第29話「カオナシ」
心愛は背中に冷や汗が伝ったのを自覚した。
こちらに残された弾薬はマガジン一つ。後は消耗した無手のスズネだけだ。
とてもではないが、今までに陰陽師を何人も殺してきた相手とやり合える状況ではない。
「おっと、そう警戒しないでください。私は戦いにきたわけではありません」
「なんだとぉ?」
「あなた達の手助けをしにきたのですよ」
そう言って、カオナシはカードケースを心愛の前に投げた。
片時もカオナシから目を離さずに、慎重にカードケースを拾った心愛は中を改める。
そこには真っ黒な定期が2枚収められていた。どうやら「きさらぎ駅」発のようだが、異界行きの定期同様、区間の終わりは書かれていなかった。
「それは裏異界行きの電車に乗れる定期です。今のあなた達には必要でしょう?」
「裏異界? なんだそれはぁ? 聞いたことがないぞぉ」
「当然です。あなた達のような生者からは、最もかけ離れた位置に存在する場所ですから」
「どういう意味だぁ」
「あなたの世界風に言うと、黄泉行きの電車ですよ。つまり、死後の世界です」
その瞬間、心愛の中でこれまでのピースが繋がる音がした。
裏S区がなぜ裏とついているのか。裏S区の住人達が、なぜS区の住人のように影人ではなく「屍人」と呼ばれているのか。全ては死後の世界だからだったのだ。
「そういうことだったのかぁ……」
「本来、裏異界は死んだ者だけの世界です。しかし、S区だけは裏と表の隔たりが曖昧なのです。黄昏という時間がそうさせているのでしょう。だからここだけ裏に侵入できる」
「なんでお前がこんなものを持ってるー?」
「私は異物なのですよ。全ての異界をかき乱す存在。そうあるように生まれたのです」
質問の答えになっていない言葉に、心愛は「狂ってる」と吐き捨てるように言った。
「なんとでも。私はあなた達が欲して止まない、彼を救う手立てを知っています」
「今すぐ教えろ。でなきゃ――」
心愛は小銃を構え、その照準をカオナシの頭に向けた。しかし、彼はそんな心愛の様子に対し、微塵も恐れる素振りを見せず、くくくっと笑った。
「そのおもちゃで私の頭を撃ちますか? 試してみるといい。その瞬間、彼を救う方法はなくなりますがね」
「……っ!」
緊迫したムードだった。無抵抗に手を広げている今こそカオナシを殺せる絶好のチャンスなのだ。しかしそれは、清明の命と引き換えのチャンスだ。
「心愛さん。奴を殺す機会はいつでもあります」
スズネはそう言って心愛に銃を下げさせた。
「よろしい。実に良い判断です」
「旦那様を救う方法、ただで教えるつもりはないのでしょう?」
「話が早くて助かります。実は娘を探しておりましてね」
「娘? あなた子供がいるのですか?」
「娘といっても養子ですがね。はすみというのですが、少し目を離した隙に家出されてしまいまして」
スズネはその名前に覚えがあった。心愛を探してきさらぎ駅を歩いている時に出会った少女の名だ。心愛の居場所も、彼女に教えてもらった。
「お前の子供なんてどーせ化け物みたいな見た目してるんだろぉ?」
「いえ、人間の子供ですよ。歳は12歳でね。長い髪が特徴です」
「その子供、わたくし以前目にしましたわ」
「ほう! それはどこで?」
「きさらぎ駅です。サイレンが鳴ると、どこかへ行ってしまいましたが……」
「ふーむ。私が最後に見たのは、きさらぎ駅から裏異界へ向かったところです。恐らくあなたとはその途中で出会っていたのでしょう」
「人間が裏異界になんて行って大丈夫なのぉ?」
心愛の疑問は至極当然のものだった。今しがた裏S区という地獄を体験してきたからこそわかるが、あそこは普通の人間であれば10分と生きていられない。
「はすみなら大丈夫でしょう。アレは少々特別ですので」
「いいでしょう。はすみさんを見つけたら、旦那様を救う方法を教える。これに間違いはありませんね?」
「約束しましょう。私はS区の駅で待っていますので、はすみを見つけたら連れてきてください」
話は終わったとばかりに立ち去ろうとするカオナシを、心愛が「まだ話しは終わってないー」と呼び止めた。
「なんですか?」
「そもそも、なんでお前は土御門くんのこと知ってる?」
「あなたならもう気づいているんじゃないですか?」
「あたしはお前の口から聞きたいんだー」
本来干渉することなどできないはずの電車の爆破騒動に始まり、心愛が裏S区に一人放り出されたこと。
そして何より清明が呪いを受けて裏S区に取り残されていることは、スズネと心愛の二人以外、本来であれば知り得ないはずの情報だ。
「お察しの通り、この図を描いたのは私です」
予想が確信に変わった瞬間だった。全ての事象の裏に、カオナシの暗躍があったのだとすれば、不可解な現象にも説明がつく。
「やっぱりなー。いつからだぁ?」
「最初からですよ。彼に異界行きの定期を渡したのは私ですから」
「チッ……お前何が目的なんだー」
「復讐、とでも言っておきましょうか。彼は私が相手するに足る素質を持っている。大きく成長してもらいたいのですよ。これはそのための試練です」
心愛は無言でカオナシの頭を撃ち抜いた。
「心愛さん!?」
その行動に度肝を抜かれたのはスズネだった。唯一清明を救う方法を知っている者をいきなり撃ち殺したのだ。気でも違ったのかと心愛を見た。
「どーせ生きてるよー。ほら」
頭を撃ち抜かれ、地面に倒れていたカオナシはゆっくりと立ち上がった。
「やれやれ……やはりあなたは乱暴に過ぎる。もう少し性格がまともであれば、私の相手となれたかもしれないのに」
「そんな役目こっちから願い下げだー。子供はすぐに見つけてやる。土御門くんを助けたらすぐに殺してやるからなー」
「その役目は彼のものです。あなたはヒロインであってヒーローではない。物語の主役足り得ても、主人公にはなり得ないのです」
「訳のわからないことばかり言ってぇ……お前と話してると頭がおかしくなりそーだぁ」
「あなたと会話していると命が幾つあっても足りないようだ。この辺で退散させてもらいますよ」
そう言うと、カオナシは嘘のようにあっさりと姿を消してしまった。
「いきなり頭を撃つなんてどうかしてますわ」
「あいつのせーでこんなことになってるんだから、弾の一発くらい安いものだよー」
「まったくあなたという人は……それにしても、どこまで信用できると思います?」
「最悪全部嘘だろうねぇ。はすみとかいう子にしても、ほんとに娘かどうか怪しー」
「ですが今は、その不確かなものに縋るしかありません」
「これだからこの仕事は嫌になるよぉ……」
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