第3話 神殿

 街には決まって神殿がある。大抵、街の中心に建てられていることが多い。女神トルシュが祀られたこれらの神殿には聖職者がいて、その中で一番偉い役職は『神使しんし』と呼ばれていた。


 神使は言わば、女神の言葉を民に伝えるメッセンジャー。女神のありがたいお言葉を聞くために、神殿はいつも善良な民とその民たちからもたらされた供物で溢れかえっている。


(「あれがここの神使か」)


 宿から出て、街の中央まで来ていたソニアは、神殿から少し離れた所で腕組みし、様子を窺っていた。どこの街でも同じ造りの神殿の前で、腰の曲がった老婆に拝み倒されているのがこの街の神使だろう。一目見ればすぐに分かる。善良そうな丸顔に、でっぷりとした腹。着ている祭服も、一見慎ましやかに見えるが、凝った刺繍と使われている生地から鑑みるに相当値が張る代物だ。ソニアにはそれが分かる。


(「あのタイプはまだ良い」)


 与えられるものを遠慮なく懐に入れはするが、少ないものをどうにか増やそうという野心も、無いところから搾り取る度胸も持ち合わせていない。


 特段、民のために何をするでもなく、女神のお告げと呼ばれるものを右から左に伝えるだけ。とりあえず、ただそこに居るだけでいいのだ。現に、神使を前にして件の老婆は喜びの涙を流している。


 でっぷり神使がソニアに気が付いた。神使は目を僅かに見開いたので、二人は確実に目が合ったはずだった。しかし、神使はまるで何も見ていないとばかりに自然に目を逸らし、別の信者へと人畜無害の微笑みを分け与え始めた。


(「やっぱり良い神使だ」)


 神使も死神も女神トルシュに仕える者だ。どちらに優劣も上下もない。しかし、死神というのは世間から忌み嫌われる。まるで見てはいけないもののように目を逸らされる。見さえしなければそこには何も無いのだと言わんばかりに。


 街ゆく人々も、まるでソニアがここには居ないかのように振る舞っている。誰も目を合わさず、かと言って露骨に逸らすこともなく。知り合いとばったり出逢えば、いつものように立ち話でもして、果物屋ではもう一つ買うからまけてくれなんて交渉して。いつものように、いつもどおり、日常生活を送っている。


 それもこれもソニアを中心に半径10メートルは先での話だ。死神なんて見えないと澄まし顔をしながら、そこだけ結界でも貼られているかのように皆が皆ソニアの周りを避けていく。


 ソニアは一歩、足を踏み出した。


 その瞬間、街の喧騒が止み、街中の意識という意識がソニアに集中した。誰も彼もがソニアの一挙手一投足に注意を払っている。いつもどおりを続けながら、さり気なく、集中して、決して悟られないように。


(「そういうの、助かる」)


 半径10メートルの結界を身に纏いながら、ソニアは街中を悠然と横断していった。


 ♢


 ソニアは神殿の裏口で足を止めた。壁沿いに指を這わせ、思ったとおりのところで目当ての隙間を見出した。首周りの衣服を緩め、胸元から長方形のプレートのネックレスを取り出す。それをさきほど見つけた隙間に差し入れると、カチリという音ともに施錠を伝えた。隠し扉である。


 扉の先は階段だった。地下へと続くその階段は暗く、先が見えない。ランタンを壁から外し、軽く揺すると、中で蛍の死骸がカサカサ動いた。


「整備不良か」


 ソニアは声を大にして言った。背後の扉は閉まりかけ、外界からの光が今にも閉ざされようとしている。そうなれば、待つのは完全な暗闇だ。

 ソニアは剣の柄に手を置いた。


「デュランダル。灯りを」


 その瞬間、柄の先から眩いばかりの光が――なんてことは起きない。


「光らないんだな。これが」


 ソニアは壁に手を付きながら、階段を降りていった。踏み外さないように、だけど、なるべく速く。


「魔剣なんだから光るくらいしてくれてもいいと思う」

「そもそも灯りが切れてないかの確認もしないのか。ここの神殿は」


 ソニアは光源を失ったランタンをカラカラ振った。


「職務怠慢だ、まったく。でっぷり太る暇があるなら、このぐらいのこと気を遣うべきだ」

「魔法が使えるなら、そりゃいいだろう。自分で光らせられる。でも、そんなの少数派だ。思いやりが足らないな」

「それにしてもこの階段長いな。こんなものか? いつもはもっと短い気が―うわっ!」


 壁沿い、ソニアの手に何か硬いものが触れた。


「…なんだ、ランタンその2か。驚かせるな…って、こっちも切れてる…あの神使…帰りに絶対睨みつける」

「なんなら、こっちは正々堂々正面から入ったって良いんだ。困るのはそっちだぞ」


 ソニアは延々と独り言を発していた。要は暗闇が怖かったのである。

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