた彼は、ここ半年、あまり姿を見せなかった。

 最後に会ったのは、俺が変化に成功した日……。てっきり諦めたのかと思ったが。


「あんた、なにしてんだ?」


 銀襴の前で倒れ伏すのは、白髪の老婆だ。

 老婆の横には、年端もいかない少女が座り込んでいる。


「なに、こちらにつくよう説得・・していただけですよ」

「人間と敵対する側に、か?」

「ええ。ろくに戦えぬ老婆でも、古く名の知れた妖怪……さらに十六夜様の配下とあれば、引き込んでおいて損はないですからね。周囲から攻めるのは基本でしょう?」


 十六夜との敵対宣言に等しい言葉だった。


 銀襴は巨大な妖狐だ。2mほどはあるだろうか。

 鋭い歯の生えた口を、にやりとおぞましく歪めた。


「もっとも、この老婆も人間との共存などとほざいたので、殺させていただきましたが」


 うつ伏せになる小柄な老婆は、ぴくりとも動かない。

 老婆の周囲には、室内には似つかわしくない、砂のようなものが撒き散らされていた。


「……砂かけ婆か」

「必死に砂をかけて来ましたよ」


 銀襴が嘲笑する。


 元陰陽師として、妖怪同士の争いで誰が死のうが、興味はない。

 むしろ勝手に数を減らしてくれて嬉しいくらいだ。


「お婆ちゃん……」


 でも、なぜか面白くない。


「白神十六夜の配下を殺す……その意味を理解しているのか?」

「当然ですとも。あのような旧時代の妖怪ではなく……これからは、新たな時代だ」

「そうか」


 銀襴は十六夜の説得を諦め、敵対する方針としたようだ。


「お下がりください、朔夜さま」


 弥子が俺を庇うように、一歩前に出る。


「待て、弥──」

「死ね」


 引き留めようとした、その瞬間。

 素早く振り抜かれた銀襴の前足が、弥子を吹き飛ばした。


「弥子!」


 弥子は壁を突き破り、外に投げ出された。


 様子を見に行く余裕は……ない。


「次はあなたです」


 ──速いッ。


 弥子に気を取られた隙に、銀襴が目の前に移動していた。


 尻尾の一本が、鋭い槍のように尖って、刺突してくる。


「ふん、他愛ない」


 尻尾の槍が、の腹を貫いた。

 銀襴は尻尾を引き抜いて、背を向ける。


「さて、ついでにこの娘も……」

「狐火」

「なに!?」


 少女を守るように作られた炎の壁を見て、銀襴が飛び退いた。


 目を見開いて、無傷で立つ俺を見る。


「どうした? 狐につままれたような顔をして」


 俺は余裕の笑みで、彼の視線を受け止める。

 傷は一切ない。人間体のまま、二尾と耳だけ生やした状態だ。妖術を使うなら、尻尾は出したほうが使いやすい。


「ば、ばかな……たしかに貫いたはず……。幻術なら、私が気づかぬはずが……」

「あいにく、狐火と変化しか使えなくてね。妖術は・・・


 さっきまで俺が立っていた場所。

 そこには、一枚の穴の空いた護符が落ちている。


「忍法変わり身の術……なんちゃって」


 もちろん忍法なんかではなく、妖術と陰陽師の合せ技だ。


 俺は攻撃を受ける瞬間、式神と入れ替わったのだ。

 自らは変化を解き狐になりながら、自分そっくりの式神を出した。動けない、ただ形と見た目だけの式神なら、簡単に出せる。


 銀襴は俺そっくりの式神を貫いて、殺したと勘違いしたのだ。


「十六夜と弥子の目を盗んで、護符をたくさん作成した甲斐があったよ」

「なにを言って……」


 弥子は外に突き飛ばされ、老婆にすがる少女は炎の壁に遮られている。

 誰の目もない今……遠慮する必要はない。


 変化で人間になった利点は、護符作りにも現れた。

 紙に筆で術式を書くだけだが、狐の足では難しい。


 懐から護符を取り出し、顔の前で構える。


「式神──無吠むはい


 犬の式神も、護符があれば即座に召喚できる。


 護符術は、予め準備が必要で、使い捨てという欠点はある。

 だが、他の術よりも即座に発動できるので、愛用していた。俺がもっとも得意なのも、この護符術だ。


 俺は普段から、懐に護符を隠して持ち歩いている。


「貴様! まさか陰陽師か!」

「口調が崩れてるぞ、三下」

「くっ……」


 無吠が銀襴に食らいつく。

 だが、銀襴は四尾の妖狐。この程度の式神で倒すことはできない。


「なぜ陰陽師の術を使えるかは、関係ない。ここで殺すまでです」


 無吠は、銀襴の尻尾であっけなく消された。

 だが、無吠も一体だけじゃない。追加で三体召喚し、突撃させる。


「よく吠えるな。無吠を見習えよ」

「黙れ。私は僅か七十年で四尾に達した妖狐……日和見の老人どもとは、格が違うのですよ」

「そうか。ところで、一つ聞きたかったんだけどさ」


 会話の間にも、無吠は次々とやられていく。護符に戻った無吠は、既に二十体を越えた。

 もっと強い式神も用意すればよかったな。


「人間、食べたことある?」

「当然です。人間ほど美味で、霊力を増やせるものはない。百人から先は数えてませんが」

「よかった」

「はい?」


 やられた無吠は、既に十五体。銀襴の足元には、護符が散らばっている。

 まだ足りない。追加で十体召喚した。


「いやさ、俺も妖狐になってから悩んでたんだよね。弥子は優しいし、十六夜は人間と共存したいなんて言うからさ。俺の知ってる妖怪と違うから、ちょっと戸惑ってて」

「なにを言って……」

「弥子や十六夜を滅するのは本当に正しいのかなって、決めかねていたんだ」


 妖怪は絶対悪。

 陰陽師の掟にもあったし、俺もそう思っていた。人間を害する妖怪としか会わなかったから。

 でも、転生して……人間と争わない妖怪もいるのだと知った。


 穏やかで優しい、弥子のような妖怪がいることを。

 人間の文化が大好きで、人間との共存を目指す十六夜がいることを。

 俺が敵だと思えない妖怪がいることを、知ってしまった。


「でも、あんたみたいな奴だったら、躊躇なく殺せる」

「この犬ごときで殺せるとでも?」


 銀襴が腕で残りの無吠を全て消し飛ばしてから、四尾を振り上げた。


「いいでしょう。最後に見せて差し上げます。二尾のあなたには到底使えない、四尾の妖術を」


 全身に生えた、銀色の毛。その一本一本が、変質していく。

 ふさふさだったそれは……尻尾の先から次々と、針のように硬くなった。


 いや、ただ硬いだけではない。

 一本一本が金属となり、光沢を放っている。


「四尾──銀毛。絶対防御と攻撃を兼ね備えた、私だけの妖術です」


 バカ正直に説明してくれたおかげで、時間を稼げた。


 元より、無吠だけで倒せるとは思っていない。

 それでも無吠を召喚し続けたのは、別の目的。


 霊力を地面に……銀襴の周りに散らばる護符に流し込む。

 それは、無吠だった護符だ。当然、無吠が消える時に破損していて、式神の術式の効力は消えている。


 だが、必要なのは護符そのもの。


「霊力がもっとあればなぁ」

「後悔しても遅い。……死になさい」


 俺が諦めたと思ったのか、銀襴が地面を蹴って突撃してくる。

 全身鎧の巨体が突っ込んでくるようなものだ。喰らえば、ひとたまりもない。


「そこに来るのを待ってた」


 銀襴が一歩踏み出した瞬間、地面の護符が光りだす。

 護符はただばら撒かれていたのではない。銀襴を囲うように円を描いているのだ。


 さらに、護符には複数枚で円形になって初めて効力を発揮する術式を仕込んである。


「紋章術──」


 銀襴を中心とした円の中に青白く浮かび上がるのは、蓮華の紋様、


冰蓮ひょうれん


 瞬間、地面から……氷の華が咲いた。


 蓮華が銀襴の全身を飲み込み、氷漬けにする。


「馬鹿な……!」


 四本の尻尾は、俺に辿り着く直前で、停止した。


 銀襴は口を開けたまま、氷に閉じ込められた。


 残ったのは、地に咲く氷の蓮と、その中の物言わぬ氷像。


「霊力がもっとあれば、こんな護符の無駄遣いしなくて済んだんだけどな」


 最強の陰陽師に、四尾ごときで挑んだのが間違いだ。

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