第9話 変化の術

「ちゃんとよく見てましたか?」

「ああ、いや、うん」


 肯定すべきか否定すべきか。どっちが正解だ?


 しかし、弥子は一糸まとわぬ姿であることを気にする様子もない。


 ……考えてみれば、妖狐の姿はみんな全裸なわけだし。

 裸であることを気にするのは、人間くらいなわけで。


 真の姿ではない人間体で、恥ずかしがるのもおかしな話だ。


(元人間の俺にとっては気まずいけど!)


 特に、弥子みたいな美少女が相手だと。


 前世はいい大人だったわけで、なんだか悪いことをしている気分になる。

 ていうか、バニーガール姿で恥ずかしがってなかったっけ……。あれは露出というより、普段と違う格好なのが恥ずかしかったのか。


「変化はこのように、変化したい~と思ったらできます」

「……え? それだけ?」

「はい。あとはイメージですね。変化後の姿をイメージすると、スムーズですよ!」


 いそいそと弥子が巫女服を着たので、安心して再び視線を戻す。


「イメージ……」


 そんな曖昧な感じなのか、と衝撃を受ける。


 例えば、陰陽術の発動には正確な術式が必要だ。少しでも間違えると、発動しないか、暴発する。

 変化の術のような複雑な妖術も、それなりに詳細な条件指定が必要だと思いこんでいたのだ。


 だが、妖術に術式なんてない。変化も狐火のように、本能レベルで使えるものだとしたら……。


 俺が変化を使えなかったのは、その勘違いのせいだったのかもしれない。


「なんで弥子は人間の姿をイメージしたんだ? 人間が嫌いじゃないのか?」


 ふと気になって、弥子に尋ねる。


「別に嫌いじゃないですよ? むしろ好き寄りです」

「でも、前に憎き陰陽師って」

「陰陽師は嫌いです! 殺そうとしてくるので!」


 腰に手を当てて、ぷんぷん怒る弥子。

 妖怪からしたら当然の反応だった。


 その怒りはすぐに収まり、弥子は遠くを見ながら微笑んだ。


「弥子は、昔人間と一緒に暮らしていたんです」

「え?」

「妖怪になる前ですよ? 普通の狐だった頃は、人間の家で飼われていて……その人間の姿が、この弥子です」


 えへん、と胸に手を当てて、自慢げに言った。


 なるほど……。俺のように最初から妖怪として生まれたわけではなく、狐から妖怪へと転じたのか。

 その後なにがあったのかはわからないけど、人間との共存を目指す十六夜の元に身を寄せているのは、人間と暮らした過去があるからなのだろう。


 人間を深く知っているほど変化しやすいのかもしれない。

 なら……俺は誰よりも、得意なはずだ。


「やってみる」

「朔夜さま、頑張ってくださいっ」


 ぐっと拳を握って、応援してくれる。

 そんなに見られるとやりづらいが……まあいい。


 新たな術は、二本目の尻尾に宿る。

 二尾の霊力に意識を向けた。尾によって違うことを認識した後だと、たしかに、若干霊力の質が違う。


 次に、イメージだ。

 これは簡単。むしろ、今の姿の妖狐姿のほうが違和感があるくらいだ。


 戦闘を生業とする者として、前世の肉体は隅々まで認識していた。指先まで繊細に動かし、歩幅をも完全にコントロールする。それが日常だったし、訓練してきた。

 今でも、身体の感覚は正確に覚えている。朝起きた時、人間のつもりで歩きだしてしまうくらいに。


「二尾──」


 前世の身体をイメージしながら、二尾の霊力を滾らせる。


変化へんげの術」


 次の瞬間……視点が高くなった。


「わぁ、さすが朔夜さまです! すぐにできるようになってしまうなんて!」

「成功……したのか?」

「はいっ。しかも、私と違って完全な変化です! 服もありますし」


 戸惑いながら、己の手を見る。

 慣れた、人間の身体だ。


 だが……自分の手は、ひどく小さかった。

 小学生か、幼稚園児か。幼い子どもの手だ。


 服は、陰陽師見習いだったころの白い着物。狩衣と呼ばれるものだ。


「なんで子ども……?」

「なぜって、朔夜さまはお子さまではありませんか」

「たしかに」


 一歳児にしては大きい気がするけど……。

 自己認識と実年齢が干渉し合った結果なのかもしれない。


 近くの川を覗き込み、狐火で照らした。

 鏡のように反射して、俺の姿を見せてくれる。


「……白い、な」


 白狐だからか、髪は真っ白だ。

 顔つきは、俺の幼少期そっくりである。五歳くらいかな。


「ふふっ、人間の姿もお可愛いですね」


 弥子がにこにこしながら、俺の頭を撫でてくる。この姿だと、余計に気恥ずかしい。


「でも、早くも弥子を超えてしまわれるなんて……。弥子、もう用済みですね」


 未だ不完全な変化しかできない弥子が、悲しそうに肩を落とす。


「そんなことない。弥子のおかげでできたんだ。今後も頼りにしてる」


 気づけば、そんな慰めの言葉をかけていた。

 妖怪を慰めるなんて、どうかしてる。


「朔夜さま……! 弥子は朔夜さまに仕えられて幸せです!」


 だが、ぱっと明るくなった彼女の顔を見て、言ってよかったと思った。


「さっそく、十六夜さまに報告しましょう!」

「え、いや、それは」

「ふふふっ、きっと十六夜さまもお喜びになられますよ」


 妙にテンションの高い弥子とともに、神社へ戻る。


 一年経っても、十六夜への苦手意識が消えないんだよな……。

 逆立ちしても勝てない圧倒的な霊力に加え、今世の母であるという関係性。

 さらに、毎日コスプレをしている変人……。


「十六夜様! 何卒、ご検討を!」

「くどい」


 神社に近づいた時、なにやら言い争う声が聞こえた。


 この声は……四尾の銀狐、銀襴だ。

 人間との共存を掲げる十六夜に対し、人間狩りを望む銀襴。

 二人の対立は、この一年、繰り返されてきた。


 銀襴があくまで十六夜の説得を目指すのは、人間との戦争に、十六夜の協力が必須だからだ。

 十六夜に勝てるほど、銀襴は強くない。さらに、銀襴の派閥だけでは、陰陽師と敵対するには不安が残るのだろう。


 だが、十六夜が首を縦に振ることはない。


「十六夜様は甘すぎます。陰陽師どもと共存なんてできるはずがない」

「それはどうかのう。おお、朔夜よ。帰ってきおったか」


 十六夜の視線が、入口に立つ俺と弥子に向く。


 銀襴を放置して、俺たちに歩み寄る。


「うむ、素晴らしい変化じゃ。朔夜は妾以上の妖狐になれるかもしれぬな」

「ぜひなりたいね」

「ククク、これは負けていられぬ! 母として、高い壁で居続けねば」


 いや、これ以上強くなられると困るから勘弁してください……。


 というか、俺が変化を成功させたことは特に驚かないんだな。……いや、褒めてほしかったとかでは決してないんだけど。


「お待ち下さい! 話はまだ……」

「陰陽師との共存は、たしかに難しいと思っておる。しかし」


 十六夜が、俺の頭に軽く手を置いた。


「朔夜なら、成し遂げてくれるやもしれぬな? 少なくとも、お主くらいはすぐに追い越すであろう」


 なんでわざわざ挑発するんだ。

 ほら、銀襴が俺を睨み始めた。


「ほれ、銀襴はもう帰れ。妾は忙しいのじゃ」

「……また伺います」


 十六夜が神社の奥に帰っていく。

 すれ違って出ていく銀襴が、俺の隣に来たタイミングで、ぼそりと呟いた。


「お前がいなくなれば、十六夜様のお気持ちも少しは変わるかもしれない」


 なにそれ、殺害予告?


 真意を問いただそうと振り向いた時には、もう銀襴の姿はなかった。

 厄介なことに巻き込まれそうだな……。


 まあ、人間に楯突く奴には俺も容赦しないけど。


「見よ朔夜! 人間たちに大人気のせーらー服じゃ!」

「忙しいってそれかよコスプレババア!」

「反抗期かのう?」


 銀襴が可哀そうになってきた。

 なんでこんな奴が妖狐族の王なんだ。


 ちなみに、弥子のセーラー姿は非常に可愛かった。

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