第28話「信じる心」

 走り始めた電車。最初の内は叫びながらドアをバンバンと叩いていた心愛だったが、やがてそれが無駄であることを悟ると、床に座り込んで静かに涙を流し続けた。


 スズネはそんな心愛の様子を、最初の内は黙って傍観していたが、次第に苛立ちが抑えきれなくなったのか、地面に座り込む心愛を無理やり立ち上がらせた。


「いつまでそうしているつもりです」

「……うぅ……土御門くん……」

「旦那様がなんのためにあなたを助けたと思っているのですか」


 問いかけるも、心愛はめそめそと涙を流すだけだった。


 いい加減苛立ちが限界にきていたスズネは、心愛の頬を張った。


 パンッと渇いた音が響く。一瞬、心愛は自分が何をされたのか理解できず呆けた顔を見せた。しかし頬を張られたことに気づくと、鋭い目付きでスズネを睨んだ。


「……なにすんのさぁ!」

「腑抜けに活を入れただけですわ。少しは目が覚めまして?」


「お前は悲しくないのかよ! 土御門くんが死んじゃったんだぞ!」

「旦那様は死んでません」


「お前も見ただろぉ! 土御門くんが屍人達に襲われる様を! そうじゃなくても取り憑かれてたのにぃ……!」


 スズネは心愛を軽蔑するような目で見た。


「あなたの想いなど、所詮はその程度でしたのね」

「どういう意味だよぉ!」


「旦那様は、片時もあなたが死んでいるとは思っていませんでした。必ず生きていると信じていた。だからこそ、組織を裏切ってまであなたを助けにきた」

「そう、だったの……?」


「そうまでして助けたあなたがそんなザマでは、旦那様も浮かばれないというものです」

「でも……」


 怒りのやり場を失い、再び無気力になってしまった心愛の頬をスズネはまた張った。


「いつまで悲劇の少女でいるつもりです! 助けに行くくらいのこと言えないのですか!」

「だって……取り憑かれちゃったら、元に戻す方法は、ない……」


「あなたが見つければいいでしょう!」

「無理だよぉ……あんたは屍人のことを知らないからそんなこと言えるんだぁ……」


 心愛の言葉を受けたスズネは心底失望したといった顔を見せた。


「ほとほと見下げ果てましたわ。あなたにはもう何も期待しません。旦那様はスズネがお救いします。あなたはいつまでもめそめそと泣いていなさい」


 清明に心愛を頼むと言われていたが、肝心の本人がこうまで無気力では、何をしても無駄だ。スズネは早々に思考を切り替え、清明を救う手立てを考え始めた。


 あの屍人の群れから脱出し、どこかに身を潜めていたとしても、水の残量から考えてタイムリミットは7日程度が関の山だ。


 その上、スズネ達が裏S区に行ける方法は限られている。18時にS区の裏山にある神社の古井戸から侵入するしかないのだ。


 そうなれば、実質的に清明を救う方法を考えることのできる時間は6日程度ということになる。更に準備のことなどを考えれば、時間はもっと短くなるだろう。


「やはり呪い移ししか方法はないのでしょうか……」


 方法はないことはない。「呪い移し」が使えるということは、最悪死んでも問題ない人間を無理やり連れていって、清明の呪いを移せばいい。


 清明は間違いなく喜ばないだろうが、スズネにとって彼以外の存在は有象無象だ。後になって責められたとしても、清明さえ生きてくれれば問題はない。


「しかし、人一人拐うのにも時間が必要……何をするにも時間が足りないですわ……」


 ネックとなるのはやはり時間だった。一度態勢を立て直して、補給物資だけでも清明の元へと届けようか。そんなこと考えていたら、


「スズネ」


 顔を上げると、そこには心愛が立っていた。目を真っ赤に泣き腫らしていたが、先程までとは違い、その目に涙は浮かんでいなかった。


「なんですか。わたくしは考えるのに忙しいのですが」

「あたしも土御門くんを助けに行く。力を貸せぇ」


 それがお願いする側の物言いか、と言いたくなったが、スズネは何も言わずに頷いた。心愛の目に意思の強さを見抜いたからだ。


 スズネの隣に腰を下ろした心愛は、冷静になり始めた頭だからこそ気がついた疑問をスズネにぶつけた。


「そもそも、土御門くんはどうやってあたしの呪いを引き取ったの?」

「呪い移しという術を使いました。対象にかかっている呪いを別の者が引き受ける、等価交換の術ですわ」

「術式は?」


「対象の性的興奮を高めた後に体液の交換を行います。そうすることで呪いが視覚化されるので、後はその視覚化された呪いを、体液の交換をした者が食らうのです」


「ちょっと待って。性的興奮? あたしの聞き間違いじゃないよねぇ?」

「はい。それが何か?」

「じゃやっぱりあれは夢じゃなかったんだ。あたし土御門くんとキスしてたんだぁ……」


 頬を赤くしてモジモジし始めた心愛に、先程までとは違う苛立ちを覚えたスズネは、またビンタしてやろうかと思ったが、すんでのところで思い留まった。


「ううんっ! 可能性があるとすれば、呪い移しだとわたくしは考えています」

「そうだねー。呪いを引き受ける対象をなんとか式神にできればいいんだけどぉ……」


「難しいでしょうね。体液の交換が必須ですから」

「う~……昔の陰陽師は、自分そっくりの式神を使役できたらしいんだけど、現代にはそんなことできる人いないからなー」


 振り出しに戻りかけた時、スズネは先程から考えていたことを口に出した。


「この際です、わたくしとあなたで罪人を一人拐いませんか?」

「アリよりのアリぃ。けどそんなことしたら土御門くんに嫌われちゃいそー……」


「そこが問題です。なんとか誤魔化せないですかね?」

「無理だろねー。土御門くん、あれで意外と勘が鋭いし」


 完全に振り出しに戻ってしまった。頼みの綱の呪い移しも現状ではそのままの使用はできない。何か他の方法を考え出すしかなかった。


「やっぱりぃ、原点に帰って裏S区のことを調べるべきだねー。連中のことがわからないことには、呪いの解呪法も編み出せないー」


「資料があるのですか?」

「たぶん。どれくらいの粒度かはわからないけどぉ、存在はしてるはず」


「時間との勝負ですよ?」

「だからあんたにも協力を求めてるのぉ」


 不意に、電車が減速を始めた。以前はこのパターンから始まったので、二人は警戒して事の推移を見守っていたが、何事もなく電車は停車してドアが開いた。


 外に出ると、そこには黄昏の住宅街が広がっていた。その景色に見覚えのあった二人は、


「どうやらS区に戻ってきたようですね」

「みたいだねぇ。電車もいなくなってるし、ほんと異界ってやだー」


 言われて振り返ると、そこには電車の姿はなく、あるのは住宅街の景色だけだった。


「あなたが爆発に巻き込まれた時もそうでした。連結部分から外に出ると、電車の姿がなくなっていました。電車とはどういう存在なのです?」

「あたしにもわからない。わかってるのは、異界と異界を繋ぐ力があるってことだけー」


 二人は駅を目指して歩き始めた。道中、情報共有も兼ねて会話していく中で、一人では見えてこなかった事実が明らかになっていった。


「電車経由で戻ってきたということは、あそこは別の異界ということでしょうか」

「どうなんだろ。裏なんて付いてるからわかりにくいだけで、案外そうだったりしてねぇ」


 二人の言うことが正しければ、裏S区はS区の裏ではなく、「裏S区」という独立した異界ということになる。


「であれば、電車に乗っていればたどり着けるということになりますよね?」

「んにゃ、少なくともいつも乗ってる電車からは行けないようになってるー」

「ではどうやってあなたは裏S区に迷い込んだのですか?」


「それが変なんだよぉ。あの時あたしは爆弾を発見してぇ、すぐに窓から飛び降りたんだけどぉ、降りた先が裏S区だったぁ。あの時は、普通じゃあり得ないことが起きすぎてたぁ」


「やはりカオナシの仕業でしょうか?」

「その線が濃いだろうねぇ。相変わらず、目的が不明だけどぉ」


 歩き続ける二人の前に、一人の影人が立ちはだかるように現れた。


 スズネは以前清明とここを訪れた際に出会った影人が、ぶっきらぼうではあったが良い人であったため無警戒だった。


 反対に、心愛はまるで敵と相対したかのように警戒した素振りを見せた。そんな彼女の様子を不思議に思ったスズネは、


「どうされたのですか?」

「警戒しろぉ。ここの住人は自分達からあたし達に接触してこない。つまり――」

「くくく……流石にあなたは騙せませんか」


 やたらと渋くて良い声だった。彼が影ではなく肉を持った形をしていれば、きっとシルクハットを被ったナイスダンディな容貌をしていたことだろう。


「お前がカオナシだなぁ」

「巷ではそう呼ばれているようですね」

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