#3

 結局授業の内容なんて一切頭に入らなかった僕は、ホームルームが終わってすぐ第二音楽室まで走った。


 もう既に部室には他の部員も集まっていたが、『Flash Back』のメンバーは岡部先輩だけだった。


「お疲れ様です」

「おう」


 岡部先輩は珍しくドラムセットではなく、教室に設置してある学習机に座って雑誌を読んでいる。


「……それ、何の雑誌なんですか?」

「レモンページ……なんか、家にあったお袋の料理本」


 当たり前の様にページを捲る先輩は真剣な表情で、記載された料理に目を向ける。


 見た目はかなりスポーツ男児である先輩が、まじまじと料理を眺める様子はとても滑稽で、失礼とは分かっていて笑いが込み上げてしまう。ニヤける頬を誤魔化す為にワザと鼻を人差し指で擦った僕は、小さく咳払いをして平静を保つ。


「料理好きなんですか?」

「いや」


 相変わらず単調に答えた先輩は、雑誌から顔を上げて僕を見る。


「文化祭の出し物がおにぎり屋なんだ……そう笑うな」

「うっ」


 サラッと釘を刺された僕は「わ、笑って無いですって」と取り繕うも、先輩の目は本気なのできっと見透かされている。


 僕は気まずくなって先輩が持つ雑誌を覗き込むと、見開きになったページの片側はコンサートの広告だった。


 開催日時はほぼ10年ぐらい前なので、この本も相当年季が入っている。


『世紀のピアニスト  倉科 秀雄』


 仰々しいタイトルと、その下に続く華々しい受賞歴を眺めながら、きっと僕とは住む世界が違うんだろうなと想像して溜め息が漏れた。


「幸せ逃げるぞ」


 一連の様子を見守っていたであろう岡部先輩は雑誌を閉じて鞄にしまうと、愛用のスティックを取り出して僕を見る。


 本当に先輩は、よく人を見ている。

 きっと僕が勝手に比べて落ち込んだ事も分かってて言っているのだろう。


 その共感力に脱帽した僕は「気を付けます」と返事をして、練習の準備に入る。


 いつも背負って運んでいる楽器ケースを開いて丁寧にベースを取り出し、小脇に抱えて弦を指先で撫でる。


 低く響く音がいつも通りかを一通り確認し、僕は譜面を開いて深呼吸した時、「螢ぅーー!」と楽観的な声で呼ばれる。


「煩いなぁ……今集中してたのに!」

「えっ?あっ、ごめん……いや、『雅』なんだけどさぁ、アレって誰が歌うの?」


 ごめんと言いながらも全く悪びれた様子のない昴は、片手で僕を拝むと不思議そうに尋ねる。


「特に決めてないけど、まぁ……多分昴じゃ無い?」


 勿論適当に言ったのではなく、このグループの中でボーカルを務めた事があるのは昴のみなので、僕の中では当然の成り行きだった。


「はぁ?……お前が作ったんだから、歌うのは螢だろ?」


 しかし、昴は納得がいかない様子で前のめりになると、勢いよく僕に顔を近付けた。

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