1-6-2
黙々と薬草の採取をしていたテオが、立ち上がり大きく伸びをする。
「……よし、そろそろいいか。ウミ、手伝ってくれてありがとう」
「んへへー」
「テオ氏、あっしは?」
「あー……。毒草の場所を教えてくれてありがとう?」
「せめて疑問に思わないで感謝してくださいよぃ!」
アレおかしいな? イルは疑問に首を傾げる。
旅をしてからテオのイルに対するイジりが
(……いや、割と昔からでしたねぃ)
前からのことではあったが、その記憶が
それでも。
(テオ氏が何だかんだで楽しそうですのでぃ。許してしまうんですよねぃ)
自分も大概甘いと、イルは肩を竦める。
「あ」
その瞬間、テオがイルの方向に振り向き、何かに気が付いたように声を上げる。
「え?」
イルが振り向く背後。
何もいない。
「なんでぃ、テオ氏。驚かさないでくださいよぃ……」
「いや、足下」
言われるがまま足下を見る。
プルプルした、
「ヒョァッ!!」
驚いて飛び上がる。
バランスを崩す。
前のめりになって、ソレを踏み潰した。
「あ」
「あ」
「あちゃー」
イルが一言呟くと、連動するようにテオも呟く。
額に手を当て、やってしまいましたなー。と言いたげに呟くのは黒髪の少女。
足元にあったソレは、踏み潰したイルの足を中心に、二つに分離した。
「やっちまった、どうしましょぃ、テオ氏」
「落ち着け、そーっと足を退けて、そっとこっちに来るんだ。刺激するなよ、絶対に刺激するなよ……」
そろーり足を持ち上げ、ソレを刺激しないように避けようとする。
「フェ……ヘ……ッ……ヘックショォィン!」
最悪なタイミングでくしゃみが出た。
テオが大慌てでイルの襟を引き寄せる。
勢い余ってもう一回、ソレを踏み潰してしまった。
もう一匹増えた。
「おま、お前! バカ! 絶対に刺激するなは刺激しろの意味じゃないからな?!」
「申し訳ねぇですぜぃ生理現象でぃ!」
「イルお約束踏んでったー」
とても呑気な少女と対照的に、イルとテオは焦りに焦っていた。
ソレは少しでも気を抜くと、あっという間に体に纏わりつき、息を奪ってしまうが故に。
「テオ氏、顔面!」
「《火よ》!」
腰に差した杖を持ち、呪文を唱えたテオの真正面。
顔面に飛びかかってきたソレは、僅かに放たれた火に裂かれ、テオの正面から退いた。
かと思いきや。
『ポポポン、ポポン、ポン、ポポン』
軽い音を鳴らしながら、ソレは次々と分裂していく。
イルは冷や汗をかく。
テオをちらりと横目で見る。
気のせいか、テオの仮面が、冷や汗をかいている幻覚が見える。
どんどん増えていく。
テオの冷や汗の幻覚が増えてきた。
いやあれ本当に浮かんでいるんじゃないか? 冷や汗。
「イル」
「はいな」
「……逃げるぞ!」
「
イルは商売道具を、テオは薬草やなんやが詰まったリュックを背中に背負い、小脇に少女を抱える。
彼らの逃亡劇が始まった。
――そして、現在に至る。
「おかしいですねぃ! 最初一匹だったはずなのに! もうこーんなに増えてやがるんですよぃ!!」
「追いかけられてる最中にいろんなところにぶつかって連鎖的に増えたんだな!」
「一番の原因テオ氏の魔法じゃないですかぃ?! ヤツら、中途半端な魔法だと食らった瞬間びっくりするほど増殖しますからねぃ!」
「仕方ないだろ! 森でまともに火なんて使えるか! 燃えるわ、森が!」
喚きながら走り続ける二人の小脇。
少女はキョトンと、不思議そうに聞く。
「アレって、スライムだよね? そんなに怖いの?」
少女の疑問に、イルの口がきゅっと真一文字に引き結ばれる。
「怖さを知らないって恐ろしいですねぃ……」
「同感だ」
「……あれ、そんなにヤバいの?」
最近流行りの若者言葉を覚えてしまった少女の言葉。
しかし意味がよく分かるが故に、二人は揃って頷いた。
「……ウミ。こんなことわざがある。『スライムの道』」
「スライムの……道?」
「ヤツらは、何でも溶かして食べる。草も、石も、目の前にあるなら家でも何もかもをだ」
「しかもですよぃ。あいつら、ちょーっとの刺激ですぐ増えるんですよぃ……」
「増える」
テオは頷く。
「ヤツらが通る道は、スライムしか残らない。地面は剥げ、建物も無くなる。だから、人々は恐れるんだ。『スライムの道』を」
「なるほど……。え? 倒せないの?」
「倒そうとするだろう? 威力が足りないと、ヤツらは増える」
「増える」
「ヤツらを消滅させるには、並外れた威力の魔法で一掃するしかない。だが、それは」
イルは背後を見る。
最早草原を埋め尽くさんばかりの大群。
冷や汗の量がさらに増えた。
「……スライムがいる範囲一帯を、焦土にする覚悟がいるんだ」
「森や人里じゃあ、絶対に無理ですよぃねぃ」
「さっきは無理だったが、ここなら」
テオは立ち止まる。
振り返る先、大量のスライムで埋め尽くされた草原が見える。
「《
空を裂いて落ちる眩い光。
それが落ちた衝撃で、その下にいたスライムが消滅する。
しかしそれはほんの一部。
スライム自体はまだまだいる。
「《炎よ》!」
火柱が竜巻のごとく舞い上がり、スライムを何百匹と持ち上げ、その灼熱に焦がし燃やす。
それでもまだいる。
小脇に抱えられた少女は、ようやくスライムの脅威が身に沁みて理解できた頃か。
彼女の頬に、一筋汗が流れる。
「……仕方ない。イル! 飛ばされるんじゃないぞ!」
テオは杖を両手で握りしめ、仮面の奥から呪文を唱える。
横顔を窺う程度だったが、仮面の中の目は閉じているように見える。
今まで一言程度で済んでいた呪文が、長い時間詠まれることに、イルはそこはかとなく不安を覚える。
「《……我が身を脅かす全てのものから我が身を守る龍となれ》」
長い呪文も終わりに近付く。
テオは閉じた目を、カッと見開いた。
「《暴風》!」
瞬間。
草が千切れ、土が剥がれ、イルたちの髪は不規則に暴れまわる。
それは渦。風の渦。
とぐろを巻くヘビを思わせる風の渦は、大量のスライムをごっそり空へと舞い上げる。
そのスライムたちは、鋭い風に切り裂かれ、増殖も間に合わない内に消滅していく。
(テオ氏ぃ! 少しは手加減してくださいってのぃ!)
渦の中心にいるわけではない外野のはず。
それなのに、目を開けていられないほどの風圧に襲われる。
数秒か、あるいは数分か。
時間が分からなくなるほど必死に耐え続けていると、突然風がやむ。
「終、わりましたかねぃ……?」
イルが目を開けるとそこには。
倒れ伏したテオ、その傍らで一生懸命肩を揺すっている少女。
それから、少し先に、まだ何十匹と残るスライムがいた。
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