【廃小屋】よりとある師弟の回顧録

 Q.お邪魔しまーす。うわっ、ホコリすごっ。


 長く使われていないことが分かる古い小屋。

錆びた蝶番が、軋む音を立てる。


 勧めがあってやって来たこの小屋は、はるか昔、話に度々聞くテオという人物が暮らしていた小屋らしい。


 Q.こんな辺鄙へんぴな場所で暮らしていたんだ。


 否。辺鄙だからこそかもしれない。

森の人エルフのサカニアが言うには、テオは追われていたらしいから。

 聖女殺害未遂の大罪人として。


 Q.話を聞く限りは、そんな風に見えないのに。


 人間とは、かくも分からないものである。


 Q.……ん?


 足下に違和感。

床に厚く積もったホコリを足でこそいで、違和感の正体を確認する。


 Q.うわぁ……。


 それは血。

広範囲に飛び散ったそれは、ここで派手な流血が起こったことを示す、揺るぎない証拠。


 Q.死体のようなものは……。無し。生き残ったか、それとも片付けられたのかな。


 脚が腐って傾きかけている机の上には、薬研と呼ばれる、薬をすり潰す道具と、その残り物のような、得体のしれない物体が。


 Q.カビっぽい。カビも乾燥するくらい長い期間放置されていた場所なんだ……。


 大きく息を吸い込めばせてしまうだろうことが容易に想像できるこの場所で、テオはどのように過ごしていたのだろう。


 Q.これは……。本?


 小さな戸棚。その中に一冊だけ、分厚い本が置いてある。

羊皮紙をまとめたそれは、長くここにあったためか、黄ばんだ茶色に変色をしていた。


 一枚、紙を捲る。


【――いつか、この手記を見る者へ】


 そんな書き出しから始まる手紙のような本。

手書きで書かれた文字は、本の底までびっしりと書き込まれ、筆者の感情を伝えてくる。


【この日記を見ている者は、たまたま雨風をしのぎに来た者か、それとも真実を求めに来た者でしょうか】


 誰かに語りかけるような言葉。

次に書かれた文字に目が留まり、ページを捲る指が止まる。


【私は明日、きっと死んでしまうでしょう】


 はたしてこの手記の著者は予言でもできたのだろうか。

そう思ってしまうほど、以降の内容は異質で、時間が過去に未来に飛んでいるような、不思議な感覚を覚えた。


【可愛い弟子を守った結果だから、後悔は有りはしません】

【それでもきっと、あの子に深い傷を遺してしまう】


 淡々と、切々と書き記された言葉。

その調子のまま、起こった事実を羅列したページ。

単調な調子で書かれているのに、圧のような、凄みのようなものを感じるページ。

そのページは、他のページよりも文字が細かく、まるで伝えたいことをいっぺんに伝えようとしている切実な感情さえも感じられる。


【私は、兵士に刺されました】

【腹から血が飛び散り、血溜まりを床に作りました】

【両手は塞がれ、腹からは血が濁流のごとく流れ出てきます】

【どのようにしたって死んでしまうでしょう】

【しかし兵士は、怪我も病気も、全快させる秘薬を持っていた】

【死んでいなければ、立ちどころに健康そのものの体になる秘薬】

【そんなもの、おとぎ話にだって滅多に出てこない空想の産物】

【兵士はと言いました】

【得体のしれない薬でした】

【嗅いだことのない臭いと共に、私もよく扱う、眠り薬の臭いが混ざっていました】

【あれを口に含んだ瞬間、次に目が覚めた時にいるのは尋問するためのどこかだろうと】

【容易に想像ができました】

【兵士がそこまでして私を生かそうとしたのはきっと、聞き出したかったからでしょう】

【私の弟子の居場所、その手がかりを】

【屈すれば、あの子がどうなるかなんて分かりきっていました】

【だから私は、あの子に魔の手が届かぬように、自ら死ぬことにしたのです】


 ページを捲る手が止まる。

あまりにも鮮明に書かれていて、筆者はこの修羅場の最中に書いたと誤解してしまいそうになる。


【兵士のその蘇生薬を口にするより先に、机に体当たりをしました】

【完成品と失敗品と、瓶詰めしていたもの、していないもの】

【薬が机の上をゴロゴロと転がりました】

【その中のひとつ】

【テオが作った薬品が転がり、床に当たると同時、中身が目の前でぶち撒けられ広がりました】

【狙っていたシチュエーションです】

【私は、無我夢中でその薬品を舐めました】

【直ぐに効果は現れました】

【全身が沸騰するように熱くなり、体には発疹が無数に広がります】

【薬品が通った喉は灼け、血反吐を撒き散らしました】

【内臓は溶けているのか爛れているのか、体が壊れる音を聞きました】

【悶え、苦しみ、床をのたうちました】

【やがて私は力尽き、口から目から泡を吹きこぼし、やがて絶命したのでしょう】

【テオのためであれば本望と、強く胸にその想いを宿して】


 壮絶な書き方。

自らが死んだ描写にしては、あまりにも詳細すぎる。

そもそも、こんな死の間際に、このような詳細な手記など遺せるはずがない。

 その疑問は、続く一文で解決した。


 Q.そういう、夢を……。


【そういう夢を、見たんです】

【だから、その夢の内容を遺します】

【きっと私は、当事者として記すことはできないから】

【願わくば、正しく後世に伝えてください】

【私が最期に遺す、その時の真実を】

【けしてあの子が、あの子自身を悪者にしないように】


 文字が記された最後のページ。

そこには著者の名前が、クシャリと濡れて歪んだ紙に記されていた。


【私の名はメェリャ】

【動乱の時代の落とし子テオ。その師匠であり、養母であった者】

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