第34話「一難去って・・・」

 現世に帰還してから、丸一日が経過していた。


「旦那様、まだ目を覚ましませんね」 

「相当消耗してるみたい。医者が言うには、暫く目を覚まさないだろうって」


 二人の姿は、清明の入院する病室にあった。


 清明は致命傷となる傷はないようだったが、大小様々な傷を負っていたことで、結果として消耗が激しくなり衰弱しきっていた。


 包帯まみれの彼の身体からは、未だ色濃く死の臭いがこびり付いている。


「土御門くんが呪われてから、今日で4日目くらいだっけ?」

「それくらいになりますね」

「なのに、屍人になっていく気配がない。土御門くんの身体に、何が起きてるんだろ」


 陰陽庁で除染作業を受けた際に告げられたのは、清明に屍人の呪いがかけられているという言葉だった。


 普通であれば、屍人の呪いを乗り越える方法はない。個人差はあれど、時間の経過と共に必ず対象は屍人化していく。


 だというのに、応急処置を施された清明は、屍人特有の青白い肌になっていくどころか、どんどん生気を取り戻すように肌の色を回復させていった。これは、あり得ないことだった。


「そもそも、あの時何があったのです? わたくしは気がついた時には気を失っていたので何も覚えていないのです」


「死んでたはずの土御門くんが、突然息を吹き返したの。はすみの持ってた丸薬を飲ませたんだけど、カオナシが現れてどうにもできなかった」

「では、呪いはそのままなのですか?」


 心愛はその問いに首を横に振った。


「わからない。カオナシが言うには乗り越えたって言ってたけど、あいつの言うことは何一つ信用できないから」

「そうですね……はすみさんも心配です。あの後どうなったのか……」


「たぶん、儀式に利用されてるんだと思う。土御門くんを現世に送る代わりに、儀式の邪魔をしないって契約を結ばされたから」


 あの契約書は、呪術によって雁字搦めに構成されていた。いかな心愛とて、あの契約を破る方法はない。


「儀式ですか……なんの儀式なのでしょう」

「それも、わからない。けど、ヒントは得られた。契約書にあいつの名前が書いてたんだけど、芦屋道満って書いてた」


「芦屋道満?」

「あんたは知らないだろうけど、こっちの世界だとかなり有名人だよ」

「いえ、知っていますよ?」


 思いがけない答えに、心愛は素っ頓狂な声を出した。


「なんであんたが知ってるの?」

「寝物語に語られているのです。悪いことをすると、芦屋道満という陰陽師が懲らしめにやってくるぞ、と」


「これは驚き。あたし達の世界でも、芦屋道満は陰陽師だ」

「ですが、相当昔から語られている物語ですよ? 10年20年の話ではありません」


「こっちもそうだよ。芦屋道満なんて、ざっと1000年以上前の話だよ」

「どういうことでしょう?」


 芦屋道満は、その知名度の割にわかっていることが少ない。精々時の権力者の暗殺を目論んだが、安倍晴明により阻止された、ということくらいだ。


 様々な資料で目にするが、どれも眉唾ものな情報ばかりで信じるに値しない。それこそ、中には不死であるといった記載もあったが……。


「カオナシは本当にあの芦屋道満なのかな?」

「それを確かめるには、本人に問いただすしかないでしょうね」


 それができれば苦労しない。芦屋道満もそうだが、カオナシもまた知名度の割に謎に包まれた存在なのだ。


 今でこそ単独であると断定できるが、これまでは複数からなる組織だと考えられていたほどだ。いや、それすらも実際のところは怪しい。


「仮に、カオナシが芦屋道満本人だったとして、何を目的に動いてるんだろ」

「以前S区で会った際は、復讐と言っていましたよね」

「知ってる範囲で思いつく復讐の相手なんて、安倍晴明くらいのものだけど……安倍晴明はとっくの昔に死んでるからなあ」


 考えが煮詰まってきたタイミングで、心愛のスマホに着信が入った。


「げっ、栃木さんからだ」

「あなたのことですから、どうせまだ事情を説明していないのでしょう?」

「まーそうなんだけどね。仕方ない、出るかあ。もしもし?」


『西園寺くん、今どこにいるの?』

「土御門くんの病室」

『見舞いはそれくらいにして、いい加減事の顛末を教えてほしいんだけど?』

「わかったわかった。今から向かうよ。スズネも連れてくから。んじゃね」


 そう言って心愛は早々に通話を終了した。


「なんでわたくしまで」

「あんただって関係者でしょ? あたしだけ文句言われるのやだもんね」

「まったく……また来ますからね、旦那様」

「またね、土御門くん」


 病院から陰陽庁までは10分と離れていないので、歩いても向かえる距離だったが、連日の疲労から、心愛はタクシーでの移動を選択した。


 最初は車という乗り物に驚いていたスズネだったが、一度乗ってしまえば電車とそう変わりがないと気づいた。今では落ち着いて後部座席に座っている。


「そういえば、わたくしが陰陽師として働くという話はどうなっているのです?」

「あー、すっかり忘れてた。いい機会だから、報告がてら栃木さんにお願いするか」

「ぜひそうしてほしいものですわ。そう何度も銃を向けられたくありませんから」


 装備課を訪れて、職員に囲まれたのは記憶に新しい。あんな面倒は二度と御免だった。


 陰陽庁に到着した二人は、心愛のIDカードを使用して栃木のいる部屋に入室した。


「やっと来たか……」

 二人の顔を見て早々、栃木はため息混じりにそう言った。


「やーごめんごめん。あたし達もバタついててさ」

「で、一体全体何があったんだい。子細漏れなく語ってほしいものだね」

「はいはい。じゃあまずは――」


 心愛はここに至るまでの経緯をなるべく詳細に語った。


 話が進むに連れ、栃木の顔色はどんどん悪くなっていった。心愛はそれに気づいていたが、あえて無視して話を進めた。


 全てを語り終えるには、実に2時間もの時間を要したが、それほどまでに濃密な出来事の連続だった。


「つまり、ここに至るまで全て、芦屋道満を名乗るカオナシの手のひらの上ってことかい」

「ま、そうなるね」

「ウチの面目丸つぶれじゃないか……」


 栃木は今年始まって以降、最も深いため息をついた。


「なんとかしてカオナシがやろうとしてる儀式だかを阻止したいけど、言った通りあたしは契約があるから邪魔ができない」

「最悪の状況だな。西園寺くん抜きでカオナシの相手をしようだなんて、ゾッとしない話だ」


「他所から戦力を引っ張ってくるしかないかもね」

「厳しいだろうね。カオナシの相手ができるような人材なんて、どこでも主戦力だ。帰ってこないかもしれないのに、回してくれるとは思えない」

「それもそうか」


 栃木は再び深いため息をついた。心愛はそんな彼の様子に近々ストレスで禿げ上がりそうだな、なんて思いながら追い打ちをかけるようにこう言った。


「で、話はもう一個あって、スズネを陰陽師にしてほしいの」

「なんでまた? その子名の知れた盗人だろう?」

「土御門くんの直感。そうした方が良いって言ってたから」


 栃木は遂にため息では我慢しきれなくなったのか、今度はボリボリと頭を掻きだした。


「バカ言うな、と言いたいところだけど……」

「優れた陰陽師の直感は――」

「当たる。私だって一端の陰陽師だ、それくらいは理解してるさ。しかし、よりによって君を陰陽師にしないとならないとは……どうやって書類をでっち上げればいいんだ?」


「わたくし、そんなにこちらでは有名なのですか?」

「あのねえスズネくん、君2回も装備課襲ってるでしょ。忘れたとは言わせないよ?」


 スズネは痛いところを突かれたという顔を見せた。しかし、彼女にだって言い分はある。


「仕方ないとは言いませんが、ニ度ともそちらの職員を助けるための行動です。なんとか見逃していただけませんか?」

「それがわかってるから胃が痛いんだよ。というか、2回とも黙認してるのも私だしね」


「あら、そうだったのですね」

「当たり前でしょ。そうじゃなきゃ、装備を奪って陰陽庁を脱出するなんてできるわけないんだから」


 言われてみれば当然の話だった。これだけセキュリティのしっかりしている陰陽庁から、正規の手段を取らずに抜け出すなど不可能に近い話だ。


 栃木としては、あくまでも建前上必要だからあんなことを言っただけで、実際は清明の時も裏で書類を作ってあげていたのだ。


「わたくしてっきり、嫌な方かと思っていたのですが、意外と良い方だったようですね」

「伊達に局長やってないよ。まあでも、話はわかった。とりあえずは土御門くんが目を覚ますのを待つしかなさそうだ」


「ちょっと待って。土御門くんを戦わせるつもり?」

「西園寺くんを除けばウチで一番強いのは彼だ。当然の話だろう?」


 栃木としては事実を告げただけのつもりかもしれないが、心愛からしてみれば到底受け入れられない話だった。


「やめて。ただでさえ死にかけたんだよ? これ以上無理はさせないで」

「そうは言っても、彼以外をカオナシにぶつけてしまえば、いたずらに死者を増やすだけだ」

「だとしても」


「なんで君はそう彼のことになると理性を失うんだ。冷静に考えてみろ、彼以外に誰がカオナシに勝てるというんだい?」

「そんなこと知ったことじゃない。あたしは土御門くんさえいればいいの」


 最早議論にすらなっていなかった。心愛はどこまでも感情的に考えている。清明の身に危険が生じる可能性がある、ただその一点で栃木の言葉を否定していた。


「そこまで言うのなら、野蛮人がカオナシと戦えばいいのでは?」

「だからあたしは契約があるって言ったでしょ?」

「ですから、儀式が終わった後に倒せばよいのです」

「……その手があったか」


 言葉通り、心愛は盲点だったと言わんばかりに納得しかけたが、それに待ったをかけたのが栃木だった。


「いや普通に考えて論外だよ。儀式がどんな内容かわからない以上、阻止の方向で動くのが当然だ。洒落にならない儀式だったらどうするつもりだい」


「じゃあこうしよう。あたしが儀式の内容を調べるよ。調べるだけなら邪魔にはならないはずだし、その内容次第で改めて行動を考えよ?」


「それなら、まあ……その間に土御門くんの意識も戻っているだろうしね」

「まだ諦めてないのか。絶対に土御門くんは戦わせないから!」


 そう言って心愛は栃木に凄んだ。


「勘弁してよ。彼がいなくなった途端、昔の西園寺くんに戻っちゃってるじゃないか。最近は大人しいと思ってたのに……」

「そういえば、野蛮人の口調がハキハキしたものになっていますね」

「今は土御門くんいないからね。素はこっちだよ」


 心愛の言葉を聞いたスズネは、信じられないものを見る目で心愛を見た。


「殿方の前でだけ口調を変えてるのですか……?」

「土御門くんダウナー口調が好きって言ってたからそうしてるの」

「なんて厭らしい女……! 信じられませんわっ」


 スズネは正しく吐き捨てるようにそう言った。


「そうかな? 好きな人に合わせるのってそんなに変?」

「あなたのは程度が違います! そこまでやる人は見たことがありません!」


「うっさいなー。そんなの人の勝手でしょ? あたしは土御門くんに好きになってもらえたらなんでもいいんだ」 

「あなたの方こそ女狐ですわ。ああ、厭らしい厭らしい」


 スズネは言って、臭いものにそうするように鼻を抑えて着物の袖でパタパタと心愛を仰いだ。


「なんてことすんのさ! あたしが臭いみたいじゃん!」

「臭くて堪りませんわ~」


 ギャーギャーと言い争いを始めた二人を尻目に、栃木は再び盛大なため息をついた。

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