第17話 口を利かなくなった第二王子と復活した王太子さま
その日から、マイケルは公務に復帰した。
「落ち込んでる場合じゃない」「ライバルがこんな身近に……」と眉を吊り上げて黒い顔をしていたのは気になるけれども、何か奮起するきっかけになることがあったらしい。
よくわからないが、私もマイケルと会話ができるようになったのでよしとしよう。
一方で、その日からミゲルは私に話しかけてこなくなった。
おそらく、やりすぎてしまったのだ。
私の体に入った愛猫フローラちゃんに襲い掛かっているところをからかった言葉が、刺さりすぎたのだろう。
アイリス姉さまやマイケルと反応が似ているし、間違いない。
一週間ぐらいで、口を利いてくれるようになるだろうか。
とにかく、周囲のみんなをメロメロにしなくてはならない私としては由々しき事態だ。
ただ、「ミゲル殿下のところにも忍んでいこうかしら」とぽろりとこぼしたところ、マイケルに全力で止められてしまったのだ。
「マイクは、ミゲル殿下が心配じゃないんですか?」
「心配だからこその制止だ!」
「ああ、なるほど。愛猫フローラちゃんの体を使うと、飼い主のミゲル殿下を怒らせてしまうかもしれませんね。なら、私がそのままこの体で」
「もっとよくない!!!!」
「えぇ……」
「不満そうな顔をしない! 僕が無理な要求をしているみたいな空気を出さない!!」
「……マイクは、私が会いに行ったの、いやだったんですか?」
しゅん、とつい肩を落としてしまう。
マイクは私とお話をすると、頬が紅潮してとても血色がよくなるので、私は頻繁に会いに行った方がいいのかと思っていた。
相変わらず、気が付くと私の周りを徘徊しているし、そこそこに私のことを気に入ってもらえているのだと思っていたのだけれども、まだ爪が甘かったということなのだろう。
(アイリス姉さま、使命を果たすというのはこんなにも大変なことなのですね……)
眉尻を下げて、上目遣いにマイケルの様子を窺うと、マイケルは口を開けたまま、顔を真っ赤にして、あわあわと声にならない思いと戦っている様子であった。
「マイク?」
「僕はいいんだ! 僕のところに来るのは、構わない。毎日来てもいい!」
「それは面倒だからいいです」
「面倒!?」
「それより、ミゲル殿下が」
「絶対にだめだ!!!!」
「えぇ……」
結局、マイケルの前で三回くらい、「私はミゲル殿下の部屋に忍び込みません」と宣誓させられてしまった。
解せない。
まあ、マイケルが居ないところでは、ミゲルはよく私の周りを徘徊しながらこっそりこちらを見ているので、長く続くようなら、どこかでミゲルを捕獲してしまえばいいだろう。
ふふっと笑みをこぼした私に、マイケルはごくりと唾を飲み込んでいる。
「ところでマイク、今日は何かお話があるんですか?」
今日はなんだか、思いつめたような、真面目な顔をしてマイケルが私のところに現れたのだ。
せっかくだから中庭でのお茶に誘って、二人で大きなパラソルの下にあるティーテーブルを囲んでいる。
私は外に居るのが好きだけれども、肌が白くて日に焼けると赤くなってしまうので、日陰に居ることはマストなのだ。
ちなみに、そのことを告げながら、私がさらけだされた自分の肩をチラリと見たところ、マイケルは「その肌をかくすところから始めようか」と侍女に薄手のショールを持ってこさせて、私の肩にかぶせていた。
実は、ようやくここで、マイケルの用意した服の仕立て直しが終わったのである。
なので、今日の私の服装は、淡い水色のデイドレスだ。
フリルの多用された、清楚で軽やかな印象の、可愛いお洋服である。
ただし、元々襟が詰まっていたところを切り取って、オフショルダーに改造されてしまっている。
「なんで首元を切り取った!?」
「ヴィオレッタ様はお胸が大きくていらっしゃるので、首まで詰まったお洋服だと、こう、よくないのです!」
「よくないってなんだ! 肌が見える方がよくないだろう!」
マイケルと侍女達の激しい攻防に私が目を白黒させていると、侍女達がにやりと笑った。
「そうおっしゃられるかと思いましたので、一つだけ残してあります」
そうして、襟元の詰まった淡い桃色のデイドレスを身にまとった私を見たマイケルは、何故かてのひらを返した。
「これは、よくない……危ない……」と呟いていて、侍女達が満足げに頷いていたので、彼らは共通の何かを得ることができたのだろう。そういえば、アイリス姉さまも、私の着せ替え人形をしている際に、「襟首が詰まった服が、危険だんて、そんな……」とはがみしていたことがあった。きっと、あまり似合っていなかったのだろう。姉さまの楽しい時間を損なってしまうなんて、本当に申し訳ないことだ。
閑話休題、とにかく今は、マイケルからの話なのである。
私がマイケルに、なんの用かと尋ねて首をかしげると、マイケルは長く息を吐いた後、珍しく真面目な顔をして私に向き直った。
「今日は、君の話を聞きたくて」
「はい」
「ヴィンセント王国は、どうして君を僕達の国に嫁がせたんだろうか」
「……」
要らない子だったからです、と素直に答えると、マイケルはしばし唖然とした後、慌てふためいていた。
「な、何故? 君のように優秀な女性が」
「優秀ですか?」
「もちろんだとも! 君についた教師達から、話は聞いている」
「先生方はとてもお優しいですからね」
「そ、そうじゃない。君は素晴らしい才能の持ち主だ。故国でも、そう言われていただろう?」
「……マイクも、故国での私の呼び名くらいはご存じでしょう?」
ぎくりと身を強張らせたマイケルに、私はにっこりと笑う。
呪われた子。
国の醜聞の象徴、居ないも同然の第三王女。
第一王女の腰巾着。
それが私の呼び名だ。
「それが正しいです。私は、アイリス姉さまのただの腰巾着なのです」
「……それが仮に正しいとしたら、君はアイリス殿下の傍に居なければいけないんじゃないのか」
「アイリス姉さまが、怖がっていたので」
「怖がる?」
「マグネリア王国の男の人は、野獣のような奔放な方ばかりだそうです」
野獣、と呟いて目を丸くするマイケルに、私は神妙な顔をして頷く。
「こう、女とみると見境がなく、夜な夜な、様々な女性の部屋を訪れることに精を出しているという」
「そんな動物みたいなことあるかな!? それが真実だとしたら、うちの国は人口増大に苦しんでいると思うよ!」
「ミゲル殿下を見て、私は確信しました……」
「あいつはなんてことをしたんだ!!!!」
「それで、アイリス姉さまが怖くて震えていたので、腰巾着の私が立ち上がったのです」
「……それは」
マイクは、目をさまよわせ、言いにくそうにしながらも、最終的に尋ねてきた。
「それは、アイリス殿下が、君を身代わりにした、ということでは……?」
「ありていに言えば、そうですが」
「ありていじゃなく言えば?」
「
「え?」
「ですから。騎士様みたいでしょう?」
「ええ?」
「……」
「ああ、うん。すごくこう……可愛い騎士様だね……」
「そうでしょう」
ふふーんと胸を張ると、マイケルは顔を赤くして私の張った胸を凝視している。
うん、野獣の国の人なので、仕方のないことなのだろう。
「アイリス姉さまは、騎士様が好きなんです」
「うん?」
「ベッドの下に、騎士様がお相手の夢小説が沢山隠されているのです」
「それ、僕が聞いていいことなのかな!?」
「私が騎士様みたいなので、きっと、アイリス姉さまの頭の中は、私でいっぱいだと思います」
うんうんと頷く私に、マイケルはしばらく目を瞬いていた。
まあ実際には、それだけではない。
アイリス姉さまはきっと、罪悪感でぐちゃぐちゃのはずだ。
私を犠牲にして、身代わりにして、自分だけが助かってしまった。
よわくて、つよい、アイリス姉さま。
痛みに弱いのに、それでもめげることなく、一生懸命に一人で立ってしまうアイリス姉さま。
私のせいで、あの美しい顔が歪んで、泣いてしまっているのだと思うと、これ以上なく心が満たされる。
それを言おうとしたところ、マイケルが先立って、何かに納得して「なるほどな」と頷いた。
「君のそういう姿は初めて見た」
「そうですか? メルヒーの前ではこんな感じですが」
「あいつは後で暗殺しておく」
「まあ。マイクは冗談がお好きですのね」
「君は、アイリス殿下が大好きなんだね」
「え?」
「え?」
目を丸くする私に、マイケルも目を丸くしている。
紫色の私の瞳と、マイケルの淡い水色の瞳がかちあう。
「君は、アイリス殿下を守ることができて嬉しいんだろう?」
「はい」
「彼女が、君を犠牲にしたとしても、ためらわないし、気にしない」
「はい」
「それは、好きだということなのでは?」
「好き、がわかりません」
私は戸惑っていたが、マイケルも同じように戸惑っているようだった。
好きとは一体、なんだろう。
お父さまもお母さまもアイリス姉さまのお母さまも、好きに振り回されていた。
アイリス姉さまもだ。
アイリス姉さまは、話したこともないお母さまが好きで、恋しくて、その気持ちに振り回されている。
私は、それを横から見ていることを、心地よく感じる。
けれども、自分の中のその想いを、『好き』という名前にしていいのだろうか。
私のアイリス姉さまへの想いは、『好き』なのだろうか。
アイリス姉さまからの使命のほうが、正直わかりやすいと思う。
周りの人達を、私にメロメロにさせる。
執着と偏愛を生む。
それならば、手に取るように理解できる。
でも、『好き』は少し違う気がする。
私の中にある気持ちを、そんな、綺麗な名前にしてしまっていいものなのかな?
「君は、アイリス殿下の代わりにここに来たんだね」
「はい」
「例えば、アイリス殿下が誰かに殺されかかったら」
「盾になります」
「……そう。ヴィオレッタは、アイリス殿下の傍に居ると、嬉しい?」
胸の中に温かい気持ちが沸いてきて、思わずこくりと頷いた私に、マイケルは優しく微笑んだ。
アイリス姉さまと同じ金色の髪が、ふわりと風に揺れる。
「僕は、君はアイリス殿下が好きなんだと思うよ」
その日は、それからあまり話をしなかった。
ぼんやりと『好き』をかみしめている私に、マイケルはただそこに居るだけで、何も言わなかった。
私は、アイリス姉さまが好きなのか。
そうか。
これが、好き。
その日、私はアイリス姉さまに電報を打った。
電報なら、手紙と違って、即日相手に届けることができる。
文字数ごとにお金がかかるし、多くの言葉を伝えたいわけではなかったから、シンプルにしてみることにした。
『アイリス ネエサマ スキ デス』
その日、私は大変満足して、いい睡眠をとることができた。
好きな人に、好きと伝える。
なんと素晴らしいことなのだろう。
朝起きて、顔を洗って、身支度をして、体を軽く動かして午前中の授業に向けて準備をしていたところ、侍女の一人が私に戸惑った様子で声をかけてきた。
「ヴィオレッタ様。電報です」
どうやら、アイリス姉さまから返事が来たらしい。
私が嫁ぐまで敵対していたヴィンセント王国からの電報だ。
検閲はされていて、どうやら侍女も内容を知っているらしい。
ドキドキしながら私はその電報を受け取る。
『イマスグイク』
いますぐいく。
います、ぐいく?
いますぐ、イク?
「え?」
まさかね。
何かの思い違いだろうと、私は首をかしげながら、その日の王子日教育の授業を受けに部屋を出た。
その半月後。
アイリス姉さまが私の前に現れた。
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