第2話:2人きりの家族
「うー、もう少し高く買い取れませんか?」
いつもの質屋でヴァネッサは渋い顔をしていた。今までは一人だったのもあって、まだ成人前でありながらも酒場で働くだけで食いつないでいた。
しかし、これからは二人で生活していかなければならない。エリオットはまだ10歳だ。新聞売りや廃材を集めたり、あるいは畑仕事を手伝って小銭や食べ物を恵んでもらっている子どももいる。
だが、公爵家当主がエリオットを隠すくらいの事態なのをヴァネッサは知っていた。
半年後には迎えがきっと来るはずだ。
たった半年、されど半年だ。
今のエンデュミオン公爵家はエリオットの父と叔父が当主の座を巡って争っている。公爵家当主の祖父がエリオットを逃がすためにヴァネッサのところに送ったこと、叔父が人質にするために探していることを知っている。
原作ではヴァネッサがエリオットの場所を漏らし、エリオットは叔父の刺客に追われることになる。
それでも、さすが主人公と言うべきか。
結果としてエリオットは生き残り、ヴァネッサは公爵家当主となった彼に首を撥ねられる未来が待っていた。
だから、ヴァネッサが取れる方法は、エリオットを見捨てない。エリオットの迎えが来るまで面倒を見る。エリオットの所在を誰にも教えない。
そのために、少しでも身銭が必要だ。
「お願いです! 小銅貨一枚だけでもいいので……」
「そうは言ってもなぁ……そうだ、お前さんの首飾りなら大金貨1枚くらいにはなるが……」
「えっと、これは……」
店主がヴァネッサの首元を指さした。パッと見た感じだと金になりそうに見えない首飾りだ。安い麻の紐の首飾りをつけているが、問題はそこではない。首飾り、と言うよりは紐を通した指輪の方が重要だった。
両親の形見であり、彼女が元であれ伯爵家の人間だと示す大切なもの。
純金製のシグネットリングだ。
持っていても大して役に立たない。
それでも、母親との繋がりを感じられるものだ。
売るに売れなくてヴァネッサはずっと持っていた。
「これは、両親の、母の形見です。だから、質に入れられません……」
「はぁ、わかった。今回だけだぞ」
やれやれ、と言った表情で店主は小銅貨を1枚追加した。だが、質に出した翡翠の髪飾りは本来ならもう少し高く売れるはずだ。相場以下で買い取られて、たぬきオヤジめ、と思いながらもヴァネッサは無言で金を受け取った。
「はぁ……大銀貨一枚と小銅貨三枚。まぁ、三ヶ月分の給料くらいだし、なんとかなるかな?」
財布代わりの皮袋に硬貨を放り込むと、ヴァネッサは働いている酒場へと向かった。
いつものように料理を手伝い、酒を注ぎ、客へ持っていく。前世で居酒屋でバイトをしていて良かった、とヴァネッサはひしひしと感じていた。
原作通りだとヴァネッサは金貨を受け取り、自分で使い込んでいる。エリオットには最低限の食事、と言っても残飯のようなものばかりを食べさせ、自分だけまともなものを食べていた。だが、ヴァネッサはあるはずだった金貨を手にしていない。
人生ハードモード真っ只中だった。
「おい、ヴァネッサ」
鬱屈した気分で働いていると、でっぷりと太った男がヴァネッサを呼び止めた。赤毛で貧民街には似つかわしくないほど巨漢で食べるものに困っていないという体型だ。品定めをするような嫌な目付きがヴァネッサは苦手だった。
「なによ、デニス。今忙しいんだけど?」
「お前、見た目はいいから俺の妾にならないか?」
「お断りよ。私、ギャンブルって嫌いなの」
「はっ、お前、貧民街の賭場を仕切ってる俺に向かって生意気なガキだな!」
「はいはい、すごいすごい。貧民街の王にでもなったつもり?」
「ふん、つもりじゃねえよ。俺がここの王だ」
「ねえ、デニス。井戸の中の蛙大海を知るって言葉知ってる?」
「なんだそりゃ……」
「分からないならいいわ」
言うだけ言うとヴァネッサはまた仕事へと戻っていく。デニスの言う通り、誘いに乗れば楽ができるだろう。実際、無駄な程に身なりもいい。こんな貧民街の場末の酒場なんか何軒も買い取れるような財力があるだろう。
そもそも、ヴァネッサが働いていなければここに来ることもないような人種だ。貧民街で育ちながらも、裏側では一般市民どころか貴族さえも相手取り裏賭博で荒稼ぎをしている。危険な人間の一人でもあった。
けれども、ヴァネッサはギャンブルが嫌いだ。
それこそ、財産を失い、裏賭博に手を出した罪でエイブリー伯爵家は爵位を奪われ取り潰されていたからだった。しかも、よりによってデニスの賭場でだ。事業に失敗してギャンブルに手を出した父親が悪い。だが、間接的にエイブリー伯爵家を破滅に追いやった男だ。
ヴァネッサはできる限りデニスに近寄らないようにしながら仕事を続ける。そのうち気づくとデニスはいなくなっていてヴァネッサはほっと胸を撫で下ろした。
昼から仕込みを手伝い、夜まで働いて小銅貨3枚。二日働いてやっと屋台のミートパイが一つ買える程度だ。
閉店後の店の中、ヴァネッサは椅子に持たれながらボソッと呟いた。
「飲食はどの世界でもブラックかぁ……」
貰ったばかりの銅貨を皮袋に放り込むと、ヴァネッサは立ち上がる。大きく伸びをすると、店主に声をかけた。
「マスター、賄いは今日から家で食べるので持って帰りますね」
「ああ、好きにしな」
良く日に焼けたスキンヘッドの長身の男に声をかけるとヴァネッサは余った料理を持ってきたバスケットへ放り込んでいく。いつもより料理の量が多く、店主もあの噂は本当だったかと確信した様子だ。
「なあ、ヴァネッサ。ガキだけでやってくつもりか?」
「それがここ、貧民街のルールですよね」
「そりゃそうだがなぁ……おいちゃんちと心配だ。困ったことがあったら声をかけなよ」
「だったら、給金をあげてくだ──」
「すまん、それは無理だ」
「ですよねぇ」
二人分の賄いの入ったバスケットを持ってヴァネッサは家へと向かう。薄暗い街中をできる限り早く帰ろうと走り抜けた。まだ若いこともあり、あっという間に目の前にボロ家が見えてくる。前世では三十路を過ぎた頃から子どものパワーについていけなくなったのを思い出した。
「若いっていいわね……」
しみじみとつぶやくと、ヴァネッサはドアを開けた。すると、真っ暗な部屋の中、エリオットは膝を抱えて座り込んでいる。ヴァネッサはドアを閉めると暖炉に火をつけた。
春と言っても夜はまだ冷える。暖炉の火は、ロウソクを買えないヴァネッサにとって明かりの代わりでもあった。徐々に炎が大きくなり、薄明かりがぼんやりと部屋の中を照らし出す。相変わらずエリオットは膝を抱えたままだった。
「エリオット、お腹空いたよね」
「……」
「公爵家なんかと比べると見劣りするし、味も悪いかもだけど……何か食べないと、ね?」
「いらない」
「どうしたの?」
「……」
明らかに様子がおかしいエリオットに、ヴァネッサはどう接すればいいか分からない。かと言って、あたふたする訳でもなく、ヴァネッサは部屋の隅で膝を抱えるエリオットの隣に同じように膝を抱えて座った。
そのまま、夜の静けさの中二人は座ったままだ。
ヴァネッサはエリオットが喋るのをひたすら待った。その間に、もし自分がエリオットだったら、と考える。
いきなり家を追い出されてこんなボロ家で見ず知らずの人間に預けられたらどう思うか。捨てられたと思うだろう。エリオットは半年後には公爵家の迎えが来るのをヴァネッサは知っていた。だから、焦ることもなく、ただひたすら耐えしのげばいいと分かっている。
一方のエリオットはどうだろうか。
いきなり家を追い出されて、ボロ屋でいつ迎えに来るのか、そもそも迎えに来るかさえエリオットは知らない。自分なら耐えられるのだろうか。ある日を境に当たり前だったものが当たり前じゃなくなる。これ程恐ろしいことはない。
「ねえ、ヴァネッサ……僕は迷惑じゃないの?」
少し顔を上げると、エリオットは上目遣いでヴァネッサに問いかけた。その姿がまさにダンボールにつめられて捨てられた子犬のようで、ヴァネッサの母性がくすぐられる。
元々の性格も相まってか、ヴァネッサは母性が強めだ。しかし、それを差し引いても膝を抱えて哀願するようなエリオットを誰が迷惑だと思うのだろうか。
「エリオットはどうしてそう思うの?」
「だって、僕は邪魔だからって追い出されて……それで、ヴァネッサのところに来たんだよね?」
「迎えは必ず来るわ。半年後にね」
「なんでそんなことが分かるの?」
「内緒よ。でも、私を信じなさい。それにね、あんたまだうちに来たばかりじゃない。あんたのこと、まだよく知らないのに邪魔とか迷惑とか思う暇もないわよ」
「でも……」
「ごちゃごちゃうるさいわね。そもそも、私があんたのこと邪魔だって言ったことあった?」
「……ないけど」
「それ以前に、邪魔だって思ってるなら預かったりしないんだけど」
「だって──いてっ、いだだだだだ!?」
ギュッとヴァネッサはエリオットの両頬をつねって引っ張った。涙目になる彼の頬をつねったままヴァネッサは意地悪そうな笑みを浮かべる。
「でももだってもなしよ、エリオット」
そういうと、両頬から手を離すと、右手の人差し指でそっとエリオットの唇に触れて黙らせた。そして、静かに告げる。
「うちに来たんだからあんたは私の家族よ。それは家主の私が決めること、いいわね?」
「はい、わかりまし──」
「わかってなーい。悪い子にはお仕置じゃ!」
「いたたたた、わかったからはなしてよ!」
「よし、許してしんぜよう」
またもや涙目になるエリオットから手を離してヴァネッサは抓るのを止める。頬を擦りながらもエリオットは隣に座る少女を見上げた。
どのくらいこの酷い環境で生きて来たのだろう。髪の毛はところどころいたんでいるし、服も継ぎ接ぎだらけだ。キツい目付きと顔立ちは近寄り難さがあるのに、今のエリオットにはまるで女神のようにも見えた。ぼんやりとヴァネッサのクシャッと笑う顔に見とれていると、彼は抱き寄せられ、ギュッとヴァネッサの腕の中に抱きしめられている。驚きと恥ずかしさで固まっていると、ヴァネッサはそっと耳元で優しく囁いた。
「大丈夫よ、エリオット。私は何があってもあんたの味方だから、ね?」
「──っ」
それは一番エリオットが欲しかった言葉だ。
エリオットはそっと胸元に隠していたリングを取り出すとじっと見つめる。それは公爵家当主の祖父から渡されたもので、公爵家のシグネットリングだった。
家紋の入った金色のシグネットリングはこの世界の貴族にとって命より重いものだ。
それをエリオットに渡しているということは、最初から公爵は彼を選んでいたのだと察した。
そりゃそうだ。
子どもをほったらかして、危険な目に合わせて権力を争うだなんてヴァネッサからしたら馬鹿らしい話である。
ざまあみろバカ親とヴァネッサは内心呟いた。
胸元からリングを取りだしたヴァネッサはエリオットに見せると微笑んだ。
「おそろいだね」
「う、うん」
またクシャッと満面の笑みを浮かべるヴァネッサに、エリオットは辛うじて返事だけできた。全く知らないのに、エリオットからしたら家に置いてくれるどころか迷惑じゃないと言ってくれる。あまつさえ、何があっても味方だ、と言葉にしてくれた。
嘘をつく人間ばかりで、エリオットは人の言葉に敏感だ。もしかしたらヴァネッサもそうで嘘をついているかもしれない。そんな考えが浮かぶが直ぐにヴァネッサの笑顔を見るとかき消されていく。
安心して緊張がとけたせいか、エリオットの腹の虫が鳴き出した。彼は恥ずかしそうに顔を伏せた。ヴァネッサは立ち上がってスカートから埃を払うと、エリオットに手をさしだす。
「お腹すいたでしょ? ご飯にしよう」
ヴァネッサの手を取ると、エリオットは立ち上がった。改めて見ると、エリオットにはヴァネッサがとても大きく見える。たった5歳しか変わらないはずなのに、自分がとても小さく感じた。
ちょっとまっててね、と声をかけると、ヴァネッサは食卓にエリオットをつかせて食事の準備を始める。貰ってきた料理の残りや、切れ端の野菜で手際よくスープを作っていく。
しばらくすると、食卓にはカビたところを取り除いた黒パン、切れ端の野菜のスープ、余ったミートパイが温かそうに湯気をあげていた。両親が生きていた頃の食事と比べると、月とすっぽんどころか月と泥団子の差がある。それでも、今まで見た料理よりも何故だか温かく美味しそうに見えた。
「いただきます!」
ヴァネッサは手を合わせて、元気よく声を上げた。エリオットは彼女の姿を見てポカーンとしてたが、直ぐに手を合わせて、いただきます、と小さく言う。
その日の食事は、大したものではないのに、エリオットにとって一番美味しく感じた。他愛のない話をしながら、誰かと食事するのは久しぶりだ。気づけばエリオットはポロポロと涙を流していた。
「あ、ごめん、エリオット……あんまり美味しくないよね」
「違うんだ。そうじゃなくて……温かいご飯って、こんなに美味しいんだねって思ったら、なんか止まらなくなって」
「ふふふ、これからは毎日温かいご飯用意するから楽しみにしててね。と言っても、酒場の余り物だけど……」
「僕、ヴァネッサの料理なら一生食べられるよ!」
「調子いいんだから」
「本当だよ!」
「はいはい。じゃあ、冷める前に食べちゃいなさい」
育ち盛りの二人にとっては少ない量だったが、ヴァネッサもいつもより満たされた気分だった。
食事が終わると、温めたお湯をタライに張り、ヴァネッサはエリオットの体を布で拭いてやる。そして、硬い板のベッドの上で二人で一枚の毛皮を掛布団にして横になった。途端に、エリオットは直ぐに眠りに落ちる。ここまで安心して彼が眠れたのはいつ以来だろうか。
エリオットが眠りに落ちたのを見守ると、ヴァネッサも静かに目を閉じる。火の消えた部屋の中には柔らかな月光が差し込んでいた。まるで二人を見守るかのように。
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