3話


 光留が学校で出会った幽霊は、天里朱華と名乗った。

 凰鳴神社周辺の家の中では古くからある家のひとつで、槻夜家と同じように何度か巫女を輩出している家だとか。

「天里家って確か、ちょっと前までは結構な地主だったよな」

『そうだよ~。あたしはお姉ちゃんよりちょっと霊力高くて、それで凰鳴神社の巫女に選ばれたんだ~』

「へえ……」

 古くからある神社、ということもあり氏子はそれなりにいるとは聞いていた。とはいえ、もともと関わりの薄かった光留がそんなこと知るはずもない。

 光留の目下の悩みは、連れて帰ることになってしまった幽霊の朱華についてどう話すか、だ。

 今の朱華は頭から血を流していない。死んだ直後の姿ではなく、生前の姿で死に装束を纏っている。

 おどろおどろしいところが無いのは、朱華の本来の明るさと間延びした喋り方のせいだろう。

 とはいえ、幽霊に変わりはないので流石に彼女と思われなくても、警戒はされるかもしれない。

『大丈夫だよ〜、みっちゃん。そのためにこっちの姿にしたんだから〜』

「……みっちゃん」

 確かに、朱華に唯を助ける宣言をしたばかりだが、いきなりフレンドリーすぎてついていけない。

 しかし、光留の言いたいことを汲んで、のほほんとしているのを見るとなんとなく安心してしまう。

「ただいま」

 落神に遭遇することもなく、無事家に帰り着くと、朱鷺子が出迎えてくれた。

「お帰りなさい、光留。あら……」

『久しぶり〜、ときちゃん!』

「朱華ちゃん? やだ、久しぶり〜! 光留に憑いて来たの?」

『そうだよ〜。みっちゃんともお友達になったの〜』

 きゃああっ、と女子高生のノリで会話する朱鷺子と朱華を見て、光留は顔を引き攣らせる。

「知り合い?」

「知り合いって言うか、お友達なのよ」

 ね〜、と顔を見合わせて頷き合う朱鷺子と朱華。

 なるほど、朱華が大丈夫と言っていた理由がわかった気がする。

「朱鷺子さん、なんか騒がしいけど、おや、光留お帰り」

「ただいま、親父」

 朱鷺子と朱華のキャッキャする声が聞こえたのか。

 先日の出張から帰ってきたばかりで、今日は有給を取っていた父、勇希が顔を出す。

「あれ、そこにいるのは朱華さん?」

『ゆうくんも久しぶり〜』

「いやぁ、懐かしいな。光留に憑いて来たのか」

 まさかの父親も知り合いだと思わず、光留は突っ込む気も失せた。

 (そういや、二人とも時野の出身だったな……)

 光留の家から徒歩圏内で行ける、という理由で選んだ学校だったがそれが奇しくも両親の出身校だと知ったのは、受験が終わってすぐだった。

 両親と同じ母校になることについて思うところはないが、両親の知り合いに幽霊がいるのは聞きたくなかったかもしれない。

「和気藹々としてるとこ悪いんだけど、しばらくこいつうちにいるから」

「あら、そうなの? 賑やかになっていいわねぇ」

『んふふ、いっぱいお話しようね〜』

「もちろん! 私も朱華ちゃんのお話聞きたいわ」

「こんなところで話すのも何だし、上がったらどうだい?」

「それもそうね、もうすぐ夕飯だし。朱華ちゃんもどう?」

 幽霊って食べられるのか? と光留が疑問に思いつつも、朱華は大喜びだ。

『やった! 久しぶりのご飯〜!』

「待っててね、すぐに用意するから。光留も早めに来なさいよ」

「はいはい」

 光留は適当な返事をしながら二階の自室に向かう。

 夕食の後、光留は両親に呼び止められた。

 何を聞かれるかはなんとなく想像がつくせいか、居心地が悪い。隣に朱華を座らせ、正面に勇希が。朱華と向き合うように朱鷺子が座る。

「で、光留。あなた最近何か隠してるでしょ」

 朱鷺子にズバリと聞かれ、光留は視線を逸らす。

「別に、隠してたわけじゃない。霊とか視えるようになったのは最近だし」

「そのきっかけはあるはずよね?」

「……俺もよくわからないけど、五月に落神を視てからだな」

「……光留、あなた“落神”なんて言葉、いつ聞いたの?」

 光留は、あ……と思う。落神については唯から初めて聞いた言葉だからだ。

「まあまあ。それにしても落神に遭遇してよく無事だったな」

 勇希がとりなし、感心したように光留を見る。

「クラスメイトに助けられた」

「クラスメイト? お友達に助けてもらったならその子にお礼言わないとかしら?」

 朱鷺子の目がわずかに鋭さを帯びる。

 まるで、光留を取り巻く何かを警戒するように。

 光留は、朱鷺子のこういうところが苦手だ。

 巫女としての朱鷺子が、そうさせるのかもしれない。

「……いや、もういない。二週間前に家の都合で学校辞めた」

「なら、もう引っ越しちゃったかしら。お名前わかる?」

 光留はチラリと朱華を見る。

 朱華も唯について話す気はないらしく、へらっと笑っている。

 唯と友達であることを明かしたのは、唯が唯一気にかけていたから人だからだ。

「朱華ちゃんは、何か知ってる?」

『今年の一年生に、すごく可愛い子がいたけど、お名前まではわからな〜い。みっちゃんと仲悪いって話は、聞いたことあるかも〜』

 当たり障りの無いことを言ってから、朱華は光留を見る。

「そうなの?」

「いや、まあ……。うん。神社の近くに着物屋があるだろ? そこに用があって、偶然落神を見かけたからって言ってた。暗かったし、襲われてたのが俺だってことに気づかなかったみたいだったけど。あと、ちゃんと礼は言ってある」

 少しの嘘を混ぜて朱鷺子に言えば、「ならいいけど……」と無理やり自分を納得させる。勇希は朱鷺子の不安を宥めるように肩を叩く。

 光留は少し迷って、膝の上で拳を握り込んで覚悟を決めた。

「あの、さ」

「ん?」

「俺、守り人になろうと思う」

 光留がそう言うと、しばらく沈黙が流れた。

 勇希はパチパチと瞬きし、朱鷺子は困ったような表情をする。

 時計の針の音が、やけに大きく響いている気がした。

 先に口を開いたのは、勇希だった。

「光留は、守り人がどういう役割を持つのか、知っているのかい?」

 光留は首を横に振る。

「いや、詳しくは。ただ、巫女を守る役割だって」

「うん、それ自体は間違ってない。じゃあ、巫女が何をするのかは?」

「……これから調べる」

 朱鷺子は呆れたようにため息をつく。

「それでどうして守り人になろうと思ったのよ」

 光留は、一度目を閉じる。

 思い出したのは、唯の切なさそうな顔。そして、「嫌い」と叫んだ時の、胸が張り裂けそうなくらい悲痛な声。

 夢の中で、愛した男に向ける無邪気な笑み。

 決して自分に向けられることの無い表情。


 ――兄様。


 ――月夜様。


 (俺は、あいつの兄でもなければ、愛した月夜でもない。代わりになるなんて思ってない。でも……)

「守りたい人がいるんだ」

 光留の決意が伝わるように、はっきりと伝える。

 朱鷺子と朱華には、光留の魂に張られた壁が、少しずつ、確実に剥がれていくのが見える。

 きっと、その人を想うたびに壁は意味をなさなくなるのだろう。

 光留にとって、それがいいのか悪いのか、今の時点では誰も判断出来ない。

「そっか。なら、僕からは何も言わないよ。朱鷺子さんも、思うところがあるのはわかるけど、今の時代そんなに危険なことが多いわけじゃないし」

 勇気に諭され、朱鷺子は諦めたようにため息をつく。

「……そうね。まあ、光留が生まれた時から、こうなる予感はずっとあったわ。あなたは、何か特別な使命を持って生まれてきたって」

 唯が言った通り、朱鷺子にもやはり光留の魂を覆う壁のようなものが見えていたのだろう。

 けれど、具体的なことがわからず、潜在的な霊力が高いにも関わらず、ずっと人ならざるものが視えなかった。

 勇希も朱鷺子も、視えないならそれでいいと思っていたけれど、いずれはこうなる予感はあった。

「その特別な使命が私にはわからなかったけど、あなたはちゃんと見つけたのね」

 朱鷺子は成長した息子に嬉しさと、ほんの少しの寂しさが混ざった声で言う。

「でもね、光留。守り人は、本当に危険な時もあるの。お父さんも、それで何度も怪我したり、死にかけたりしてるわ」

 話を振られた勇希は苦笑いする。

「あはは、いや、まあ、うん。そんなこともあったね」

 それを見て、光留は、母の守り人が父だと確信する。

 (まあ、親戚同士で年齢も近ければ流れとしては当然か……)

 物腰柔らかで、おっとりしているとも、大らかとも言える父だが、時として一家の大黒柱として家族を守ろうとする意志の強さは感じていた。

「確かに、守り人は危険な役割だけど、何も悪いことばかりじゃない。大切な人を守りたい、その想いが大事だと、僕は思うよ」

 光留はこの時初めて、父親に尊敬の念を抱いた。

「うん。二人を見てたらそう思うよ」

 朱鷺子は心配そうにしながらも「やっぱり光留も男の子なのね」としみじみ呟く。

 それから朱華を見る。

「朱華ちゃんも、光留のことよろしくね」

『うん、任せて〜』

 朱華はにっこり笑って、得意げに言う。

「光留の巫女が誰かは私には見えないけど、朱華ちゃんが憑いててくれるなら安心ね」

『えへへ~。とおっても可愛くていい子だよ〜』

「そうなの?」

 光留のことは心配だが、それはそれとしてやはり光留が言う「守りたい人」が気になる。将来的に光留のお嫁さんになるかもしれない人だ。

 朱鷺子は恋バナに夢中になる少女のような輝く表情で光留に詰め寄る。

「で、どんな子なの? 例の美少女さん?」

「え、ああ、うん……。いや、別にそういうのじゃ……」

 勇希に助けを求め、視線を送るが勇希はニコニコと朱鷺子を見ていた。

 (あ、無理だ……)

 結婚して二十年近く経つ夫婦だが、まだ新婚の頃のような雰囲気が残る二人。おそらく父は「はしゃぐ朱鷺子さん、可愛いな」とか思っているに違いない。

 光留は助けを諦めた。

「でも、好きなんでしょ?」

『あの子を助けたいって言ってたみっちゃん、カッコよかったよ〜』

「あのさ、悪いけどそういうのは無理だから!」

 光留がきっぱりと言えば、朱鷺子はきょとりとする。

 朱華も、知っているくせに囃し立てるから、少し苛立ったのもある。

「あいつは、多分俺のこと好きにならないよ。あいつの死んだ恋人と似てる以上、近づきたくもないだろうし……」

 光留の恋は一生叶うことはない。

 それは覚悟している。

 傷が癒えないまま、ずっと独りで耐えてきた。

「だったら、なおさらあんたが癒してあげなさい」

「いや、だから……」

「いやもだからも無いわよ。女の子が初恋を忘れないのは当然だもの。私だって、初恋は覚えてるし、叶わなかったし……」

「え、そうなの?」

 勇希が反応するので、朱鷺子はうふふと笑って誤魔化す。

「それに、ちょっと強引なくらいがときめく女の子も多いわよ?」

 ねえ、勇希さんとイチャイチャし始める両親。

 もう何を言っても無駄だろう。

 光留は「部屋戻る」と、疲れたように一言言って、二階の自室に籠もった。

「あー、だから言うの嫌だったんだよ!」

 光留はベッドに倒れ込み、唸る。

『でも〜、ときちゃんの言うことも一理あるよ~』

 そんなことはわかっている。

 しかし、光留が唯への気持ちを自覚したのはほんの数週間前で、伝える前に消えてしまった。

 守り人ですらない自分が、彼女のために何ができる?

「そもそも、今の俺に出来ることなんてほとんどないし、鳳凰がどこにいるかもわからないし……」

『ん~? 唯ちゃんなら、まだ近くにいるよ〜』

「は?」

 朱華からもたらされた思わぬ情報に、光留は素っ頓狂な声をあげる。

『唯ちゃんからもらった御札があるでしょ〜? あれねぇ、夢を見ないって言うより、唯ちゃんの気配を隠してしまうんだ〜。魂が唯ちゃんに反応しなくなるから、夢を見る頻度が減ったんだね〜』

 光留は枕の下から御札を取り出す。

「なら、この札捨てればあいつに会えるのか?」

『うーん、それはないんじゃないかな。まあ、でも、今のままでも街中で偶然会うくらいはあるかも〜』

 てっきり遠くに行ってしまったかと思っていた光留は、安堵のため息を漏らす。

『流石にアパートは引き払ってるかもだけど〜』

「それはあるだろうな。……でも、会える可能性があるならいい」

『みっちゃんって、見かけによらず一途で健気だよね〜』

 朱華にからかうように言われ、光留は不機嫌そうに舌打ちする。

「うるせぇ。自分でも女々しいって思ってんだよ」

『え〜、みっちゃんみたいな子なら結構モテそうなんだけどなぁ。見た目もかなりいいし』

「普通だろ。そういうの、あまり興味ない」

『うーん、ちょっと冷たい印象があるけど、そこがいい』

 光留はどうでも良さげにベッドに身を投げ出す。

 実のところ、光留自身何度か女子に告白された経験はある。けれど誰とも本気になれなかった。

 何故かいつも「違う」と思ってしまう。

「なあ、前世って本当にあるのか?」

『あるよ〜』

 朱華はあっさり答える。

『あたしも〜、本来ならとっくに生まれ変わっててもおかしくないもん』

「……なんか未練でもあるのか?」

 光留は特に深く考えずに問う。

『ん~、未練っていうか、あたしにはまだ、やることがある。そんな気がするんだ〜』

 巫女としての感覚なのか、死んだからわかることなのか、光留にはわからないが朱華が言いたいことはなんとなくわかる気がする。

「そっか」

『学校にいるといろいろ面白い話も聞けるから退屈しないしね〜』

 朱華のようにある程度動けるなら、確かに退屈はしなさそうだ。

「……前世があるなら、俺は――」

 そもそも、唯だって不老不死と決まったわけではない。彼女も生まれ変わりで、前世の記憶というものがあるのかもしれない。

 まだ、わからないことばかりだ。

 光留は、借りてきた本に手を伸ばし寝そべりながらパラパラとページを捲り始めた。

 

  

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る