第4話 地下
ソニアが階段を降り、ようやく灯りのある広間へ辿り着いたとき、受付台に座る化粧の濃い妙齢の女がぎょっとした顔で振り向いた。
「あんた、1人かい?」
女はソニアの後ろをまじまじと見ていた。「そうだ」と答えると女は気味が悪そうに肩を震わせた。
「ずっと話し声が聞こえてたんだけど、じゃあ、全部あんたの独り言ってことかい? まったく、気持ち悪いことしないでおくれ」
ソニアは少しむっとした。こっちだってすこぶる怖い思いをしたのだ。ランタン2つを受付台に乱暴に置いて言い放つ。
「切れてた。2つとも。神使の管理がなっていないんじゃないか」
「あれはこっちのことまで頭が回るタマじゃないよ。おかげで自由にやれて助かるけどね」
それは同感だ。それに、どうせもうこの街に来ることはない。苦情言うだけ疲れ損だ。ソニアは不満を片付けて、首から提げたネックレスを女に見えるようにかざした。
「婦女5人殺しダエン・ブラトーを処刑した」
「はいよ」
女はネックレスを見るともなしに見て、おもむろに立ち上がった。見るまでもなく、ソニアが何者で何をしに来たのか分かったのだ。
ここは、神殿の地下。地上には神使が居座り、地下には死神が行き来する。地上には女神トルシュの像が建ち、地下には人知れず女神の流した涙が集まる。神殿とはそういう場所だ。
女は奥の間へ向かった。ソニアも黙ってついていく。向かった先は『花の間』である。花の間はどこの神殿にもあり、女神トルシュ像の真下の位置にあるのが常だった。
花の間では、その名の通り花が咲いている。この世界のいたる所で見かけるあの白い花の、とてつもなく大きなサイズのものが、花の間の中央には根付いている。そして、いつものサイズ感のものも花の間のそこかしこに咲いている。
大きな花の真上では天井から水滴が今にも落ちそうになっていた。これが俗に言う『女神の涙』である。水滴は自身の重さに耐えかねて、ぽちゃんと花の中へ落下した。その瞬間、花は天命を受けたとばかりに身震いし、花弁をはらりと落とした。そうやって、落ちた花びらがこの広間には転がっている。
女は腰に差していた杖を抜くと、地面にこつんと打ち付けた。
「フロッタン」
酒ヤケだろうか。掠れた声に、しかし、迷いはなかった。これまで何十、何千と魔法を唱えてきたのだろう。そう思わせる貫禄がその響きにはあった。神殿の地下には第一線を退いた歴戦の魔法使いが、老後の小遣い稼ぎに働きに来ていることが多い。
女の浮遊魔法で、床に散らばった花弁たちがふうわりと宙に浮いた。女の視線の高さでふわふわと停止し、杖の指揮に合わせて女の前に整列する。
「ダエン・ブラトー…ダエン・ブラトー…あぁ、あった」
女は目当ての花弁を見つけると、刻まれた文字に目を走らせながら、ソニアにそれを差し出した。
「ほら。持っていきな。婦女5人殺しダエン・ブラトー…死神ソーニャ―」
ソニアは女の手から花弁を掴み取り、話を遮った。
「死体は北の森に転がっている」
「北の森? また面倒な…。まぁでも、あそこならそのうち野生動物が掃除するだろさ」
「…任せる」
ソニアは死体の処理があなた達の仕事だろうとは言わずにおいた。誰にでもやりたくない仕事はある。実際、ソニアが弔っても良かったのだ。その仕事を奪ったからと言って、責められることはない。罪人の死体処理とはそういう類の仕事だった。もし、死体の処理をきちんとやらせようと思うならば、今度は街中であけっぴろげに処刑すればいいだけのこと。
ソニアは宙に浮く他の花弁に、ざっと視線を走らせた。
―強盗殺人犯ゴルテン・サイパン オルテガ村―
―連続放火魔ミリアノ・ロシュフォル タニム街―
―快楽殺人鬼ジョン・ボルテクス メロド村―
死刑確定の罪人の名前と居所が刻まれた花びらの中に、目当てのものは、やはりない。
(「そのうち。そのうち、だ」)
ソニアは適当に2、3片掴み取った。ふと、前から疑問に思っていたことを聞いてみたくなって、ソニアにしては珍しく雑談を仕掛けた。
「これは何ていう魔法なんだ?」
そう言って、花弁に刻まれた文字を指差す。花の間に咲く大きな花。その花びらに刻まれた罪人の名前と居所。処刑が終われば、死神の名前が刻まれた花びらがまた落ちる。いつ来ても待たされることはない。まるで、ソニアが報告する前からそのことが分かっていたようだ。どの神殿に行っても情報が共有され、更新され、供給され続けている。
伝達魔法の一種なのだろうとは想像がつく。しかし、このスピード感。なおかつ正確性。そして、世界全土へ同時に展開されるこの規模感。相当高度な魔法に違いない。
妙齢の女は、杖で床を再び小突いた。途端に、宙を舞う花弁がすとんと地面に転がり落ちる。「花の間から出るように」と女の視線がソニアに促した。そして、女はソニアの脇を通りざま、つまらなそうに呟いた。
「これは『女神のお告げ』だよ。魔法なんかじゃない」
それは、この世界に住む者全てが知っている世の理だ。しかし、誰がそんなこと信じるというのだろう。女神とやらが本当にいるのならば、罪人に直接天罰をくだせばいいだけのこと。いや、そもそも罪を犯させなければいい。本当に女神とやらがいるのなら。
(「まぁいい」)
ソニアはフードを深く被り直した。死神は罪人を処刑することができる。その事実だけが、今のソニアにとって重要なことだった。ソニアが死神であり続ける限り、ソニアにはチャンスが回ってくる可能性がある。
(「あいつは裁かれるべきだ」)
他ならぬソニアの手によって。
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