第8話 安堵

 料理店の店主―名をファルシという―は松明片手に村の外れまで来ていた。村の外れのボロ家。少し前まで貧しい4人家族が住んでいた小さな家だ。


「兄貴ぃ、もう帰りましょうよぉ」


 隣で情けない鳴き声をあげているのは、弟分のシューという男で、ファルシの妹の旦那である。ファルシは、怯えた顔でがっしり腕に絡みついてくるシューを邪険に振り払った。


「こっちに行くのを見たって情報があるんだ。死神の嬢ちゃんが」


 シューは死神という言葉に「ひっ」と身を竦ませた。ファルシは思わず頭を抱える。こんな心許ない男に妹を託してよかったのだろうか。これでは死んだ親父も浮かばれないではないか。妹は「優しいところが好きなの♡」などとほざいていたが、情けないの間違いではなかろうか。


 そんなことを思いながらため息をつくと、シューの子犬のように潤んだ瞳が訴えるようにこちらを見上げていた。


「でも、さっき見たじゃないですか。あの家やっぱり誰もいなかったですよね?」


 シューの言うとおりだった。家の中にも入ってみたが、以前来たときと変わらず、夜逃げ状態そのまんま。誰かが入った痕跡はない。この前と違うことといえば、雑草が家の中まで入り込んでいたことくらいか。人の住まなくなった家、特にボロ家であればガタがくるのも早いのだろう。


 シューがファルシの袖を引っ張った。


「そんなに気になるなら明日の朝にもう一度来ましょうよ、ね? もっと人も集めて…だって…もしかしたら…その…犯人の死体がこのあたりに転がっているかも…」

「もしかしたら死んでるのは死神の方かもしれないけどな。その場合、殺人犯はまだ生きていることになる」


 そう吐き捨てると、シューが悲鳴をあげながらファルシに抱きついてきた。膝から下がガクガク震えている。どうやら怖がらせすぎたらしい。もちろん、一家は夜逃げして、そもそもここには殺人犯などおらず、死神も何もしないで村を出ていった可能性もある――むしろ、そうであってほしい。


 死神にこの場所を教えたのは自分だ。だから、気になってしょうがないのだ。


 死神が狩る罪人は凶悪犯だ。普通の人間では太刀打ち出来ない、そういう類の罪人を死神は追っている。死神が現れるとき、そこは惨状になる。綺麗に処刑するなんて余裕はないのだ。そして、死神が必ず勝つというものでもない。死神殺しの罪を重ねる罪人だって少なくないと聞く。つまりは死神と罪人の力は互角。


 奥の森ではミミズクが鳴いていた。ファルシは吐き出すようにため息をついた。


「なんだってうちに来たんだか…」


 まったく後味が悪いったら。襟足をぼりぼり掻き、思い切ってボロ家に背を向ける。


「シュー、付き合わせて悪かったな。帰るぞ」

「あ、あ、あ、兄貴ぃ」


 震えるシューの声に思わず舌打ちする。


「ったく、なんだ」

「あ、あ、あ、灯りぃ」

「はぁ?」


 苛立ちながら振り返れば、シューが震える指でボロ家の方を差している。ファルシはハッと息を呑んだ。


 扉の隙間から灯りが漏れている。さっきまではそんなことなどなかったのに。


 扉が軋む音がした。建て付けの悪さをアピールしながら開いた扉、その影から長身の男が出てきたので、ファルシは一瞬身構えた。死神は小柄な女だった。男が出てきたということは、つまり…


 しかし、それも杞憂に終わった。その後ろからすぐに赤いニスデールの死神が出てきたからだ。死神はこちらに気がつくと、一瞬躊躇うように足踏みしたが、結局こちらに向かってやってきた。シューはファルシの後ろでぶるぶる震えていた。義弟の有様に呆れた視線を送りつつ、ファルシは死神に向かって松明を揺らした。


「無事…で良いんだよなっ?」


 死神の傍らを歩く男を視線の端に捉えながら、そう声を掛ける。この村では見ない顔だった。生きているから、まさか罪人ではあるまい。それにしてもこの男、あまりにも、美しい――


「何しに来た」


 気づけば死神がすぐ目の前まで来ていた。ファルシは慌てふためいた。


「な、何って…一応…心配で…」

「…」


 死神からの返事はなかった。聞いてきたのはそちらだろう。しばし流れる無言の間。あーもうっ、とファルシは襟足を掻き、そして真剣な面持ちでまっすぐ死神を見た。


「で、家族は」


 夜逃げしていたか?

 本当はそう聞きたかった。そうであって欲しかった。しかし、死神の小さく丸まった背中を見て、なんだか答えが分かってしまったのだ。


 案の定、死神は首を振った。


「この子だけだ」


 えっ、と思う間もなく、死神がニスデールをはためかせる。死神がその中に隠していたもの。ファルシはその幼い命を前にぐっと目頭が熱くなるのを感じた。


「十分じゃないか」


 声が詰まった。正直、夜逃げでないなら全員死んでしまったのだと覚悟していた。家族がいなくなった日から、とうに4日は経っている。不幸にも死神が追うような罪人に目を付けられてしまった。なのに、1人生きていた。それだけでも、十分じゃないか。


 死神の隣の男がボロ家を振り返り、初めて口を開いた。


「明日にでも弔ってやってほしい。屋根裏に死体がある。3人と1人分」


 その瞬間、ファルシの後ろでドサッと重たい音がした。気の弱いシューが恐怖のあまり気絶して地面に倒れていた。

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亡国の姫は死神となりて罪人を狩る イツミキトテカ @itsumiki

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