第5章 やって来た王女

第18話 まだ婚約者が決まっていない半月後のある日



 それは、昼下がりのティータイムの時間にやってきた。


 私がこの国に来てからもう少しで一ヶ月が経とうとしていた日のことだ。

 その日、私は午前中、王子妃教育に精を出していた。

 この頃には、数学や物理といった理系科目は及第点とのことで、普段から使い慣れる必要のある国語や外国語、また、マイケルや二人の王妃による国の情勢に関する情報把握が主な内容となっていた。


 ちなみに、私の教育内容については、教師達の中でかなり意見が割れてもめにもめたらしい。

 なにしろ、理系の教師達がこぞって、私を王子妃という名前の研究者にするべきだと主張したのだ。

 敵国の王女ということで、政治的な部分に関与させたくないということなのだろうか。

 授業は真面目に受けていたし、教師の皆さんには授業の間は基本的に褒めてもらっていたので、仲良くなれていたと思っていたけれども、派閥というのは人の間に溝を作るものなのだろう。悲しいことだが、まあしかたがない。


 そんなこんなで、午後は二人の王妃様と共にティータイムを過ごしながら、マナーレッスンの最終確認や、世情に関する会話に慣れる――という名目で、きゃっきゃうふふと女子会を開いていた。

 基本的に、私がお二人の話をニコニコ聞いて、お二人が色々なことを教えてくださる、という素晴らしい会だ。

 第一王妃ナサリエはアイリス姉さまと同じ金髪碧眼の弓張月だし、第二王妃ニコラはダークブロンドの髪に紺色の瞳が知的な弓張月で、美しく高貴な月を両脇に携えた今日の私は最強なのである。


「そういえば、ヴィオレッタちゃんは好き嫌いないわねえ」

「マグネリア王国のお食事、とても美味しいです」

「もう! 本当に可愛いんだから」

「本当です。お魚の、お出汁……でしたか? 大好きです」


 初日から私を魅了したのは、マグネリア王国にある巨大湖、マグネリア湖から取れた魚介類だ。

 かみしめるとジュワッと口の中に広がるうま味――うま味というのだと習った――に、私は夢中なのである。

 昨夜いただいた魚介の味わいを思い出して、思わず頬を抑えると、二人の王妃は自尊心を満たされたようなウキウキとした様子で微笑んでいた。


「ヴィオレッタちゃんは本当に上手よね」

「?」

「わたくしたちの心を掴むのが本当にうまいってことよ」

「いいお嫁さんが来てくれてよかったわぁ」

「……あの、それなんですけど」

「何かしら?」

「私、本当にお二人の義娘になれるんでしょうか」


 私が肩を落としたところ、二人の王妃は苦笑いをしながら目をさまよわせていた。


 実は、この国に来てから一ヶ月もたとうというのに、私の婚約者はまだ決まっていないのだ。


 正確には、半月前の家族会議の場で、マイケルが自分の婚約者にすると名乗り出た。

 しかし、メルヒオール以外の王子達の大反発を受けて、私の婚約者決めが保留になってしまったのである。



   ~✿~✿~✿~


「ヴィオレッタは、私の妻として迎えることにしようと思います。父上、母上方、構いませんよね」


 あれは確か、夜ご飯を終えた後の一家の団欒の場での出来ごとだった。

 部屋に引きこもっているミゲル以外の家族が全員そろっている中、マイケルが私を婚約者に据えると申し出たのである。


 マイケルの宣言を聞いて、国王と二人の王妃は笑顔で頷き、私の横に居るメルヒオールは興味深そうな顔で目を瞬き、私は(あら、結局本当にそうなるの?)と首をかしげ、ソファにしどけなく座っていた彼の末弟二人――十三歳のモーリス第四王子と十一歳のマクシム第五王子は飛び上がった。


「「反対反対反対!!!!」」

「えっ?」

「えーとえーと、マイケル兄上は国王になるお方です! 他国の王女をめとるのは、あまりにも危険です!」

「彼女に失礼だろう、モーリス」

「いえいえいえいえ僕もそう思います、マイケル兄上! ですからご安心ください。第五王子たる僕、マクシムが彼女と結婚します」

「はぁ!?」

「マクシム、何を言う! ヴィヴィちゃんと結婚するのは、第四王子たる俺、モーリスだ!」

「ヴィヴィちゃん!!?」

「大丈夫です! マイケル兄上より僕達のほうがずっとヴィヴィちゃんと仲良しですから、安心してください」

「な、な、な、な」

「大体、マイケル兄上は元々、王子の誰かと結婚すればいいって言っていたじゃないですか」

「マイケル兄上との婚姻が両国間に必須なら、最初からそう組んでいたでしょうしね」

「別に俺達がヴィヴィちゃんと結婚しても構わないですよね」

「まさかマイケル兄上、ヴィヴィちゃんのことを好きになっちゃったんですか?」


 末っ子マクシムの言葉に、王家の居間は静まり返った。


 団欒の中心で固まるマイケル王太子。

 注目するロイヤルファミリー。

 ついでに私。


 じわじわと赤くなっていくマイケルの顔に、私はあらあらと目を見張る。


「違う……」


 聞き取るのも大変なほど小さな声で呟かれたそれを、信じた者はいるのだろうか。


「これ、やばいぞマクシム」

「やばいですね、モーリス兄上」

「俺達がヴィヴィちゃんを奪ったら、地の底まで追ってくるレベルでやばい」

「……………………な……こ……は……………」

「何を言ってるか全然わからないな、マクシム」

「そうですね、モーリス兄上」


「二人とも、もうやめて差し上げろ」


 ここで口を出したのは、他人事みたいな様子で私の隣で話を聞いていた、第三王子メルヒオールである。


「とにかく、ヴィヴィを呼び寄せたマイケル兄上が、彼女を自分の婚約者として迎えたいと判断したんだ。父上達もそれを認めている。ヴィヴィに異論がないなら、お前達に口を挟む権利はない」

「え?」

「え?」


 首をかしげた私に、メルヒオールは驚いた顔でこちらを見た。

 異論がないとは言っていないのだけれど。


「えっ。ヴィヴィはマイケル兄上だと嫌なの?」

「嫌……というより、あの……」


 チラリとマイケルを見ると、マイケルは青を通り越して白い顔をしてこちらを見ている。


 今のままマイケルと結婚したら、ただの契約結婚になってしまうのだ。

 それではアイリス姉様に与えられた使命を果たせないような気がする。

 が足りない。

 マイケルと契約結婚のために婚約するのだとしたら、もう少し時間をかけて、その心をすこぶるなぶり落としてからにしたい。


 それを言おうとしたところで、バァーーン!!!!という大音量を立てて、王家の居間の扉が開いた。


 使用人がやったとしたら、割と結構なお叱りを受けてしまう行為だと思う。

 そう思って、恐る恐る扉の方を見ると、そこに立っているのは、王族の一人だった。

 ダークブロンドの髪に若草色の瞳、勝気な雰囲気のある端正な顔立ちをした二十歳の若者。


 この場に居なかった王族、第二王子ミゲルである。


「反対です!!」


 なんのことだ。

 いや、なんとなく予想はつくが、普通に会話に入り込んでいる君はどこから我々の話を聞いていたのだ?


 その場の誰しもが疑問符で一杯になりながらも、同時に驚きで思考が止まってしまって、その疑問をミゲルにぶつけない。

 一同が言葉を発しない中、ミゲルは大声で叫ぶ。


「反対です、反対です、反対です!! この女――ヴィオレッタは、兄上の妻に相応しくありません!」


 数日、自室に引きこもりきりだった第二王子の急な暴挙に、ロイヤルファミリーも私も唖然として彼を見ている。

 先ほどまで寝台の上にいたのか、着ているのは寝巻きだし、いつも綺麗にセットされていたダークブロンドの髪はポワポワになっている。

 しかし、あまりに必死の形相なので、誰もそれを指摘することができない。


 彼の勢いに押される中、口を開いたのはマイケルだった。


「……では、どうしろと?」

「わ、わた、私が!!」

「うん?」

「私が、彼女と結婚します! 兄上の、身代わりに!!!」


 シーンと静まり返った居間。

 どうしたらいいのかわからないといった顔で私を見てくる国王夫妻。

 兄の奇行にドン引きしているメルヒオール以下三名の弟。

 ビキビキと青筋を立てているマイケル。


 地獄のような空間だわと思いつつ、とりあえず私は言うべきことを伝えようと口を開いた。


「ミゲル殿下」


 私が呼びかけると、扉を仁王立ちで開いているミゲルは、ビクリと体を震わせてこちらを見た。

 私と目が合うと、あっという間に顔を上気させて真っ赤になってしまう。

 若草色の瞳が映えて、とっても綺麗。

 ……でも、これで結婚なんてできるのかしら?


「だめです」

「えっ」

「身代わりは、いやです」


 ちゃんと、あなたが私を見てくれないと。


 そう言った後、右目でパチンとウィンクをして、口元に指を立ててみた。


 これは、メルヒオールから貸してもらった『人の魂は触れずとも動かせる』という極意本に載っていた技なのだ。心や情動を動かす数多のテクニックが記載された、メルヒオール曰く、夜にも役立つ玄人向けの本なのだとか。確かに、言葉だけで相手の気持ちを盛り上げる難易度の高い技術が大量に記されていた。一部、私のような素人では理解できない記述もあったくらいだ。


 閑話休題、私のウィンクによって魂を動かされたミゲルは、案の定、声にならない悲鳴をあげてその場を走り去ってしまった。

 どうやら私は秘伝の技をうまく使えたらしい。


 今の見た!?と言う気持ちで私がメルヒオールを振り向くと、彼は青ざめた顔でサッと目を逸らした。

 褒めてほしかったんだけど。

 私の初めての友人は、やっぱり割とドライなのである。


「……とりあえず、保留で」


 国王の鶴の一声で、すべては保留になった。


 そして、なんだかんだ、半月が経過してしまったのである。



   ~✿~✿~✿~


「息子達が迷惑をかけてごめんなさいね」

「いえ」

「ヴィヴィちゃんも困っちゃうわよね。実際、王子妃教育や今後の立ち回りだって、次期王妃になるのか時期王弟妃になるのかで変わってくるものだっていうのに……」


 第二王妃ニコラの言葉に、第一王妃ナサリエも肩を落とす。


 確かに私の妃教育は、もはや私が望むがままの知識吸収の会になってしまっている。

 それもこれも、今の私は他の貴族にあいさつ回りができないからだ。


 私が誰の妃になるのかという事実は、貴族の皆様の私への扱いに大きく影響する。

 身分不安定なまま挨拶をするというのは、私としても相手としても、どのように対応したらいいのかわからず、困るばかりなのだ。


 そもそも、下手に身分不確定な私を、マグネリア王国貴族に接触させること自体もよくない。

 どの王子の妃になれだの、婚約内容に口を出して来られた日には、派閥争いが発生しかねない。


 そのため、私は今、貴族や官僚達から比較的隔離されており、勉強意外にやることがなく、時間が余って仕方がないのだ。


「わたくし達、マイケルに色々なことを任せすぎちゃったのね」

「仲の悪かったわたくし達をとりなしてくれたもの、あの子だったものね」

「そうなんですか?」

「そうなのよ。小さなころから利発でね。誰からも信頼されていて、理性的で、夫も既に多くの政務を任せていて……まさか、あの子がこんなふうに躓くなんて考えもしなかったわ」

「王子間でヴィヴィちゃんの婚約について揉めるなんて、よくないわよね。どうしてこうなっちゃったのかしら」


 しょんぼりしている二人の王妃に、私は二人を励まさなければと奮起した。


「大丈夫です、ナサリエお義母さま、ニコラお義母さま」

「ヴィヴィちゃん」

「マイケル殿下はちょっと人間らしくなっただけで、本質は変わってないと思います」


 今は少し、私に背中から秘孔を突かれて悶えているだけで、見栄っ張りで皆に誉めそやされるのが大好きな背伸びMAXの優等生であることは間違いがないのだ。

 ちょっと新たな境地を見出しつつあるような気もしなくもないけれども、母親二人の前でそれを言うのはさすがにマイケルがかわいそうなので控えることにする。


「マイケル殿下はとっても完ぺきな王太子さまです。きっとすぐに落ち着いて、いろんなことに決着を着けてくれますよ」


 だから大丈夫だと私が笑うと、二人の王妃も少し元気が出たようで、軽く微笑んでくれた。


「ヴィヴィちゃんはマイケルのことを信じてくれているのね」

「はい。私も、マイケル殿下には感謝しているんです」

「あら。マイケルと何かあったの?」


 興味津々の二人の王妃に、私は思わずゆるむ頬を抑えながら、首を横に振る。


 半月前、マイケルのおかげで私はアイリス姉さまへの『好き』を自覚したのだ。

 私の中にある、とっても綺麗な名前のついたその気持ちは、名前が付いたことで強さを増したような気がする。

 でも、これは私とマイケルと、想いを告げたアイリス姉さまだけが知っていればいいことなのだ。

 だから、何があったのかは二人の王妃様にも秘密なのである。


 私がよほど嬉しそうにしていたのか、二人の王妃はおやおやと目を見張った後、顔を見合わせた。


「これは……ヴィヴィちゃんの婚約者は決まりかしら」

「ミゲル、可哀そうに……」

「? なんですか?」

「い、いえ。なんでもないのよ」

「そうよそうよ。なんでもなくてよ、ほほほ……」


 こそこそと話をしている美しい二人に、私は首をかしげる。

 実に楽しそうにしているけれども、なんの話なのだろうか。


 不思議に思っているところで、侍従の一人が慌てた様子で私達の近くに寄って来た。


「――失礼いたします。お三方に、急報です!」


 目を瞬く私達に、侍従は告げる。


「ヴィオレッタ様宛てに、お客様がいらっしゃっています」

「お客様?」

「ヴィヴィちゃん宛てに?」

「まだたいていの貴族には紹介していないのに?」

「それが……その、ヴィオレッタ様の故国から来たとの話でして……ヴィンセント王国の使者が、こちらを……」


 侍従の差し出してきた手紙を受け取ったのは、第一王妃ナサリエである。

 手紙の中身を見てギョッとした彼女は、手紙をそのまま第二王妃ニコラに渡し、二コラも同じくギョッとして手紙を私に手渡した。


 言葉もない王妃達と、冷や汗をだらだらかいている侍従を横目に、私はとりあえず、手元にある手紙に目を落とす。

 手紙の封筒には、ヴィンセント王国の王族だけが持つ封蝋印が押され、中の手紙にも、王族印が押されていた。

 間違いなく、これはヴィンセント王国の王族が出した手紙である。


「え?」


 そこには、アイリス姉さまの字で、こう書かれていた。


『親愛なる我が妹 ヴィオレッタ へ


 マグネリア王国 王都に所在する 王国ホテル最上階にて待つ。


 あなたの姉 アイリス=フォン=ヴィンセント』


「……え?」


 何度か目を瞬いたけれども、その文字は消えることはなかった。

 とりあえず、二人の王妃に目を向けると、第二王妃ニコラは第一王妃ナサリエを見て、ナサリエは困ったような顔で頷いた。


「とりあえず、夫とマイケルを呼びましょうか」


 放心している私を置いて、二人の王妃はきびきびと、隣国の王女を出迎えるための準備を指示した。

 そして、国王の指示により、私はマイケルと共に、アイリス姉さまの居ると思しき王国ホテルを訪なうことになったのである。


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