第22話「人の優しさ赤い月」
方針が決まったので、僕とスズネは押し入るのに手頃そうな家を探した。
「あそこなど如何ですか?」
スズネが指差す先には古びたボロアパートがあった。
大きさから見積もって1ルーム程度だろう。あのサイズなら、中にいる住人も一人とみた。
一人なら、万が一戦闘になっても対処しやすい。
「いいね。一応、まずは僕がインターホンを押してみる」
「それでダメなら?」
「強行突破。ドアを蹴破る」
「野蛮人が好みそうな方法ですわ」
とは言ったものの、ここの住人が素直に出てきてくれるとは思えないんだよな。そう思ったのだが、
「なんの用だ?」
インターホンを押すと、中から腰の曲がった影人が出てきてくれた。
「陰陽庁の人間です。お話を聞かせてください」
「他を当たってくれ」
そう言って彼はドアを閉めようとしたので間に足を挟んで阻止する。
「時間がないんだ。家に入れろ」
僕にしては珍しく語気を荒くしてそう言った。すると、
「チッ。話をしたらすぐに出ていくと約束しろ」
「ありがとうございます」
中は8畳ほどの広さだった。この部屋にはカーテンがなかったため、窓から差し込む夕日が中央に置かれたちゃぶ台に反射していた。
「なんの話を聞きたいんだ?」
ちゃぶ台の前に座った影人はそう言った。僕は彼の前に腰を下ろしたが、スズネは万が一を考えて僕の後ろに立っている。
「S区の裏に行きたいんです。方法を教えてほしい」
「裏だと? 何をしに行くつもりだ」
「助けたい人がいるんです」
「諦めるんだな。あそこはあんたのような稀人がまともでいられる場所じゃない」
「どういう意味ですか?」
問いかけると、影人は一拍の間を置いてこう言った。
「発狂するんだよ」
「発狂?」
「裏S区には生者を求める屍人共がウヨウヨしてる。そいつらに取り憑かれたが最後、正気じゃいられなくなる」
そんなところに心愛ちゃんがいる。それを知った僕は、前のめりになって彼に裏S区への行き方を問いただした。
「行き方は二通りある。一つは何かを殺して呪われる方法。もう一つは、夜になるのを待って、裏山にある神社の古井戸から侵入する方法だ」
「ここには夜という概念があるんですか?」
「18時になれば外が暗くなる。3時間だけだがな」
「なるほど。裏から表に戻る方法は?」
「21時に出発する電車に乗るしかない」
「それは裏S区に存在する駅の話ですか?」
「そうだ。しかし、駅がどこにあるかはわしも知らん。行ったことがないからな」
僕はできることなら無用な殺生はしたくないので前者の方法は論外だ。なので、後者の方法で裏S区に行くしかない。
となれば、脱出のことを考えて、18時から20時30分程度までの僅か2時間半で心愛ちゃんを発見して救出する必要があるということだ。
「裏S区の広さはわかりますか?」
「知らん」
「そうですか。教えていただきありがとうございました」
腕時計で時刻を確認する。現在時刻は17時33分。後30分弱で夜になる。あまりうかうかしている余裕はない。そう思い、立ち去ろうとした僕達を影人が呼び止めた。
「本当に行くつもりなのか」
「大切な人が助けを待っているんです」
影人は嘆息すると、
「持っていけ」
僕達にタンスの中から取り出した2枚の御札と地図を渡してきた。
「これは?」
「お前達は神社の場所がわからんだろう。丸を付けておいた場所に神社がある」
「助かります」
「そっちの御札は屍人祓いだ。気休めだが、無いよりはマシだろう」
「ありがとうございます」
姿形は違えど、対話を通して伝わる心は異界人であっても変わらない。
焦りで余裕をなくしていた僕だけど、彼のおかげで少しだけ冷静になることができた気がする。
僕達は彼にお礼を言って家を後にした。
「よい方でしたね」
「そうだね。話せてよかったよ」
「地図を見るに、ここから神社はさほど距離が離れていないようですね」
「たぶんあそこに見える山が裏山だろうね」
話を聞いた時は、裏にある山という意味で裏山と言ったのだと思ったけど、どうやら山の名称が裏山らしい。地図にしっかりと裏山と明記されていた。
ここから歩いて行けば、ちょうど30分程度で到着しそうな距離だった。
「屍人とは、どのような存在なのでしょうか」
裏山を目指して歩く中で、スズネがポツリと溢した。
「不安かい?」
「まどろみにも、似たような話があるのです。『おみ』という、人が死後に通るとされる世界があって、そこに生者が迷い込むと、取り憑かれるというものなのですが」
「僕の世界にも似たような話があるよ。黄泉の国っていうんだけど、それの読みが『よみ』の他に『おみ』って読んだりもするんだ」
そこまで言って、まどろみの文化が日本とかなり近かったことを思い出した。
ここもそうだ。住人の姿形こそ違うが、彼らの住む家は馴染みのある鉄筋コンクリート造の家だし、使用する言語だって日本語だ。
ひょっとすると、異界の文化の始まりは、遥か昔に異界に迷い込んだ日本人が考えたものじゃないのか。そんな僕の考えは、スズネの言葉によって遮られた。
「そう考えると、どこの異界にも似たような考えが浸透しているのでしょうか」
「死生観にかかわる話だからね。知性のある生き物であれば、同じようなことを考えるのかもしれない」
今は余計なことを考えている場合じゃないと頭を振る。
僕がやらなければいけないことは心愛ちゃんを救出することだ。それ以外は全て雑事だ。
「どうやらここを通っていくしかないようですね」
山の入口に到着した僕らを待っていたのは、細い獣道だった。
艶やかな和服を着ているスズネには悪いけど、他の道を探している時間はない。
「僕が先頭を行くよ」
現在時刻は17時50分。後10分ほどで夜になる。
地図上では山の中腹ほどのところにあった。それほど大きな山ではないので、神社にたどり着く頃にちょうど夜になっているだろう。
スズネの着物を汚さないように、出っ張っている木や草を折りながら進んでいると、突然日が暮れて真っ暗になった。
時計を確認すると、18時ちょうどだった。
「こんなに急に暗くなるのか……」
夜の山は怖い。明かりなしでは一歩先が見えないのだ。大きな石でもあれば転んでしまいそうだった。そうでなくても、これだけ暗いと心霊的な意味での恐怖もある。
スズネもまた恐怖を感じているのか、先程までは僕の後ろを歩いていたが、隣に移動して僕の手を握ってきた。
「この暗さは慣れませんわ……」
「大丈夫。もうちょっとで着くはずだよ」
その言葉通り、更に5分ほど歩くと神社の鳥居が見えてきた。
何を祀っているのかは知らないが、誰も参拝することがなかったのだろう、境内は荒れ果てている。ボロボロに朽ちた拝殿が物悲しかった。
そんな中、手水場の水だけがチョロチョロと流れているのが一層不気味だった。
「井戸はどこかな?」
「無駄に広いですわね」
二人して真っ暗闇の中をライトで探していると、拝殿の裏に目的のものを見つけた。
「……これに入らないといけないのですか?」
「うーん、とても気が進まないな……」
苔むして何かのツルで覆われた古井戸からは、今にも貞子が這い出してきそうな雰囲気があった。
試しに井戸の底をライトで照らしてみると、真っ暗闇が広がるだけで光が底にたどり着かなかった。相当深いのか、あるいは別の異界へと繋がっている故か。
「僕が先に行くよ。裏S区に行けたら落下音とか聞こえないはずだから、スズネはそれを確認してから下りておいで」
「本当に大丈夫なのでしょうか」
「一応ロープを繋げておくから、底まで行くことはないはずだよ」
運良く近くに大木があったので、それと僕の身体をロープで繋ぐ。
ナイロン製のロープなので、万が一のことがあっても大丈夫なはずだ。
「それじゃ、ままよっ!」
古井戸に飛び込む。浮遊感を覚えるよりも先に身体を闇が包んだ。そして、
「ぎゃああああああああああああ」
という、無数の断末魔が襲いかかった。
耳を塞ごうにも、闇に紛れた感覚では自分の手足がどこにあるのかわからなかった。
それがどれほどの時間続いたのかわからない。ただ、気が狂いそうになるのを必死にこらえていると、気がつけば僕は森の中に立っていた。
「裏S区に行けたのか……?」
異界駅のように名前が書かれているものがないので確証がなかった。
「そうだ、ロープ」
腰に巻いたロープを確認すると、頑丈なはずのそれは千切れていた。
上を確認すると、雲のない夜空が広がっていた。僕の常識と違うのは、浮かぶ満月が真っ赤に染まっていることだけだった。
暫く待っていると、スズネが空から降ってきた。
「大丈夫?」
「ここは……?」
「たぶん裏S区。どうやってここに来たか覚えてる?」
話を聞くと、僕がそうだったように、彼女も古井戸に飛び込んだと思ったら断末魔を耳にして、気がついたら森の中に立っていたという状況らしい。
「僕から見たスズネは空から降ってきたんだよ」
「それ本当ですか?」
「うん。スタっと立ったね」
「恥ずかしいですわ」
恥ずかしいという感想は女性ならではのものだと思う。僕ならどういう理屈だろうとかそんなことを言ったはずだ。
「とりあえず、森を抜けよう」
赤満月がもたらす明かりは、森の中だというのに地面がはっきりと見えるほどに強く道を照らしていた。
難点があるとすれば、明かり自体が赤いので、全てが殺人現場のように見えることだ。
「目に見える全てが赤いので気が狂いそうですわ……」
「心の底からそう思う。早く心愛ちゃんを見つけて脱出しよう」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます