第16話「次回、湯上がり美人」

 セーフハウスを出た僕達は、スズネの案内のもと「憩いの湯屋」なる旅館に向かっていた。


 至る所から湯気が出ているし、なんちゃら商店や温泉まんじゅうといった温泉街特有の看板が目立つようになると、


「おにーさん、ウチに寄ってってよ……」

 と、着物を着崩したトラ耳のお姉さんに客引きをされた。


 なんのお店だろうと思い覗きに行こうとすると、


「旦那様、あの店は見る必要はありませんわ」

 と、スズネに引き止められてしまった。


「そうなの? 客引きのお姉さん綺麗だったから気になるんだけど」

「あそこは風俗店です」


 なるほど。道理で客引きにエッチなお姉さんを使っているわけだ。


 健全なお店の中にああいったお店も混じっている様は、本当に昭和の温泉街を感じる。


「しかし本当に景色が綺麗だなあ」


 透き通った小川の水面に反射する提灯の淡い光は風情がある。


 そんな小川の上にかかった木製の短い橋の上を、和服を着た住人達がカラコロと下駄を鳴らしながら歩くのだ。日本人の原風景がここにあった。


「旦那様の世界にはこういった景色がないのですか?」

「ないことはないけど、かなり限定的だね。大抵はどこを見渡してもコンクリートジャングルばかりだ」


「こういう景色が見たいと思ったら草津辺りに行かないとないかなー」

「だよね。浴衣とかも祭りの日以外は着ないもん」

「それも寂しい話ですわね」


 なんて話をしながら歩いていると、大きな日本家屋みたいな旅館が見えてきた。


「スズネが言ってたのってひょっとしてあれ?」

「そうですわ」

「素晴らしく風情のある外観してるな」


 近づいてわかった。相当な老舗感が出ているけれど、建物のどこを見ても古びた感じがない。しっかりと手入れが行き届いている。


 心なしかウェルカム提灯の灯りも他と比べて光が強いように思う。これは期待が持てるぞ。とっても楽しみだ。


「ようこそおいでくださいました」


 引き戸を開けると、犬耳の仲居さんが僕達を出迎えてくれた。


「靴箱はこちらになります」


 案内されるまま靴箱に靴を入れて、お帳場まで移動する。


「ご宿泊料金はお一人様一泊、1金1銀となっております」

「はいよー」


 心愛ちゃんが3人分の宿泊料を番頭さんに支払った。スズネの面倒は見ないって言っていたのにちゃっかりすでに面倒を見ている辺りやっぱり優しい。


「お部屋へのご案内はこちらの仲居が担当いたします。ごゆっくりお寛ぎください」


 猫耳の仲居さんに案内されたお部屋は3階にあった。


 部屋の奥にある椅子と机が置かれた小さなスペース、広縁ひろえんからは、先程歩いている時に渡った小川が見えた。


 耳を澄ませば小川のせせらぎと共に何かの虫の清らかな鳴き声が聞こえてきて、心が浄化されていく。総じて最高のロケーションだ。唯一問題があるとすれば、


「まさか同室とは思わなかった」

「言うの忘れたー」


「いいではありませんか。その方が旦那様と親しくなれますわ」

「それもそおだねー」


 女性陣は一切気にした様子がないけど、僕は大変困る。こんなに美人な二人と夜を伴にするなんて、間違いが起こっちゃうじゃないか。YOASOBIしちゃおーぜ。


「と思ったけど、そもそも僕心愛ちゃんに勝てないんだった」


 夜這いをかけたら返り討ちに遭ってしまう。無用な心配だった。


「土御門くん、こっちおいでよー。露天風呂があるよぉ」

「マジで? わーすごい」


 ひのきの露天風呂だった。湯気に混じってひのきの良い匂いがする。


「これとは別に大浴場もありますよ」

「サイコーじゃないか!」


 ここまで至れり尽くせりだと、ちょっとお財布事情が気になるというものだ。不安に思った僕は心愛ちゃんに小声でこう聞いた。


「相場がわからないけど、ここって結構高いんじゃないの?」

「んー。だいたい一人1万5千円くらいだよー」


 ということは3人で4万5千円ということじゃないか。


「ひょえ……」

「お金のことは気にしないでだいじょぶー。こーいう時のために溜め込んでるからー」


 実にぶら下がりがいのあるヒモだった。現世でも実家が太いらしいし、心愛ちゃんに引っ付いていけば食いっぱぐれることなさそう。

 なんて冗談はほどほどにしておいて、


「今度お金できたら返すね」

「返さなくていいよー。むしろ土御門くんはあたしにもっと頼ってほしいな?」


 あ艦これ。ダメ男製造機じゃないか。いかずちちゃん、そんなこと言っちゃいけないよ!


「夕飯までまだ時間もありますし、お風呂に行きませんか?」


 というスズネの言葉を聞いて、僕達は大浴場へと向かった。


「ではわたくし達はこちらですので」

「土御門くん、覗くなら一声かけてねー」

「それって覗いてもいいってことかい?」


「どっちだと思うー?」

「後が怖そうだからやめておくよ。それじゃ、後でね」


 男湯と女湯で分かれた僕は、脱衣所で服を脱いでフルちんマックスで浴室の扉を開けた。


 むわっという湯気の熱気に慣れると、木張りの大きな浴槽が見えた。張られているお湯は乳白色で、僅かにトロみを持っているようだった。

 更に奥を見ると、岩造りの大きな露天風呂も見えた。


「ひゃあ我慢できないぜ」


 早く湯船に浸かりたかったけど、身体を洗ってから入らないとマナー違反だ。

 桶と椅子を持って洗い場で身体を急いで洗う。


 シャコシャコとシャンプーをしていると、ベチョリという音が背後から消えてきた。


「ん?」

 泡まみれの頭で後ろを振り返ると、


「申し訳ない、手拭いを落としてしまいまして」

 と、やたらダンディーな声で謝罪された。


「ああ、いえ大丈夫ですよ」

「お隣、失礼しますね」

「どうぞー」


 ダンディーさんと一緒になって頭と身体を洗う。そして、


「よっしゃ、まずは内風呂からだ」


 待ちに待った入浴タイム。足先からゆっくりと湯船に浸かる。トロみを持ったお湯が肌にまとわりつくようにその温かさを伝えてきた。


「うあぁぁあ。素晴らしいお湯だ……」


 時間帯によるものか、浴場には僕とさっきのダンディさんしかいないようだった。


 それこそマナー違反じゃなければ泳ぎたいものだけど、僕は子供じゃないのでその気持ちをグッと抑えてのんびり温泉を楽しむ。


「これこそ大人だぜ」


 僕が自画自賛していると、


「あなたは異界の方ですよね?」


 身体を洗い終えたらしいダンディさんが湯船に入ってくるなり僕にそう尋ねてきた。


「ええ。やっぱり目立ちますかね?」

「耳も尻尾もないので、やはり」


 そう言う彼の頭にはキツネの耳が生えていた。僕も付け耳でもした方がいいのかしら、なんて思っていると、


「ああ、気を悪くしないでください。私は異界の話を聞くのが好きなのです」

「いえいえ。おにーさんは異界に行ったことがあるんですか?」

「おにーさんなどと、私などオジサンで十分です」


 気を使っておにーさんと言ったけど、確かに見た目的にはイケオジの方が似合っている。


「昔はそれこそ様々な異界を旅したものですが、寄る年波には勝てなくてね。最近はもっぱら、安全なまどろみばかりを訪れているのです」


「というと、オジサンはここの住人じゃないんですか?」

「どう思いますか?」


「確かまどろみの住人って老けなかったはずなので、別の異界と見ました」

「正解です。そういうあなたは陰陽庁の人間でしょう」

「よくおわかりで」


 オジサンは薄く笑った後、こう言った。


「私はあなたのファンなのですよ」

「ファン? それはどういう――」


 僕が言い終わるよりも先に、オジサンは湯船から立ち上がった。


「あなたには、期待していますよ……」


 そう言ってオジサンはお風呂から去っていった。


「よくわからん人だったな?」


 その後、露天風呂もたっぷりと楽しんだ僕はお風呂を出て心愛ちゃん達と合流した。

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