2話


 もうすぐ夏休みに入るという七月の半ば。

「あっちぃ……」

 クラスメイトの望月裕也の情けない声に、槻夜光留はしらっとした目を向ける。

「お前、高校球児だろ。この暑さでマウンドに立ってるんだろ。これくらいでへこたれている場合か?」

「いや、暑いもんは暑い! 昨今の炎天下で脱水症やら熱中症やらでダウンするやつ多いからさ。最近の試合は早朝か夕方なんだよなぁ」

 確かに、そんなニュースを見た気がする。

「ていうか、俺は潤いが欲しい!」

「水でも飲めばいいだろ」

「そうじゃない!」

 バンッと裕也が机を叩く。

「奢らないからな。むしろ俺が奢ってほしいくらいだけどな」

「ジュースじゃなくて! 見ろよこのクラスのむさ苦しさ。唯ちゃんという麗しの花がいなくなってもう二週間だぜ? ああ、唯ちゃんのあの可憐な笑顔が恋しい……」

 鳳凰唯とは、二週間前までいた学園一の美少女だ。

 薔薇のような赤い髪と、翡翠のような綺麗なグリーンの瞳。微笑めば可憐な花を思わせ、誰にでも優しいが、それが嫌味ではなく自然体なことから男女ともに人気のある憧れの的だった。

 しかし、彼女はある日突然学校を退学した。表向きは家庭の事情となっているが、唯が退学した本当の理由は光留のためだった。

 それを知っている光留としては複雑だ。なにせ恋を自覚した瞬間に失恋し、姿を消されたのだから。

「お前、そんなに鳳凰のこと好きだったのか?」

 光留は怪訝そうに裕也を見る。

 裕也にはこの顔が嫌そうに見えるだろう。唯は光留が嫌いで冷たく当たっていたのは周囲の誰もが知っていることだし、実際、唯が姿を消すまで光留は唯に嫌われる心当たりがなく、八つ当たり気味に唯と接していたこともある。はた目には二人は犬猿の仲に見えていただろう。

「そりゃあんな可愛いくていい子、好きにならない男はいない。光留だってそうだろ」

「まあ、否定はしない」

 唯が光留に冷たかったのは、亡くなった彼女の最愛の兄と光留が似ているからだ。

 (あの夢、やっぱ前世とかいうやつなんだろうな……)

 唯は何か知っているようだったが、結局教えてもらうことはなかった。ただ、唯が退学してから、唯の言う通り夢を見る頻度は減ってきた気がする。

 毎日のように見ていた唯とのイチャラブ生活の夢は、最後に見たのは二日前。しかも、夢の中の二人にとっては思い出なのだろうが、光留にとっては生殺しにも等しい夜の営みを見せられた。

「大丈夫か、光留? 顔赤いぜ?」

「暑さに当てられただけだよ」

 正直に言えるはずもなく、光留は適当にあしらう。

「そういや、この間言いそびれてた校舎裏の幽霊なんだけどさ」

「ああ」

 そう言えばそんなこと言っていたな、と光留も思い出す。唯の話題から離れるなら何でもよかった。

「最近噂聞かないんだよなぁ」

「良かったじゃん。そういうのはいないほうがいい」

「そうなんだけどさ〜。校舎裏の幽霊って、昔からいるってタイプの幽霊じゃなくて、何か移動してるって噂もあってさ」

「地縛霊じゃなきゃ移動するだろ。珍しくも……」

 光留がふと窓に視線を向けると、逆さまになった人間が地面に向かって落ちてきて、目が一瞬合った。

 ゾワッと悪寒にも似たものが背筋を這う。

 (まじかよ……)

 目があった一瞬、そいつがニタァと笑った気がした。

 人間が落ちたことに誰も気づかず、身体が地面に叩きつけられるような重く、鈍い音も聞こえなかった。

 (……またか)

 こういった霊だとか、妖怪のようなもの、落神をみる頻度がだいぶ増えてきた気がする。

 光留が内心舌打ちしていると、裕也が「光留?」と覗き込んでくる。

「なんでもない」

「てか、光留が地縛霊なんて知ってるの意外だ」

「そうか? うちのお袋、巫女さんだし、実家神社だし、そういう話わりと聞くんだよ」

「は? お前んち神社なの?」

 裕也が驚いた顔をする。

「俺じゃなくてお袋のな」

「マジで? パワスポとかになってる!?」

「広報かなんかに小さく名前だけ載ってるのは見たな」

 興奮しだした裕也に、光留は言うんじゃなかったと、げんなりする。

「なんて名前の神社?」

「凰鳴神社」

「うわっ、縁結びで有名じゃん! それなのに振られたの?」

「振られてない」

 そもそも告白すらしていないのに、振られるなんて起きるはずもない。

「あー、でもあそこの神社の名前の由来って確か、近親相姦で男が処刑されて、残された女を哀れんだから凰鳴神社って名前になってたよな」

 裕也の話を聞いて、光留はビクリと肩を震わせる。

 (それって……)

 光留が見た夢の内容に酷似している。

 こんな偶然あるだろうか。

 幸い、裕也は光留の様子に気づいていない。

「いや、知らん」

「お前んちの母ちゃんの実家だろ〜」

「小さい時、遊びに行ったくらいだよ。今はほとんど行ってない」

「つまんねえな」

「そりゃどうも」

 くだらない応酬をしていると、あっという間に休み時間が終わってしまう。

 唯がいてもいなくても、時間は過ぎていく。

(校舎裏の幽霊、か……)

 以前の光留だったら、気にもしなかっただろう。

 今も、正直関わりたくない。さっき飛び降り自殺しただろう霊もそうだが、光留が人ならざるものを見始めたのは、ほんのつい最近のことなのだ。

 けれど、裕也からもう一つ気になる話も聞いたことだし、様子を見に行こうと、放課後を待つことにした。


 放課後になり、光留は図書館に行くことにした。

(凰鳴神社、守り人……、風土史だよな……)

 期末テストも終わったし、それなりに時間があるので、光留は守り人について調べてみることにした。

 母の朱鷺子からも、凰鳴神社はそこそこ古い神社だと聞いている。一冊くらいあるだろうと思ったのだ。

 (お、あった!)

 二冊しかないが、「凰鳴神社の由来」や「凰鳴神社の歴史」といった本が見つかった。

 出版年を見れば昭和の半ばごろに製作されたようだ。

「まぁ、こんなの書くってことは暇な宮司だったんだろうな」

 編纂者の名前は「槻夜晋太郎」となっていた。おそらく光留にとって親戚なのは間違いないのだろうが、聞き覚えは当然ながらない。

 裏表紙の裏に張られた貸出人カードの名前を見ても、片手で余る程度の名前しかない。

「まぁ、こんなの借りる奴なんて、ほとんどいないよな」

 小学生が読むには少し難しすぎるし、中学生を過ぎれば授業の課題でも読まないだろう。

 世の中物好きな奴がいるんだな、と光留は感心する。

「あ……」

 貸出人の名前に「鳳凰唯」の名前を見つけてしまった。

 それも、数十年前のものだ。

「マジか……」

 こんな偶然あるだろうか。「唯」という名前はありふれているが、「鳳凰」なんて苗字は珍しい。

 恐らく同一人物なのだろう。

(本当に、不老不死なのか……?)

 本人に確かめたことはない。けれど、もしそうだったとして、彼女は千年以上の時間をどんな思いで過ごしてきたのか。

 それを思うと切なかった。

 光留は二冊の本を持って受付に行き、貸し出しの手続きを行うと、図書館を出た。

 図書館は学校のすぐ隣にあるため、戻るのも楽だった。

 午後四時を過ぎれば人もまばらで、校庭から野球部のボールを打つ音や、講堂から吹奏楽部の演奏が響いている。

 校舎裏に面した卓球室からもピンポン玉の跳ねる音が響いている。

 (確か、ここだよな……)

 校舎の裏側と言われる場所のすぐ横は柵を境に教職員の駐車場がある。

 車を隠すように大きな桜の木があり、昔ここで首を吊った生徒がいるという噂だ。

「校舎裏の幽霊なら、多分その自殺したやつなんだろうな」

 学生が自殺する理由なんて、受験失敗か、失恋か、はたまたいじめのどれかだろう。

 どれでもいいが、霊の気配はやっぱり感じられなかった。

 そういえばと、光留はふと思い出す。五月の半ばに唯と話したときには、校舎裏の幽霊の噂なんてなかった。

「本当に移動したのか、成仏でもしたのか?」

 光留が首を傾げていると、不意に背筋に冷たい空気が触れた気がした。

「っ!」

 びっくりして振り向けば、昼間飛び降り自殺を再現していた霊が立っていた。

『違うよ』

 霊は頭から血を流した状態で、にっこりと笑う。たいそう不気味だが、襲ってくる気配無い。

「んだよ、驚かせるなよ……」

『あなた、唯ちゃんの彼氏さん?』

 人の話聞けよと、言おうとしたところで、霊からとんでもないことを言われた。

「はぁ? 誰が鳳凰の彼氏だって?」

『違うの? この間、唯ちゃんと中庭でお話してたの、あなたでしょ?』

 唯が別れの挨拶に来た時のことを言っているのだろう。

 確かにそうだが、まさか霊に見られているなんて思わなかった。

「確かに話したけど、彼氏じゃねえよ」

 今日だけで何度この話題を出されるのか、光留もさすがに腹が立ってきた。

「だいたい、あいつは俺より大事な奴がいるだろ。そいつに俺が似てるのが嫌なんだろ」

『うん、唯ちゃん、いつも悲しそうな顔してたね~』

 霊のわりには随分と気さくで、間延びした喋り方をしていて、光留の調子が崩される。

「てか、お前こそ鳳凰と仲いいんだな」

 皮肉を込めて光留が言えば、霊は素直に頷いた。

『うん、だって唯ちゃんとはお友達だも~ん』

「幽霊とお友達って……、マジであいつ何してんの?」

 唯は誰にでも優しい、クラスの中心的存在だったが、誰か特定の人間と仲良くしているという話は聞いたことない。

 (まあ、下手に仲良くすればそれだけ秘密が露呈しやすくなるしな)

「で、そのお友達が俺に何の用?」

『あなた、ここにいた子を探してるんでしょ~? あの子なら唯ちゃんが連れて行ったよ~』

 また、ややこしくなったと光留はため息をつく。

「なんでそんなこと……」

『あの子、悪霊になりかけてたから、神様のところに行けるようにしてあげるんだって~』

「わざわざ外に連れ出したのか?」

『うん。唯ちゃんの力は目立っちゃうから~』

 唯の力というと、あの不思議な炎のことだろう。

 確かに、日が当たらないこんな場所だが、炎の明るさで人が気づく可能性がある。

 校舎裏と言っても人が全く通らないわけではないし、見られるといろいろ厄介なことになる。

 でも、と光留は思う。

「理科室の奴はその場で燃やしてたよな?」

『あれは落神だったから。人だけじゃなくて、あたしたちも危険だから~』

「あー、そういうこと」

 優しいというよりお人好しなんだろうか。いや、休みの日に二人で遭った落神は、容赦なく腕を切り落としてから、意外と過激なのかもしれない。

「で、あんたはなんでここにいるの?」

『あなたを見かけたから~』

「わざわざ探てくれたわけだ」

 流石に頭から血を流した幽霊に好かれても、嬉しくともなんともない。むしろ疲れが増した気がする。

『昼間のあれ、驚いた~? あたし、あそこで死んだんだ〜』

 聞きたくなかった話を聞かされ、光留はもうため息しかでなかった。

「言っておくけど、俺にどうにかしてほしいって言うのは無理だからな」

『そんなの知ってるよ~。あなたまだ中途半端なんだもん。今ならあたしでも余裕で取り殺せちゃう』

 舐められているとは思ったが、事実なので言い返すことも出来ず、光留は聞き流すことにした。

「中途半端っていうのは、俺が守り人になれるかもしれないって話と関係あるのか?」

 霊はこてんと首を傾げる。頭血まみれ女の仕草はさすがに可愛いとは言えなかった。

『そうだね~。魂の膜? 壁? が剥がれかけてる~。 全部剥がれるのは時間の問題かなぁ?』

「お前、そんなこともわかるのか?」

『まぁね~、こう見えてもあたし、何十年か前に凰鳴神社の巫女だったんだ~』

 結構優秀だったんだよ~、と霊は言うが光留は驚きに顔を引き攣らせる。

『あ、でも唯ちゃんほどじゃないし、唯ちゃんちとは別のおうちの家系なんだ~。 あぁ、でも君は先祖返りでもあるんだね~』

 光留は自身の親戚じゃないことに安堵すればいいのか、困ればいいのか反応に迷った。

「先祖返り?」

『そう。うーん、多分その壁が全部なくなれば本来の力も出せるけど、記憶も出ちゃうから、唯ちゃん困っちゃったんだね~』

「なんで俺の記憶? が戻ると鳳凰が困るんだよ。……いや、あいつの兄貴とかいうのに俺が似てるからか」

『そうだね~。 で、君は本気で守り人目指すの?』

 不意に霊の気配が変わった。間延びした喋り方はなりを潜め、一段低い声で光留に問う。

 回答を一つでも間違えたら、取り殺される。そんな予感がした。

「なるかどうかは、わからない。でも、調べたいと、思っている」

『……もしも、本気でなるならあなたは、今以上に苦しむことになる。それでもいいの?』

 そんなのは嫌だ。光留は今まで平凡に暮らしてきたただの男子高校生だ。

 いきなりそんな人生の選択肢を無くすような決断は出来ない。

 でも、それ以上に思うのだ。

(少しでも、鳳凰の助けになれば……。あいつが、苦しまなくなるなら……)

 夢と、現実の彼女しか知らない。けれど、それは表面的な部分に過ぎない。彼女はもうずっと傷ついている。

「聞くけど、俺が守り人になって、鳳凰の守り人に選ばれる確率は?」

『君以外が彼女の守り人になるのは無理だろうね。魂にそういう縛りがされている。神様も、意地悪なことをなさる……』

 霊は困ったよう笑って、光留と真っ直ぐ向き合う。

『あなたが、唯ちゃんを助けてくれるっていうなら、あたしがあなたを助けてあげる』

「は?」

 霊は血まみれのままにっこり笑う。

『えへへ~、さっき言ったでしょ。あたしも巫女だったって。あたしの守り人は、従兄弟だったんだけどね~、結婚したら辞めちゃったんだよね~』

「それで、死んだのか?」

『そうだよ~。守り人がいなくなっちゃったから、あたしはいろんなものに負けちゃって、学校の屋上から飛び降りるしかなかったんだ~』

 すごいことをサラッと言われるが、それほど守り人の役目というのは重いのだろう。

『あたしは、あなたの巫女姫にはなれないけれど、お手伝いは出来ると思うんだ~』

「それ、鳳凰は知ってるのか?」

『知らないと思うよ~。唯ちゃんに言ったら間違いなく、唯ちゃんに強制成仏させられちゃうし。それでもよかったんだけど、やっぱり唯ちゃんはあたしのお友達だから、お友達が救われてほしいって思うのは普通でしょ?』

「鳳凰は、お前も助けたいって思ったんじゃないか?」

『うん。実際言われたしね~。唯ちゃんがいなくなる前に、神様のところに送ってくれるって。でも、断ったんだ~。唯ちゃんずっと独りぼっちだから、幽霊なあたしでも誰か待っててくれる人がいたら、嬉しいんじゃないかなって思ったから』

「……確かにな」

 誰も知らない人間の輪の中にいるよりも、誰か一人でも自分の存在を知っていてくれる人がいる、というのは存外安心するものだ。

 唯がそうであるとは限らないだろうが、例え幽霊でも彼女を想ってくれる存在がいるのは、決して悪いことではない。

「鳳凰が俺に助けを求めているわけじゃないのは、わかってる」

 実際二人で話したときに言われた。


 ――あなたに、幸せになってほしいと思っているの。


 それは、間違いなく唯の本心なのだろう。危険なことに関わってほしくない。だから、彼女は姿を消す選択をした。

 彼女の想いをないがしろにしているわけではない。

 そもそも、光留を嫌いだと公言しているような奴の言うことなんか聞いてやる義理もない。

 幽霊に絆されたわけでもない。

 覚悟なんて、まだ光留にはない。それでも、好きな女の子を助けたいと思うのは間違っていないはずだ。

 例え、一生実ることのない恋だとしても……。

「俺の存在が、あいつを苦しめてることになっているとしても、ひとりで耐えさせるのは、嫌だな」

『うん、そうだね』

 唯は、自分の存在が光留を苦しめると言った。なら、お互い様だ。

 唯の悲しみを利用して、つけ込むことになるのだろう。それでも放っておけない。

 一人の男として、彼女を守りたいと思う。

「……わかった。俺は、鳳凰が何を抱え込んでるのかわからない。ただ、俺の顔とか声はあいつの兄貴と似てるらしいからな。嫌がるかもしれないけど、それでも、俺は鳳凰を助けたい」

 光留は霊を真っすぐ見据える。

「俺が守り人になれるよう、力を貸してくれるか?」

『もちろん! あたしじゃ十分に力は出せないかもだけど、きっと役に立つはずだよ~』

「あぁ、よろしく」

 

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