第2話 魔剣

「ソニア、ご苦労さま」


 赤いニスデールの死神―その名をソニアという―は耳元で名を呼ぶ男の紅い瞳を睨めつけた。


「デュランダル…いちいち出てこなくていい」


 ソニアは鞘口を男の眼の前に突き出した。戻れの合図である。出てこいと言ってもいないのに出てきたのだから当然の扱いである。しかし、デュランダルは全くもってそれを無視して、ソニアの腰を抱き寄せた。


「…おい」


 ソニアはデュランダルから目を離すことなく手の甲を力いっぱいつねった。デュランダルはというと腰に回した手を離すことなくふっと微笑んだ。


「ソニア。痛いじゃないか」

「なら、もっと痛そうにしろ。それと、手を離せ…!」


 そう言って、力尽くで離れようとしたが、あっけなく抑え込まれ、抱きしめられた。その弾みでフードが脱げ、ベビーピンクの豊かな髪が月光に曝される。慌ててフードを被ろうとしたが、大きな掌に阻まれた。デュランダルの長く骨ばった指が頰を撫で、そのまま耳たぶをきゅっと摘んだので、ソニアは思わず身震いした。その指が今度は三角錐のピアスを弄び、しばらくするとまた耳に戻ってくる。そしてまたピアスに行き、耳に戻り、その繰り返し。指の動きに合わせて背筋がゾクゾクしてしまう。


 ソニアは堪らずデュランダルの胸に顔を埋めた。


「もう! それやめろ!!」

「真っ赤になってどうしたんだ?」


 疑問形の体をとっているが、頭上から聞こえてくる声は少しも不思議がってなどいない。この男、分かってやっているのだ。ソニアはギリリと歯噛みした。このまま、言い様にされるのは癪に触る。もう1度、きつく言わねばと顔を上げた瞬間、耳に息を吹きかけられ、ソニアは危うく腰を抜かしかけた。デュランダルの楽しそうな含み笑いが聞こえてくる。


「ソニアの弱点は耳か。良いことを知った」

「だ、だったら何だ。もう、いいから、早く戻れっ!」


 ソニアはデュランダルの胸をポカポカ叩いた。それにしても、自分の弱点が耳だったとは。なんだか秘部を盗み見られたようで恥ずかしい。でも、知らなくて当然だ。だって、これまで彼女にそんな無礼を働く人間などいなかったのだから。


 ひとしきり叩いたあと、ソニアはデュランダルを再び睨みつけた。その瞬間、デュランダルの指が再びソニアの耳に迫ってくる。


「だからっ! やめろって! さっきから何なんだ!」


 ソニアは腰を反らして魔の手を避けながら悲鳴をあげた。デュランダルはというと、可笑しそうに目を細めている。


「止めて欲しければ、『戻れ』なんてつまらないことは言わないことだな。しばらくはこの姿でいることにする」


 なんだって。それは非常に困る。


「デュランダル…自分の顔、見たことある?」

「もちろん」

「ちょっと、というか、とても、うん、かなり整っている」

「よく言われる」

「隣にいると目立ってしょうがない。ペレチカ村でも人が集まってきただろう。まずは女たちが押しかけてきて、で、その後、女を盗られたって男たちが次々に集まって…あれは始末が大変だった」

「妬いているんだ?」


 ソニアは無視した。


「私は目立つわけにはいかないんだ」


 ソニアはなんとかデュランダルの腕から抜け出し、フードを被り直した。ソニアは小柄だ。下から覗き込まなければ、そうそう彼女の顔を見ることは出来ない。ソニアにとって死神衣装はシンデレラフィット。これ以上着心地の良い衣装はない。


 フードに包まれ落ち着いていると、突然顎をクイッと持ち上げられた。否応なしに、デュランダルの紅い眼とかち合うことになる。とっさに目を逸したのは、あまりに月光が眩しかったから。断じて、眼の前の男の顔の良さにクラっときてしまったからではない。


 デュランダルは微笑んでいた。


「二人っきりの時くらい、ちゃんと顔を見せてほしい」


 ソニアは顎に掛けられた手を振り払い、フードを深く被り直した。


「どこで誰が見ているか分からない」

「ここは森だ。唯一の目撃者も今や、あのとおり」


 デュランダルが視線を寄越した先には、婦女5人殺しの犯人が2つに泣き別れている。もちろんさっきソニアが斬ったからだ。デュランダルの戯れに付き合っているうちに死体の存在を一瞬忘れかけていた。何回、何十回と見てもやはりこの光景は気分の良いものではない。血の海、肉の塊、鉄の匂い。頭に靄がかかったようになる。


 ソニアは死体から目を逸らすように、デュランダルの袖を引いた。


「報告に戻らないと…街までなら、その姿のままでいい」

「うん」


 デュランダルは大の大人だ。見た目はソニアより5、6は年上だし、年齢にいたっては遥かに上らしい。しかし、人ならざるものの妖艶さを纏ったこの男は、時折、不相応の可愛らしさも見せる。例えば、嬉しそうに「うん」とか言ってみせたりして。


(「調子狂う…」)


 いつの間にか手を握られ、恋人繋ぎされているが、もう何も言うまい。小さくため息をついて、元来た道に目を凝らす。


「で、どっちが街だ?」


 夜の森は見渡す限り360度同じ光景に見えた。自分たちがどこから来たのか、どこへ行かなければならないのか、道標となるものは何もない。


「ここはどうやら迷いの森らしい。方向感覚が狂わされる」


 デュランダルの声は落ち着いていた。見上げた横顔には余裕さえ見えた。ソニアの視線に気がついたデュランダルはニコリと笑いかけてきた。


「罪人はもういない。蝶も現れない。ということは、自力で戻るしかないな」

「…魔剣の力でどうにかならないのか?」


 デュランダルがわざとらしく肩を竦める。


「俺には斬ることしか能がない」

「謙遜するな。女を落とすことも得意だろう」

「やっぱり斬ることしか能がない」

「?」


 ◇


 結局、死神ソニアと魔剣デュランダルは、夜が明けるまで、森の中を彷徨うことになった。道中、デュランダルの魔の手が何度もソニアの柔肌を襲いかけたが、ソニアはなんとか攻防戦を制した。


 小鳥がさえずり、東の山から朝日が登り始めた頃、ようやく二人は森の端へ辿り着いた。足元に咲く小さな白い花が朝露を重たそうに抱えていた。


「眠たい…」


 ソニアは目を擦り呟いた。昨夜は森を歩き回っていたせいで結局一睡もしていない。どちらにしても処刑狩りの後は、寝付けないのが常なので、特段構いはしないのだが。しかし、それにしても、さすがに眠たいが過ぎる。ソニアは欠伸を噛み殺し、隣に声を掛けた。


「とりあえず宿に戻ろう。少し仮眠して、それから報告に行―」


 見上げた先、そこに人影は無かった。ソニアは自身の腰元に視線を落とした。さっきまで空だった鞘に、装飾の施された柄がきっちりと収まっている。どうやらちょうどタイムリミットだったらしい。


(「もう少しで街だったのに」)


 約束は街までだった。街に着くまでは人形でも良かったのだ。居たら居たで煩わしいが、居なけれりゃ居ないで物足りない。


(「デュランダルには絶対言えないな」)


 ソニアは煙突の煙棚引く街に向かって、ゆっくりと足を踏み出した。

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