1-7-5
「……静かだなぁ」
テオ達がいなくなって、もう三年。
賑やかだった家の中は、今日も静まり返っている。
「……懐かしいなぁ。この机の傷、テオが包丁使おうとして付けちゃったんだよね」
林檎を剥くだけなのに、何がどうしてそうなったのか。
包丁の刃先はまな板を逸れ、机にダイレクトアタックをして深い傷を付けた。
結局、サカニアは彼女らを引き止める事は出来なかった。
サカニアが、彼女たちの元へ行くことも許されなかった。
……メェリャの言い分だった。
彼女はあの時、何よりもテオの身を優先したのだろう。
長い別れになることを覚悟し、サカニアはメェリャとテオを送り出した。
覚悟はしたはず。
それなのに、サカニアは途端に空っぽになった。
あれだけ作っていた魚のフリットも、最近ではめっきり作らなくなり、今では一日に一度、果物を口にするだけで事足りてしまっている。
サカニアは寝不足の目をこする。
……あれから何度も、夢を見る。
日に日に鮮明になっていく夢と、自分がどう動けばいいのか、分かる毎に突きつけられる役目。
サカニアは
テオに会いたい。けれど、テオに会ってしまえば、世界が動き出してしまう。そんな予感がする。
(テオに会いたい)
机の上に果物を並べる。
泉で汲んできた水を並べて、今日一日の食事としてしまおう。
(テオに会いたくない)
時計の針が鳴る。
まもなくすぐ、長針と短針が重なる一瞬が訪れる。
(テオに、会いたい)
玄関のノブが鳴る。
カンカン、と扉に金属製の呼び出しノブが叩きつけられる。
(テオに)
玄関先には、懐かしい人。
身長もめっぽう高くなり、壮健な青年にも見える出で立ちになった娘が、照れたように片手をあげた。
「……久しぶり、サカニア」
長かった髪はすっかりと切り落とされ、
何よりも、大きな違いと言えばその顔にある仮面。
真っ白な飾り気のない仮面は、テオの火傷痕を見事に隠しきっている。
……その代わり、仮面の人物という胡散臭さは付与されてしまっているが。
旅人がよく着用する防寒マントを肩にかけ、無骨な装いをした青年のような娘に、サカニアは薄らと涙を浮かべた。
「会いたかったよ。テオ」
「……わたしも」
思い切りハグをすると、照れが残る動作で恐る恐る背中に手を添えるテオ。
「大っきくなったね〜」
「サカニアはなんか……小さくなった?」
「君が大きくなったんだよ、テオ」
再会を喜び、サカニアはテオを招き入れる。
背後を気にした風なテオが妙ではあったが、サカニアは気にならず、ウッキウキでお茶を用意する。
「テオちゃんと食べれてた?」
「まあまあ。大体わたしが食事作ってたからな」
「やっぱりメェリャの料理下手は治らなかったか……」
「どうしたらお茶が固形で出てくるのかすごい疑問だった」
「本当にね。何混ぜたらああなるんだろう……」
「見た感じは茶葉を普通に煮出していただけだったんだが」
「ある意味才能だよね」
神妙に頷けば、同意が返ってくる。
テオたちが出ていく以前によく飲んでいた薬草茶を出す。
仮面を僅かに持ち上げ、覗く口で一口飲んだテオは、ホッとした雰囲気を醸し出す。
「昔はよく薬草摘みにメェリャにくっついてったよね〜。今まではどうだった?」
「師匠はわたしに薬業務全般押し付けてきたよ。納品は師匠だけど、五割はわたしが作ってた」
「認められたんだね〜。メェリャは認めてない人には手伝いどころか、器具さえも触らせないよ。ワタシは触れなかった」
「……そうかな」
「魔法の腕もね、以前、惚気ていたことがあったんだよ〜。私以上の魔法の使い手にきっとなるよ、あの子。って」
茶を飲む手が震える。
刻一刻と、その時は迫っていた。
「サカニア」
娘の声が聞こえる。
愛しくて残酷な、娘の声が。
「テオ、魚のフリットよく食べてたよね。食べる? 魚捕りに行くところからになっちゃうけど」
「サカニア、聞いて、聞いてくれ」
肩を掴まれ揺すられる。
何とかして自分の方に振り向かせようとする、子供のような仕草。
それでも体格は大人の人だった。
「サカニア」
「やだよ。言ったら、もう……。聞きたくないよ」
「聞いてくれ、サカニア」
仮面が机に沈み込むくらい、深く、深く俯くテオがいる。
「サカニア、
声はひどく震えているくせに、合わせる目はひどく真っ直ぐだ。
「わたしが殺してしまった」
サカニアが何か言うより先に、テオは確固とした決意を持って告げる。
「サカニア。わたし、行かなきゃいけない」
お別れを。
彼女が放つその一言が、ひどく頭に残る。
「記憶、戻ったんだ?」
幼児返りをしていた、幼い娘はもうどこにもいない。
そこにいるのは、使命を見つけた、一人の
「ああ。わたしは、止めなくてはならない」
『世界の崩壊を』
声が重なる。
テオは驚いたようにサカニアの顔を見る。
目に涙が浮かぶのを、サカニアは抑えきれなかった。
「今はまだ、力を蓄える時だ。奴らから隠れ、来たるべき時まで息を潜め続けるんだ」
「来たるべき時?」
「いずれ分かる。君には、心強い味方ができる。それは、神から遣わされた道案内人だ」
頬に次々と涙が
驚くテオに、サカニアは泣いたまま微笑む。
「君に役目があるように、実はワタシにも役目があるんだ。預言者って言うんだけどね?」
テオは俯く。
零れた言葉。きっと口角は上がっているのだろうと予想する。
「……ふふ、心強い預言だ」
その声は震えていた。
それはきっと、別れの予感に。
「テオ。忘れないで欲しい」
だからサカニアはテオを抱き締める。
その仮面に頬を寄せ、囁く。
「君の育ての親はメェリャだけれど、ワタシも君のことを、実の娘のように思っている」
本当に思っている。
心から思っている。
君が成さねばならないことも、それについて止めることができないことだって、ああ。わかっているさ。
だけど、それでも、言いたくなる。
行かないでいいんだよ。傍にいていいんだよ。
役目なんて、世界なんて放っておいて、人生を穏やかに終えたって、いいじゃないか。
だけど、ああ、言えない。
それは言ってはいけないことだから。
蓋をした言葉。無理やり口角を上げる。
「愛してる、テオ。心から、君を愛してる!」
辛い時には、いつでも帰ってきていいんだ。なんて。
無責任すぎる言葉。飲み込んだ。
「行ってらっしゃい、テオ」
「……行ってきます! サカニア!」
テオの背中を見送ってしばらく。
ガランとした静かな玄関に、望まれない騒音。
何年か前にも聞いた、鉄が擦れる争いの音。
「……さて、と」
武装した人間が、家の周りにいることは窓から見える情報でよく分かる。
サカニアは面倒臭く立ち上がり、玄関から外に出る。
「何か御用で?」
不機嫌丸出しのサカニア。
神秘的な雰囲気も相まり、彼らは僅かにたじろぐ。
たじろぐ際にも音はして、それはサカニアの心をひどく逆撫でる。
「ワタシの大切な親友と、ワタシの大切なかわいい子供の旅立ちを、邪魔しないでくれるかな?」
久しく振るうことのなかった杖がサカニアの手に握られている。
人間など足元にも及ばない、優れた魔法使いでもある。
「人間風情が」
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