第10話:アリアベルの独白
ヴァネッサ・エイブリーとエリオット・エンデュミオンの結婚式の招待状が届いた。
私が植物園で最後にヴァネッサ・エイブリーと会ってからまだ半年と経っていない。お互い上手くいっていると言うのが確認できて、私は心底安堵していた。
「なぁ、お嬢。結婚式に行ってやらなくていいのか?」
私の隣で元護衛騎士がベッドの上で寝タバコをしながら聞いてくる。
そう、ヴァネッサには国外へ発つと言ったが、その実、私は隣で呑気な顔をしている男と駆け落ちしたのだ。まあ、宣言通りではあるのだが、仔細が若干異なる。
帰るつもりがない、と言うよりは二度と帰れないと言った方が適当だ。きっと、彼女も私が駆け落ちした次の日には知ることになっただろう。それほどまでに社交界に広がる噂は早いものだ。
私は上手く身をかくしたつもりだったというのに、やはりエンデュミオン公爵家の力は恐ろしい。
エンデュミオン公爵家の遣いがうちの玄関先に立っていた時は悲鳴を上げそうになったくらいだ。
それはさておいて、二人の結婚は収まるべきところに収まった。
これで、私は役目を果たしたし、負い目なく今度こそ好きに自分の人生を謳歌できるだろう。
あの日、私は彼女に真実を全て告げるか迷っていた。
けれども、知らない方が幸せなことがある。
「なぁ、アリアベル。帰りづらいのは分かるけどさ、ずっと気をもんでただろ?」
「そうだけど……私にそんな資格があるのかなって思っちゃって……」
「そんなの知らねぇよ。行くのか、行かないのかハッキリしてくれ。俺と駆け落ちした時みたいにな」
「そうね。でも、アリアベルって呼ぶのはやめてくれない?」
「はいはい、分かったよ。誰も俺たちを知るヤツらなんかこの国にいないのに神経質すぎないか?」
「その名前は……私のものではなかったはずだから」
「何言ってんだ?」
「別に、深い意味はないわよ」
「そうか。それより、二回戦目どうだ?」
「全く──」
私がアリアベル・ラントレスを名乗るのは烏滸がましいことだ。全ては私が自分のワガママでこの世界を歪めて、アリアベルをあの子から奪ってしまったせいなのだから。
そう、あの子はヴァネッサ・エイブリーなんかではない。
私こそ、本物のヴァネッサ・エイブリーだ。
エリオットと言う子供を虐待し、最後には殺された張本人だ。
と言っても、魂が、なのだけれど。
死にたくなかった。
惨めなまま、ひとり寂しく路地裏でエリオットに斬り殺されて死ぬなんて嫌だった。
だから、今際の際で私は父の、エイブリー伯爵が研究していた黒魔術を藁にもすがる思いで使ったのだ。錬金術や魔法や魔術なんて空想のお話の中にしか存在しないもの。
けれども、私は幼い頃に戻っていた。
どれほど歓喜したことか。
父が研究していた黒魔術は全て本物だった。
だから、私はやり直して今度は金貨を捨てて逃げ出した。
あの家からエリオットと皮袋にたっぷりと詰まった金貨を残して。
けれど、その時に一筋の光明が見えた。野垂れ死にそうになっていた時、とある令嬢に拾われた。
それがアリアベル・ラントレスだった。
あの子は薄汚れた私なんかを侍女として傍に置いてくれた。だと言うのに、私は彼女を羨んだ。嫉妬した。憎悪した。
エリオット・エンデュミオンは公爵家の当主になってアリアベルの前に現れたのだ。
死んだと思っていたのに、しぶとく生き延びていたエリオットが現れた時、私は心底恐怖した。どんな状況でも彼は生き残ったのだ。そうなると、私はどんな状況でも死ぬのではないかと恐怖するしか出来なかった。
アリアベルはあの子に愛されているのに、どうしてこんなに私は惨めなのだろう。
だから、奪ってやることにした。
魂を入れ替える黒魔術で。
私はアリアベルとエリオットの寵愛を手に入れたはずだった。なのに、入れ替わった私をエリオットは拒絶した。お前は誰だと冷たく光る刃を突きつけてきた。
そして、また私は失敗した。
次に目が覚めると、私はいつもと違う場所、天蓋付きのベッドで目を覚ました。そう、アリアベルと入れ替わったままで。
最初は喜んだが、大人になった頃、私はエリオットと社交界で出会い、また殺された。
次に目を覚ますと私はまたアリアベルになっていた。
黒魔術を使っていないのに、私は過去にアリアベルとして戻ってきてしまった。もう自分の意思では繰り返しを止めることも出来なくなっている。
黒魔術には代償が伴う。
過去回帰の黒魔術の代償は、望みが叶わない限り同じ死に方をし続ける。そして、霊魂転換の黒魔術の代償は──二度と元には戻れない。
元に戻ろうと私はあの家へと急ぐ。
けれども、ヴァネッサは、いや、アリアベルは既に死んでいると彼女の母に告げられて私はその時になってとんでもないことをしてしまったのだと自覚した。
けれども、そこから私はエリオットと出会う事はなくなり喜んだのは言うまでもない。
どうやら、ヴァネッサが既に死んでいるおかげでエリオットは分家のひとつに預けられたらしい。けれども、いずれは当主の座を争うかもしれない子供を権力を欲しがる大人が放っておくだろうか。
彼は為す術もなく分家の貴族に殺された。
私は生き残れたと安堵したが、そこからが地獄だった。
アリアベルの見てくれだけで、エンデュミオン公爵家の当主の座についた男の元に嫁ぐことになったのだが、誰も彼もが酷いものだ。
ある当主は親の操り人形で、邪魔になった私は殺された。
ある当主は暴君で私は物のように扱われ最後には殺された。
ある当主は王室に背き謀反を起こし、私も一緒に処刑された。
私の人生の終わりはエンデュミオン公爵家と関わり殺される。
繰り返す度、多少の違いはあれど酷い当主ばかりだった。
繰り返す度、ヴァネッサは既に死んでいる。
繰り返す度、終わらない罰に怯える人生。
そんな時、私は誰もいなくなったあのボロ家から、ひとつの魔術を見つけ出した。
そう、魂を呼び戻す黒魔術だ。
もうこれでダメなら私は全てを諦めよう。
そう決めていた。
だが、その魔術は成功したどころか、アリアベルはヴァネッサとしてエリオットの面倒をずっと見ていてくれたと最後の夏宵の舞踏会で知った。
エリオットはアリアベルの魂を持つヴァネッサを心の底から愛している。だから、きっとこれでいいと思って姿を消そうとした時、気づかれてしまった。
私には存在しないはずのアリアベルの記憶の一部を持っている。恐らく、彼女もそうなのだろうと推測した。
その記憶は、アリアベルがエリオットに溺愛されるというものだ。
私のミスでハッピーエンドを迎えそうになっていた所を壊したくない。
だから、私はあの子に、ヴァネッサとなった彼女の意志を聞き出し、二度と前に現れないと約束したのだ。
きっと私ではダメだ。
アリアベルは私とは違う。
もう、疲れ果てた私は彼女に頼るしかなかった。
どれだけ卑怯と謗られようとも、私に立ち上がる力はもうない。全てから逃げ出して、誰も知らない土地で誰にも知られずに生きて死にたい。もう繰り返したくない。
やっと私の願いは叶いそうだ。
だから、エンデュミオン公爵家からの遣いを見た時は死を覚悟したくらいだった。
私は悪女がちょうどいい。
護衛の騎士をたらしこんで、肉欲を貪り、生を実感する。
きっと、これが私の最後の生。
だから──。
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