第19話 やってきた待ち人
私はマイケルに連れられて王国ホテルまでやってきた。
その旅路はもう、千年もかかったのではないかと思うほど長いものだった。
「マイク。まだですか」
「まだだよ」
「まだですか」
「まだだね」
「もう降りていいんじゃないですか」
「まだ馬車に乗って三十秒だからね」
「馬車を降りたほうが速いです」
「馬の足に勝つのはやめようか」
「何をしたらもっと早くしてくれますか」
「僕に身売りをしない! ハッ……いや……。だ、男女が仲良くすると、相対的に時間が……早まるとかっ……!」
「それより空間を超えてください」
「異次元に難易度を上げるんじゃない!」
マイケルの苦情を無視して、私は窓に張り付いて、馬車の進み具合を確かめる。
早く早く。
早くたどりつかないと、アイリス姉さまがこの国に飽きて居なくなってしまうかもしれない!
そわそわしながら、もう一度不満でいっぱいの顔でマイケルを見ると、マイケルはなんだかニコニコしながらこちらを見ていた。
その笑顔はなんだかむずむずするので、腹いせに、左目でウィンクをしながら口に指を立てて、「マイクのえっち」と呟いておいた。
マイケルはボフッと沸騰したような音を立てて、顔を真っ赤にした。そして何かと戦い始めた。馬車の中という密室に二人きりなので、戦う相手は私しかいないはずなのだけれども、器用なことだ。よくわからないけれども満足したので、私は再度、窓にはりついて馬車の進み具合を確かめる。
馬車は王都内ということもあり、とても進みがゆっくりで非常に焦らされたけれども、ここで飛び出して騒ぎになると逆に人につかまってしまいそうなので、馬車から飛び出すのは我慢した。
そして、王国ホテルに着き、すみやかに走り出したところ、私は必死の形相のマイケルに腰から掴まれて捕獲されてしまった。
「何をするのですか」
「君こそ何をするんだ!」
「外でこんなくんずほぐれつ」
「外で一体何を言い出すんだ!!」
「放してください」
「いいから、君はここに居なさい」
両肩を掴まれての強制エスコートという稀有な体験をしながら、私達はホテルマンの案内を受けつつ、最上階へと進む昇降機に乗り込む。ホテルマンが、この昇降機は魔石で動いていて、とても高価で、王国ホテルと王宮を含め、王都内にも数台しか配置されていないだとか、色々とうんちくを語っているけれども、全然耳に入ってこない。
私はただひたすら、私を拘束してくる王太子さまに小声で、「意地悪」「意地悪」「意地悪」と連呼するのみだ。
恨めし気にマイケルを見上げると、マイケルは新たな扉を開いたような、悶えるような目でこちらを見ていた。顔はほんのり上気していて、どうやら私の罵倒に悦んでいるらしい。
一体なんだというのか。
またしても腹が立ったので、斜め上から意地悪な顔でこちらを見ているマイケルに対して、ホテルマンに見えないようにしながら、「そんなに私が気になりますか」と胸の谷間を見せるように、ドレスの胸元をちらりと持ち上げてみた。
マイケルは真っ赤な顔で口をはくはくさせながらも、意外にも私の胸元から目をそらさない。
「野獣……」
「ゲッホゲホゲホゲホ」
「!? どうなさいましたか!?」
「な、なんでもない! ちょっと、唾が喉にからんだだけだ!」
「そ、そうですか……?」
赤い顔のマイケルに、ホテルマンは不思議そうな顔をしている。
なんとなく胸がすいたので、私は笑顔で、自分のことでもないのに「大丈夫ですよ」と答えておいた。
そしてようやくたどり着いた最上階となる地上十階である!!!
なにやら、アイリス姉さまは十階フロアを貸し切っているらしい。
「こちらでございます」
十階フロアの角部屋、最も広いスイートルームにアイリス姉さまは居るのだ。
走り出した私を、マイケルは今度は止めなかった。
誰も邪魔者が居ないフロアの廊下で止められたら、腹いせにマイケルに禿げの呪いをかけてしまうところだった。毛がふさふさな家系の王太子さま――第二王子くらいならともかく――が若くして禿げてしまうのは外聞がよくないと思うので、止められなくてよかったなと素直に思う。
一番奥の扉の前まで来ると、そこには見知った侍女が待機していて、私を見てあいわかったとばかりに頷き、「ヴィオレッタ様がおいでです」と先ぶれのベルを鳴らしてくれた。
侍女が変な顔をしていた気がするけれども、そんなことは気にならない。
「アイリス姉さま!」
私はドアマンが扉を開けると同時に、部屋の中に飛び込んで叫んだ。
美しい部屋だ。
外壁側の壁はすべてガラスで覆われていて、地上十階の景色を広く見渡すことができる。
大きな寝台が二つ揃っているのは仕様なのだろう。
シックな色合いの高級な革張りソファ、大理石の床には美しい毛並みのじゅうたんが敷かれ、高級感と上品さを兼ね備えた落ち着いた雰囲気の室内だった。
調度品も美しく気品があり、銀製の手持ちランプや観葉植物、美しい茶器に鎧のオブジェなど、目を楽しませる趣向が凝らされている。
しかし、肝心のアイリス姉さまが居ない。
キョロキョロと周りを見渡すけれども、人が居ないのだ。
心細くなって、もう一度室内を見渡したところで、待ち望んだ声が聞こえた。
「待っていたわ、ヴィオレッタ」
「! アイリス姉さま!?」
声はするのに、アイリス姉さまはどこにも居ない。
いや、なんとなく嫌な予感がする。
部屋の中心部には、仁王立ちの調度品――鎧が立っているのだ。
アイリス姉さまの声は、そこから……。
「……姉さま?」
「さあ、ヴィオレッタ。この国から逃げるわよ!」
「え?」
「大丈夫よ。姉さまに任せてくれれば問題ないわ」
「アイリス姉さま?」
「すべて手はずを整えているの。あとは二人で逃げるだけよ。あの嘘くさい笑顔の王太子がね、追って来たとしても、私が叩き伏せてあげる」
「嘘くさい笑顔の王太子」
「そうよ。和睦のための婚約だなんて言って、あいつ、全部嘘じゃないの!!!」
ギギギギ、と鎧が動いて、しかしその動きはまさにブリキ人形のようで、手に持った殺傷能力のなさそうな槍を動かそうとして、そのまま床にガシャリと崩れ落ちてしまった。
「くっ……これがマグネリア王国の罠……ッ」という愛らしい声と共に、鎧が立ち上がろうと必死に床でもがいている。
その動きはさながら、討ち果たされんとする骸骨魔人である。
私が鎧の近くに座って、そっと兜を脱がせてみると、美しい金糸が舞い、白い肌、薄い水色の瞳が煌めくアイリス姉さまが、ようやく姿を現した。
「姉さま」
「ヴィオレッタ。話はあとで聞くわ」
「姉さま、聞いてください」
「いいから、早くこの部屋から出るのよ」
「姉さまはまず鎧から出たほうがいいです」
「何を言うの! 護衛達もね、私の話を聞いてくれないのよ。なら、あなたを守るのは私しかいないでしょう!」
「姉さまは、私を守りに来てくれたんですか?」
私が期待に満ちた顔で首をかしげると、アイリス姉さまは涙目で叫んだ。
「あんな電報見て、放っておけるわけないでしょう!!!!」
可愛い可愛いアイリス姉さま。
なんと姉さまは、震えちゃうくらい怖がっていたマグネリア王国の本陣に、単身乗り込んできてくれたのだ。
私のために。
私のために!
「あっ、ちょっと! やめなさい、ヴィヴィ!」
嬉しくて、つい動けないアイリス姉さまの顔をぎゅーっと抱きしめてしまう。
「埋もれちゃう! 埋もれちゃう!」と慌てているアイリス姉さまは最高に可愛い。そのつやつやほっぺに散々キスをして満足した私は、もう一度アイリス姉さまをぎゅーーーっと満足いくまで抱きしめた。
好き好き好き好き好き好き好き好き。
「……はるばる、ようこそ。……アイリス第一王女殿下?」
愛を深める私達二人に、顔を赤らめながら気まずそうに後ろから声をかけてきたのは、もちろんマイケルだ。
マグネリア王国の王太子。
アイリス姉さまの、多分仇敵。
けれども、私の愛に物理的に埋もれたアイリス姉さまは、恨みと悔しさを乗り越え、その仇敵に助けを求めた。
そして残念なことに、動けないアイリス姉さまを弄んでいた私は、姉さまから引きはがされてしまったのである。
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