第26話「明けぬ夜」

「野蛮人、今はそんなことよりも、脱出まで生き残る方法を探すのが先決です」

「むー、気になるけど仕方ない。その前にお水もらえない? 喉渇いたー」

「オッケー」


 清明が心愛に水筒を渡そうとすると、横からにゅっと伸びてきたスズネの手が水筒を奪い取っていった。


「残り少ない水なのです。節約してくださいね」

「あー、水がない感じかぁ。なら我慢するよ」


「いや、心愛ちゃんはさっきまで伏せってたんだ。我慢しないで飲むべきだよ」

「でもぉ」


「いいんだ。飲んで」

「そこまで言うなら……一口だけ貰おうかな」


 心愛はコクリと喉を鳴らして水を飲んだ。


「ふぃー生き返ったぁ。それで、脱出まで生き残る方法だったねぇ。弾はどれくらい残ってるのー?」

「小銃のマガジンが3本。ハンドガンが2本。手榴弾が2つとグレネードランチャーの榴弾がそれなり、って感じかな」


 清明が答えると、心愛は「う~」と唸った。


「厳しい。実に厳しー。ここが裏S区じゃなきゃなんとかなったんだけどー、ここはセーフポイントがないからなー。弾が足りないー」

「やっぱりそうか……呪符の予備はもうないの?」


「後1回分かなー。今が3時だからぁ、呪符の効果時間を考えても10時間は小細工なしで生き残らないといけないなー」


「どう考えても、後1回戦闘ができるかできないかって感じだよね」

「そこが問題だー。せめて屍人祓いの御札があればなんとかなったんだけどなー」


 屍人の祓いの御札という言葉を聞いた清明とスズネは、もしやと互いの顔を見やった。


「屍人祓いの御札って、もしかしてこれのこと?」


 清明とスズネはS区のアパートで影人から貰っていた御札を出した。


「おお、そうそう、それそれー。どこで手に入れたのー?」

「S区の住人から譲り受けたんだ」


「光明が見えてきたぞー。これとあたしが持ってる厄除けの御札を合わせれば、屍人が寄り付きにくくなるんだー」


 僅かに見えてきた光明に、3人は表情を明るくした。


「呪符の効果が切れるまではここで休んでー、効果が切れたら屍人のいなさそうな場所に隠れよー」

「心愛ちゃん、駅の場所はわかる?」

「行ったことはないけど場所は知ってるー」


 その言葉を聞いた清明は、やはりあの時呪いを移し替えるという選択を取った自分の判断は間違っていなかったと確信した。


 心愛が意識を失ったままでは、仮に屍人達の襲撃を乗り越えても、駅を探して右往左往していたことだろう。


「それを聞いて安心したよ……僕ちょっと疲れちゃったから、休ませてもらえるかな?」


「交代で休もっかー。あたしはさっきまで寝てたから、あたしが見張るよ。女狐も寝ていいよー」

「そうさせていただきますわ」


 それから3人は2時間おきに交代で休憩を取った。


 そして、何度目かの休憩を終えたタイミングで、最後の呪符の効果が切れたことを告げるタイマーが鳴り響いた。


「ここからはガチだねー。駅は町の外れにあるはずだから、駅の場所を確認するがてら、町を抜けて身を潜めよー」


「よし。心愛ちゃんの銃も持ってきたから、それを使ってくれ」

「せんきゅー。あたしのは電車で壊れちゃったから助かるよー」


「といっても、弾がないんだけどね」

「ないよりはマシさー」


 陰陽庁を出た時の半分以下の重さになってしまったリュックを背負った清明は、額ににじみ出た汗を拭った。


「土御門くん、ちょーし悪そーだけど大丈夫ぅ?」

「大丈夫。ちょっと疲れが出てるだけだよ」

「そーお?」

「野蛮人。連中は知性があるのですか?」


 スズネが清明への追及を逸らすように質問した。ナイスフォローだ、と清明は心の中で彼女に感謝しつつ、自分も気になっていた疑問をぶつける。


「それ僕も気になっていたんだ。もし知性があるなら、町を壊して回れば幾分か僕らに対する注目が逸れると思うんだけど」


「うーん……実は裏S区のことはよくわかってないんだよねぇ。危険過ぎてウチの職員も余程のことがないと入らないしー」


「一応試してみる? 今ならまだ僕らの存在はバレてないし」

「やってみる価値はありそーだねー」


 使い所の限られる榴弾一発で検証ができるということで、3人は屍人に気付かれないよう外に出ると、向かいの家にグレネードランチャーを撃った。


「はてさて効果のほどはぁー?」


 観察していると、爆発炎上している家屋の周囲に野次馬のように屍人が集まってきた。


 生者のように消化活動をする様子はなかったが、彼らは家が燃えていく様を挙動不審に観察していた。


「どうやら効果はあるみたいだね」

「知性があるのでしょうか?」

「んにゃ、たぶんあれは生者のフリをしてるだけだなー」


「どっちにしろ足止めの効果は確認できた。家を壊しながら町を脱出しよう」

「だねー」


 家屋を破壊した後隠れて、屍人が集まってきたのを見てからこっそりと走り出す。

そうしたことを1時間も続けていると、待ち望んだ景色がやってきた。


「駅だ!」


 駅は清明達が裏S区に入った森のちょうど反対側にあった。


 深い木々に囲まれながら山の中にポツンと存在するその駅は、裏S区にあっては浮いた存在だったが、生者にとっては見慣れた光景だった。


「グレネードランチャーのおかげで戦闘が最小限で済んだねぇ。こんなの誰が持ってきたのー?」

「わたくしです」


「でかした女狐ぇ、おかげで生き残れそうだぞー」

「おあつらえ向きに、隠れるのに適してる山まで近くにある。これはなんとかなりそうだね」


 清明の言葉に返事をしようと彼の顔を見た心愛は、彼が滝のような汗を流していることに気がついた。


「ちょっと土御門くん、ほんとに大丈夫?」

「大丈夫。僕のことは気にしないでくれ」


「そんな屍人みたいな顔色しといて、気にするなっていうのは無理があるってぇ……」

「野蛮人。旦那様が大丈夫だと言っているのです。大丈夫です」


 本当はこんなことを言いたくなかった。しかし、スズネは清明が置かれている状況を知っている。その上で、彼の心愛に心配をかけたくないという思いを汲んでの発言だった。


「けどぉ……」


 唯一事情を知らない心愛は、真っ直ぐに清明の心配をしている。


 スズネも清明も、相手を思って嘘をついている。優しい嘘だが、実に救えない。 


「本当に、僕は大丈夫だ。それより、早く山に隠れよう」


 心愛は納得がいかない様子だったが、いつまでもここにいては屍人が追ってきてしまうので、彼らの言葉に従った。


 山に入ると、幾人かの屍人が山菜採りの真似事をしていたが、町のように屍人の群れは確認できなかった。


 山の入口から少し進んだ場所で落ち着くことを決めると、焚き火を行った。

 火の暖かさと灯りがもたらす安心感はどこにいても変わらない。きっと人の本能に根ざすものなのだろう。


「思えば、心愛ちゃんとの付き合いは長いようで短かったね」

「どしたの急にぃー?」


「いや、こうして暗闇の中焚き火を見ていると、今までのことを思い出してね」

「確かにねぇー」


「……薪に不安がありますね。スズネは近くで薪を集めて参りますわ。お二人は話していてくださいな」


 薪集めなど、清明と心愛を二人きりにする口実でしかなかった。


 この機会を逃せば、清明が心愛と二人きりで話す機会は二度とやってこない。スズネはそれに気づいていたのだ。


「まだ薪はあるのにぃ……変な女狐ぇ」


 不思議そうな心愛をよそに、清明はパチパチと燃える火を見ながら、何を話そうか考えていた。


 話すべきこと、話すべきではないこと。色々な話題が頭を駆け巡る。悩んだ末、


「前話してくれた、心愛ちゃんが昔に会ったっていう子の話の続きが聞きたいな」


 選んだのは、他愛のない話題だった。過去に浸るのは一人でもできるし、先の話をしてもそれは実現しない未来の話で、虚しくなるだけだから。


「お、気になるぅ?」

「うん、とっても」

「どこまで話したんだっけー?」


「いつか大人になったら会いに行こうと思っていたら、思いがけない形でその機会が訪れたってところかな」

「そかそかぁ。実はほとんど話し終えてたりしてー」


「そうなの?」

「うん。実は……」

「実は?」


 心愛はいたずらっぽい笑みで言葉を引っ張った。続きが気になってヤキモキしている清明が急かそうとしたタイミングになって、心愛はようやく口を開いた。


「ある時、あたしにある人の監視業務が命令されます」

「ふむふむ」

「その人はあたしと同じ年齢でー、有名な陰陽師の末裔でしたー」

「一体誰なんだ……?」


「君だよ、土御門くん」


「え……?」


 思ってもいない言葉に、清明は呆けた顔をした。


「そんなバカな。僕は心愛ちゃんと会ったのは学園が初めてのはずだぞ」

「そりゃー呪術で記憶消されてるからねー。覚えてるはずないよー」

「あ、そっか。しかし、全然気づかなかったな……」


「いっぱいヒントは出してたつもりなのに、土御門くんったらいつまで経っても気付かないだもん。いつになったら気づいてくれるのかなーって思ってたんだよぉ?」


「言われてみれば、初対面の時から心愛ちゃんは僕のこと知ってるっぽい発言してたような気がする……」

「気がするじゃなくてしてたんだよー。ほんとにもー、最後の最後まで気づかないんだから」


 清明には記憶力がいいという自負があった。そのため心愛がヒントを出しても自分ではないという固定観念があった。それが故に気づけなかった。決して鈍感だからではない。


「そしてここからがじゅーよーです」

「まだビックリポイントがあるの?」

「ビックリするかは土御門くん次第です」


「もうこの際だ、なんでも言ってくれ」

「土御門くんはあたしの初恋の相手なのです」


 清明はその言葉を聞いて悲しげな表情を浮かべそうになったが、グッと堪えた。


 幼少の頃から自分のことを想ってくれていた相手に嘘をつかなければいけないのだ。


 別れの瞬間まで黙っていようと考えていた決心が揺らぎそうになる。


(ダメだ。嘘をつくなら、最後まで貫き通すべきなんだ……!)


「その、嬉しくない感じ?」


 清明がなんともいえない表情で黙りこくってしまったことに不安を覚えた心愛が、潤んだ瞳で彼を見上げていた。


 清明はそんな彼女を悲しませたくない一心で、


「そんなことはない! とても嬉しいよ! 心愛ちゃんの初恋の相手が僕だなんて、光栄だなあ」


 本当は、「僕も好きだ」と言いたかった。だけど、その言葉だけは言ってはいけない。

 言ったが最後、残された者にとってその言葉は「呪い」になってしまう。


「その、ね……仕事が落ち着いたら、お付き合いしてほしいなーって……」


(どうして今なんだ……! 僕はこれから死ぬんだぞ)


 清明はこんな会話に繋がってしまう話題を選んでしまった自身を強く恨んだ。


「僕からもぜひお願いしたいくらいだ!」


 また一つ、嘘をついた。決して果たされない約束など、嘘と同じだ。


 嘘に嘘を塗り固める行為。清明は自身が最低なことをしている自覚がった。しかし、そう答える以外になんと答えればいい? 

 どう答えても、彼女を傷つける結果に変わりはない。


「えへへ……約束だよぉ?」

「ああ……約束だ……」


(どう転んでも傷つけるというのなら、今だけは彼女を悲しませないようにしよう)


 そう思い、清明は心愛が語る明るい展望に相槌を打ち続けた。それは、スズネが戻ってくるまで続いた。

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