第7話:情けは人のなんとやら
「ったくよ、お嬢様も無茶苦茶言うぜ」
「でも、今回は楽な命令で良かったよなぁ」
「そうだなぁ。前は公爵様の前で何度もハンカチを落として拾わせようとしてたよな」
「小説好きは構わないが、俺達も巻き込まれるのはなぁ」
「勘弁して欲しいぜ──」
幌馬車の中でヴァネッサは横たわったまま男たちの愚痴を聞いていた。顔には麻袋を被せられ、両手両足は縛られて動けない。
今度こそ殺されるんじゃないかとヴァネッサは震えていた。
エリオットが公爵になって最初にしたことは、ヴァネッサの断罪だった。
金貨百枚はとっくに使い果たし、買い集めたアクセサリーは質に入れて飲んだくれていた。寝る場所を探して彷徨っていたところをエリオットが見つけ、ヴァネッサは人知れず路地裏で殺されたのだ。
本編どおりならばヴァネッサと言う登場人物はとっくに死んでいたはずだった。
だが、ヴァネッサまだ生きている。
まるでこの世界が予定調和から外れたヴァネッサを弾き出して元通りに修復しようとしていゆのではないかと彼女は考えていた。
(そうよ。私の出番はもう終わってるじゃない……)
だからといって死にたいと思う人間がいるだろうか。
死にたくないからエリオットの面倒を見て来たというのに、このまま黙ってシナリオに──言うなれば存在するかも分からない世界の矯正力に──殺されるわけにはいかない。
何とか縄を解こうとしてもがいていると、腹部に激しい痛みを受けてヴァネッサ呻いた。
「大人しくしてると思ったらよぉ……」
「おい、嬢ちゃん。余計なことしたら、殺しちゃうよ?」
「いや、殺すより先に俺らで楽しもうぜ?」
「そりゃいい。どっちが先かきめよう──おっと、おい、御者! 気をつけろよ」
馬車が突然停り大きく揺れた。
男たちはお楽しみの前に目的地である森に着いたのかと残念がっている。この森には熊や狼といった肉食の危険な野生動物が原生していた。
そんな中で楽しめるほど男たちは肝が太くない。
ヴァネッサを抱えると、森の中に捨ててこようと馬車から降りて違和感を覚えた。
足元は石畳で、まるでどこかの屋敷の中のようだ。
そして、次の瞬間には押し寄せてくる兵士に囲まれて男は真っ青な顔をしていた。
「な、なんだ、ここ……」
「ようこそ、エンデュミオン公爵家へ。大切なお客様を丁重に扱え」
エリオットはヴァネッサの拘束を解いて麻袋を外した。
今にも泣きそうな顔をしたエリオットにズクズクと胸の奥が痛んで、ヴァネッサはごめんと一言だけ呟いた。
「ごめんじゃなくて、ありがとうって言ってくれた方が嬉しいよ」
「うん、ありがとう……」
何がどうなっているのか分からないことだらけだ。
誘拐犯たちはしどろもどろで、両手を上げて膝をつかされていた。
「エ、エンデュミオン公爵家……なんでそんなところに……」
「お、おい、御者、お前裏切ったのか!?」
怒りに叫ぶ男の声に御者席に座っていた男は嘲笑を浮かべる。そして、御者席から飛び降りると、怒りに満ちた表情を浮かべていた。
「裏切るも何も、俺ァ最初からヴァネッサ様の味方でさぁ」
「何を──」
「ヴァネッサ様のおかげで俺の娘は助かったんでぃ。恩人を裏切っちまったらそら外道ってもんだ」
やっとのことでヴァネッサはこの男の顔を思い出した。
エリオットを連れてきた御者だ。
御者の男はヴァネッサの足元で跪くと深々と頭を垂れていた。
「ヴァネッサ様、お久りでございやす。改めまして、俺ァヴァネッサ様の専属御者になりやす、ベン・キャリッジでさぁ」
「えっと、娘さんもお元気ですか?」
「ええ、あんたの、いや、貴方様のおかげで俺の娘は助かりやした……感謝しても感謝しきれねぇでさ」
「ほっ……良かったです。私も極貧生活した甲斐がありました」
「それを言われちゃァたまんねぇなぁ!」
晴れやかに笑う男に、ヴァネッサの緊張も解けていく。
今度こそ終わりだと思ったが、予期せぬ味方が現れてまたも危機を回避していた。
「ヴァネッサ、中に入ろう」
「うん……でも、何が起こってるの?」
「そうだね、僕もなんでお前がロズハート家の馬車を操車してるのかがよくわかってないんだ。ベン・キャリッジ、一緒に来て説明してくれ──」
──ヴァネッサが連れ去られる少し前のこと。
ベンはヴァネッサたちを降ろすと、馬留へと馬車を停めた。周りには共用馬車の他にも専用馬車が何台か停まっている。買い物が終わるまでエリオットから休憩を命じられたベンは馬の世話を終えたら屋根にでも登って昼寝でもしようかと考えていた。
馬に飼葉を食ませ、水を与える。
毛並みを整えて昼寝を始めようと屋根に登った。
しばらくウトウトとしていると、物騒な話が聞こえてきた。
「──つまり、攫っちまえってことですね?」
「ええ、そうですわ。エリオット様の目を覚まさせるには、あの女を排除せねばなりませんの」
「で、攫って殺すんですか?」
「縛って森の中でも捨てておしまいなさいな。命令ですわよ」
「かしこまりました、セリネアお嬢様」
屋根の影に隠れたまま、ベンはその話を黙って聞いていた。すぐにヴァネッサを恩人を助けるべきだ。だが、どこにいるのか分からない。さっきの連中について行くべきだと後悔した。
だが、ベンは意を決して屋根から静かに降りていく。
そして、セリネアの馬車に近づいて馬の世話をしている御者に話しかけた。
「おつかれさん。お嬢様から交代だってよ」
「あ? そんな話、聞いてねぇぞ?」
「おかしいなぁ。俺ァ荒事やるからってので呼ばれたんだが違ったかい?」
「……本当にお嬢様から頼まれたのか?」
疑いの目を向けられるがベンは怯むことなく、胸ポケットから金貨を二枚取り出した。
「たりめぇよ。お嬢様から遊んで来いって金も預かってんだ」
「──っ」
セリネアの御者の目の色が金貨を見て一瞬のうちに変わる。お貴族様専属の御者だと言うのに身なりがなってない。
服は薄汚れているし、ブーツはボロボロだ。
腐っても俺ァ公爵家専属の御者だというプライドがあるベンにとって身だしなみは何よりも重要だ。馬車も馬も大切だが、それを操る御者の身だしなみが悪ければマイナスイメージだ。
むしろ、御者の身なりが悪ければどれだけ立派な馬車だろうと家門の名折れになる。
あのセリネアお嬢様とやらは御者の身だしなみに気を使えていない。と言うことは支給するような金はないだろう。さらに言えば、仕事着は自前でボロボロ。
ダメ押しの賄賂でセリネアの御者は簡単に落ちた。
「じゃあ、あとは任せたぜ」
「あいよ。楽しんできな」
こうしてベンはすんなりと入れ替わり時を待っていた。
しばらく待っていると、見覚えのある服と背格好の女性が運ばれてくる。麻袋からはプラチナブロンドの髪がはみ出ているのを見てベンはヴァネッサだと確信した。
あとは簡単だった。
ただ単に公爵家に帰宅すればいい。
攫われたと思っていたヴァネッサはベンの機転で、こうしてつつがなく知らないうちに帰路に着いていたのだった。
「──というわけでさぁ」
応接間で一通り説明が終わると、ベンの希望通り用意されたエールを呷った。ひと仕事終えたあとの一杯は最高で彼は思わず声を漏らしていた。
「なるほどな。ベン・キャリッジ、良くやった」
「お褒めに預かり光栄でさぁ」
「ありがとうございます。本当にもうダメかと思いました……」
「あっはっはっ、安心してくだせぇ。俺ァ地獄の果てに攫われてもヴァネッサ様を助けに行きまさぁ!」
「僕も絶対にヴァネッサを助けに行くよ、約束する!」
「いいや、俺でさぁ!」
「何を言う、僕が助けに行く!」
「何が助けに行くだ……簡単にヴァネッサ様を攫われやがって!」
「お前っ! 僕のお気に入りだからって調子に乗るな!」
「はい、二人ともストップ……それで、主犯はどうするのよ」
「ロズハート男爵令嬢か……」
「旦那様、憲兵に突き出しちまいやしょう!」
「いや、それよりももっといい方法がある。ロズハート男爵令嬢の心を折ってやろうと思うんだけど、協力して貰えるよね、ヴァネッサ?」
「えっと……内容によるかなぁ……?」
エリオットの作戦を聞いてヴァネッサはまたもやドン引きしていた。ある意味デニスの息子を切り飛ばした時以上だった。
どうしてこんな風に育っちゃったのだろうとヴァネッサは嘆くが、ヴァネッサを愛するがゆえの暴走だと気づいていなかった。
話もまとまり、ヴァネッサは私室のソファで休んでいた。と言っても、相変わらずヴァネッサは用意された部屋を使わずに、来客用の客間を使っている。
セリネアが先に部屋に入ったからだとかそんな子供じみた理由ではない。
ただ単に覚悟が決まっていないせいだ。
本当ならばアリアベルというヒロインがエリオットの隣にいたはずだったそれなのに、今彼の隣にいるのは悪女として殺されるはずだったヴァネッサなのはおかしな話だ。
それよりも仮に婚約者になったとして、もしエリオットがアリアベルに恋をしてしまったら。
そう考えるとやはり最後の一歩をヴァネッサから踏み出せないでいた。
「あのさ、ヴァネッサ……いや、なんでもない」
窓際のロッキングチェアに腰かけたまま、エリオットはまた黙り込んだ。
「あのさ、エリオット。余計に気になるんだけど」
「え……ああ、うん。なんでもないから」
「話したくないならいいけどさ……」
「じゃあ、話しても怒らない?」
「ロズハート男爵家を撫で斬りにするとかじゃないなら怒らないわよ」
「……」
「なんで黙るのよ。まさか本当に──」
「それも考えたんだけどさ……本当に僕はヴァネッサと婚約していいのかなって思ってね」
「普通に考えたらありえないわよ。だって、私は没落してただの平民以下、あんたは公爵家ご当主様なんだから。釣り合わないわよ」
「そうじゃなくてさ……僕が無理やり連れてこなかったら誘拐なんかされなかったのかなって思って。だから、ヴァネッサを危険から遠ざけるにはやっぱり離れるべきなのかなって……」
珍しくウジウジしているエリオットにイラついてヴァネッサはソファから立ち上がる。頬を抓られる気配を察知したエリオットは目を強く瞑っていた。
けれども、頬を抓られる刺すような痛みは襲ってこない。代わりに少しヒヤリとしたヴァネッサの両手が頬に優しく触れていた。
「もし、あんたが来なかったら私はもう死んでたかもね」
優しいヴァネッサの声にエリオットは目を開けると、微笑むヴァネッサの顔が見えた。
いつからヴァネッサのことが好きだったのか思い出せない。
けれども、どこが始まりだったのかは覚えている。
初めてヴァネッサの家で夜を迎えた時、言い知れぬ寂しさに襲われていた。その時に、膝を抱えて座っていたエリオットの隣にヴァネッサは座って話をして微笑んでくれた。
──私はあんたの味方よ。
一番欲しかったその言葉は今でも昨日の事のように思い出せる。
「ヴァネッサ……僕は……」
「私も……多分あんたのとが、ううん、あんたのことが好き」
「えっ……」
あの時、デニスに襲われた時だ。
もうダメだと思っていた時、最後に浮かんだのはエリオットの顔だった。助けに来るはずはないと思っていたのに、忘れられていると思ったのにエリオットは助けに来てくれた。
嬉しかった。
けど、それと同時に自分の中に芽生えてしまったものが怖かった。
認めるのが怖かった。
だから、私は悪女だからありえないだの、アリアベルがふさわしいだの理由をつけて逃げていたのだ。
役目が終わったのなら自由に生きていいはず。
本来なら幼いエリオットを虐待して、復讐されて殺されるだけのただのピエロだ。もう本編なんて捻じ曲げられているのだし、これ以上気にする必要はない。
過ぎ去ってしまった過去よりも。
何が起こるか分からない未来よりも。
今、エリオットが好きだという気持ちをヴァネッサはやっとのことで認めていた。
「エリオット、私も好き」
「ヴァネッサ……」
優しく抱きしめるエリオットの腕の中、ヴァネッサは彼の瞳を見つめていた。そして、吐息が近くなり、二人の唇は重なり合ってい──。
「ヴァネッサ様、夕食の準備が整いました」
ドアをノックする音と、サーシャの間延びした声に二人の動きがピタリと止まる。そして、顔を見合わせるとクスクスと笑いあっていた。
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