第8話 弥子の変化レッスン

 犬の式神、無吠むはいを召喚した後は……妖怪狩りの効率がめちゃくちゃ上がった。


「ん、ご苦労」


 無吠が捕まえてきた雀の妖怪を、一口で丸呑み……じゃなかった、吸収する。


 霊力の吸収は、他の妖怪でもできるだろう。

 だが、意図的に他者の霊力を己のものとする技は、高い操作精度を必要とする。また、そもそも方法を知らなければできない。

 ただ吸収しただけでは、ほとんどが体外に出てしまい効率が悪いのだ。


 そう考えると、俺は他の妖怪よりも早く強くなれるかもしれない。


「偉いぞ〜無吠」


 次々と捕まえてくることを褒めると、無吠はぶんぶん尻尾を振った。

 式神だけど、こういうところは普通の犬っぽいよなぁ。


「久々に会うと、なんだか愛着が湧くな……。よし決めた。お前は消さず、ずっと一緒にいよう! 周りが妖怪ばっかりで寂しかったんだ」


 式神は、あくまで擬似的な生命。

 種類にもよるが、無吠のように即席で作り出した式神は、一度消したらそれまでだ。もう一度無吠を召喚したとしても、同じ個体ではない。


 俺の言葉が嬉しかったのか、無吠は頭を俺の身体にこすりつけた。


「おうおう、嬉しいか。俺も嬉しいぞ。これからも一緒に──」

「朔夜さま~」

かい


 弥子の声が聞こえたので、即座に式神を消した。


(俺の無吠ちゃんがぁああああ)


 いや、まあ式神に大した思い入れなんてないんだけど。

 弥子に見られるわけにはいかないから、仕方ない……。


「あ、いた。またこんな遠くまで来て!」

「本当は外に出たいんだけどね」

「めっ、ですよ! 外は危険でいっぱいなんですから」


 巫女服を来て、狐耳と尻尾を生やした弥子は、今日も人間に変化している。思えば、妖狐姿は見たことがないな。


 別に彼女や母……白神十六夜の言いつけを守る義理なんてない。

 妖怪と契約するべからず──陰陽師にとって、当然の掟だ。口約束であっても、それを呪いのトリガーとする妖怪も多い。


 それでも俺がこの山に居続けるのは、妖狐として強くなるためだ。

 陰陽術が使えても、妖狐としても成長しなければ、強い妖怪には敵わないだろう。妖狐に生まれ変わったことをプラスに考え、今は他の妖狐から学ぶ期間としているのだ。


 幸い、人間の赤ちゃんと違い、既に動けるようにはなっている。


 対妖部隊『スイレン』の裏切り者の調査も早いところ進めたいが、今は我慢だ。

 そもそも、まだ変化すらできないし。


 焦りは禁物。今は力をつけるのが先決だ


「たった一年でお世話がいらなくなるなんて、弥子は寂しいです」

「……おかしいとは思わないの? 一年どころか、一ヶ月で話せるようになって」

「十六夜さまの御子なら、そのくらい当然では?」


 きょとんと小首を傾げる弥子。

 当然らしい……。


 まあ、妖怪にも色々いるからな。

 生物学なんて通用しない、超常の化け物たちだ。話すくらい驚くことでもないか。


「でもでも、もっと甘えてくれてもいいんですよ?」

「やめとく」

「そんな……! 生まれたばかりの頃は、弥子ちゃん大好き! と言ってたのに……」

「記憶捏造するのやめてくれない?」


 鳴き声を勝手に脳内変換するのは弥子の得意技である。

 実は威嚇してただけなんだけど。


「ううっ……朔夜さまが冷たいです……。早くも弥子離れ……」


 ずーん、と弥子が肩を落とした。


 彼女と接していると、戸惑うことが多い。

 前世の俺にとって、そして人間にとって、妖怪は絶対悪で、許してはならない敵だ。……そう、思っていた。


 でも、弥子は表情豊かで、人間くさくて、明るい。

 弥子を敵だとは、どうしても思えなかった。平たく言えば、情が移ってしまったのだ。


「あ~、じゃあ、弥子に頼みたいことがあるんだけど」

「はい! なんなりと!」


 俺の言葉に、弥子が満面の笑みで顔を上げた。

 ぴこぴこと耳が動いている。


変化へんげの術を教えてほしい」

「もちろんです! 朔夜さまなら、すぐできるようになりますよ」

「助かる」


 二つ返事で了承された。

 変化の術。妖狐の基本ともいえる術だが、狐火と違い、試しても使えなかったのだ。

 なにかコツがいるのかもしれない、と弥子に教えを請うことにした。


「でも、変化なら十六夜さまに頼んだほうが良いのでは? 弥子はまだ完全な変化はできないですし、それに比べて十六夜さまの変化は、全ての妖狐の中でも最高峰です」


 たしかに、弥子は人間に化けても耳や尻尾が残ってしまっている。それい、巫女服は変化ではなく、普通に着ていたはずだ。

 あのコスプレババアは、日毎に違うコスプレ姿に変化する変態だが、その実力は疑うべくもない。

 見ただけであの再現度……能力の使い道を間違えている気もするけど。


「いや……十六夜さまはいいかな……」

「つまり、十六夜さまより弥子がいいと……! もしかして、弥子のことを親だと思ってたり……? ああっ、これは不敬すぎますっ。でも、朔夜さまのママになりたい……。せ、せめてお姉ちゃんと呼んでください!」

「弥子」

「はっ、すみません、取り乱しました」


 どこかへトリップしていた弥子を呼び戻す。


 こほん、と咳払いした弥子は、真面目な表情になった。


「では、変化をお教えしますね。まず、朔夜さまは狐火を使えますよね?」

「うん」

「多くの妖狐は、一尾の術が狐火です。二尾からは、それぞれ違う術が発現するのですが、変化の場合が多いですね。弥子も変化です」

「……ん? 待って、尻尾が増えると妖術が増えるのか?」

「さようです!」


 そんなシステムだったのか……。

 今の俺は二尾。一尾が狐火だとしたら、二尾になんの術が宿っているのか……。

 もしそれが変化じゃなかった場合、尻尾が増えるまで変化はお預けになる。


「さらに、何に変化できるかは素質次第です。十六夜さまは何にでも変化できますし、他の者でも訓練次第で増えていくとは聞きますが……たいていは、人間や動物、あるいは物や自然……なにか一種類に変化できることが多いですね」


 たしかに、神社に一緒に住む妖狐たちは、色々なものに変化している。

 人間の姿をしているのは十六夜と弥子くらいで、他は掛け軸や壺など、物に変化する妖狐が多いように思う。


 ……俺の目的からすると、人間になれなければ話にならない。

 ちょっと不安になってきた。


「では、教えていきますが……まずは見てもらった方が早いですね」


 弥子が祈るように両手を合わせた。

 次の瞬間、弥子が蜃気楼のように揺らいで消えた。中身を失った巫女服が、ばさりと地面に落ちる。


 代わりに現れたのは、二尾の妖狐だ。弥子が変化を解いた姿である。

 俺よりやや大きい程度の狐が、巫女服を座布団のようにしてちょこんと座っていた。


「では、変化していきますね」


 妖狐の変化は、ただの幻術ではない。

 体積も材質も違うのに、実際にその姿になるのだ。

 どういう術式なのかさっぱりわからない。


 俺は見逃さないように、弥子の変化をじっと見つめる。


「変化」


 弥子が小さく呟いた。

 さっきとは逆だ。狐が消えたかと思うと、一瞬にして、人間姿の弥子が現れた。


 ──裸で。


「じゃーん、これが変化です! ……? 朔夜さま、どうかしました?」


 凝視していたせいで、少女の裸をじっくり見てしまった俺は、数秒遅れで慌てて目を逸らすのだった。

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