第20話 空気を読まない勇者の息子

「承知しました」

「いや、その前に一ついいか」


 料理を配膳しようとした僕たちを言葉で制止させて、ヒカサイマが立ち上がった。


「…何でしょうか、ヒカサイマ様」

「昨日…いや以前から気になっていた事があってね。お父様はボケが始まっているんじゃないのか?」

「な、何をいきなり仰るのですか?」

「お父様がボケて正常な判断ができず、何者かがそれに付けこんで傀儡にしようと企てている…そう考えるとこの最近の出来事に辻褄が合うような気がしてね」


 最近の出来事、という単語に僕は反応を示した。やはり何かしらは疑われていたのだろう。


「どういう事でしょうか?」

「最近になって我が家の財政がひっ迫してきていることでお父様に伺いを立てたかったのだが、電話は取り次がれず、メールには知らぬ存ぜぬの文言がずらり」

「旦那様は何も存じ上げないのですから当然です」

「しかしお父様の性格からして怪しい噂を仄めかされて知らぬふりするのは考えにくい。誰かが情報を故意に隠ぺいしているのなら話は別だが」

「わたくしが、ローナ家に仇なしているとお考えですか」

「おや、そう聞こえてしまったかな?」

「…」


 ヒカサイマの兄姉たちは一体何事かと思いながら事の成り行きを見守っている。そして自信満々の末弟を見て疑問を投げかけた。


「ヒカサイマ。どういう事だ? お前は何かを知っているのか?」

「いやいや。変な追い詰め方をしてしまっては返ってかわいそうだ。僕は女性には優しくが信条の男ですからね」


 そう言ってふんぞり返った横柄な態度のまま、ヒカサイマは僕たち指差した。


「そこな料理人たちは僕の紹介で使わされている。だが、その実この屋敷とお父様の様子を伺わせる偵察の任も言い含めていたのだよ」


 聞いてねーよ。と僕は心の中で呆れかえった。


 ドロマーさんが何をどう伝えたのかは僕の知るところではなかったが、それでも人から聞いたタナボタのような情報でここまで得意げになれるヒカサイマに妙な感動を覚えていた。


「そして今朝に報告があった。お父様は心身ともにかなり落ち込んでいらっしゃる。しかも侍女の経歴に怪しい所もあるとね」

「怪しい所?」

「兄上、姉上。十年ほど前、お父様が後妻を当家に迎えたいと言い出したのを覚えておいでですか?」

「後妻…?」


 その言葉に四人の兄姉はハッとした。そして僕たちがいる事も忘れて声を荒げて言った。


「お父さんの妾か!」

「確かエンカ皇国の庶民だと言ったか…」

「そうです。当時の僕はまだ子供だったので噂話のような内容しか知りませんでしたが、兄上や親類たちが大層な反対をされたそうで」

「…」


 身に覚えがある、と言わんばかりの反応だ。


 尤もローナ家ほどの名門貴族の主が庶民と不倫をして、あまつさえ後妻として迎え入れるともなれば体裁や世間体を気にする親族が口を挟んでくるのは想像に難くない。


「…覚えているさ。あの時のお父さんの落ち込み様といったら…」

「お母さんが亡くなった時以上だったかもしれない」

「滅多な事をいうものじゃない!」

「しかし兄さん。あれからお父さんが落ち込んで隠居を決めたのも事実ではないですか」

「…」


 思うところがあり口をつぐんでしまう兄姉たちをよそ目に、ヒカサイマはフフフという含み笑いをしながら言葉を続ける。


「まあ、それは前置きです。考えて頂きたいのは我らの都合ではなく、後妻入りを断られた向こうの事。庶民が貴族の家に嫁ぐとなっては喜びも一塩でしょう。しかしそれが向こうの都合で勝手に断られたとなれば、恨むなという方が無理からぬ話とは思いませんか?」


 そうしてさも意味深にヤタムさんを意味深に呼んだ。


「どうなんですか、ヤタムさん?」

「え?」


 その場の全員の視線という視線がヤタムの目に突き刺さる。


 ここまでの話の流れで彼女がその妾との何かしらの所以がある者だという事は、わざわざ語る必要もないだろう。しかしながら、それでもそうして沸いた疑念を払拭したい一心で、誰かが分かり切った事を問うた。


「まさか…ヤタムさんが?」

「…」


 ヤタムは沈黙を続けている。きっと頭の中は人生で一番思考を巡らせている事だろう。しかしこの状況を打破できる妙案は思いつくはずもなく、この長い沈黙が何よりも雄弁な答えとなっていた。


 そしてヤタムはとても長いため息を一つ吐いた。それは彼女の関を開けてしまったようで、椅子に力なくへたり込むとガラ悪く足を組んだ。


「…ダメだったか」

「それはどういう…?」


 こうなっても尚、真相を語らせたがる長兄の言葉をヤタムは鼻で笑った。


「ゴローイさん。どうもこうも、ここまでの流れで分かるでしょう。そこのおデブちゃんの言う通りよ」

「お、おデブ!?」

「私はパパの子供。ママは妾とか現地妻とか不倫相手とか呼ばれているような人。それだけ」


 ぶっきらぼうにそれだけ言うと、ヤタムはその場にいた全員の事を思い切り睨みつけてきた。怒りや後悔や自分の甘さといった感情をひっくるめた様な、そんな視線だった。


 そして長兄のゴローイは、再び台本のようなセリフを言う。


「何という事だ…目的はなんだ? 復讐か? 金か? 父の命か?」

「最初は…まあお金ね。今まで欠かさなかった援助が滞ったから文句の一つも言いに来たんだけど、その時にボケが来ているって分かったの。私のこともママこともぼんやりとしか覚えてなかったから」

「…」

「だから逆に利用してやろうと思った。面白いくらいにいう事をほいほい聞いてくれるから、私の方が騙されてるのかと思っちゃった。これでもかってお金を使わせてさ、この家が没落でもしたら行くところなくなるでしょ? そうなればパパをすんなり家に連れて行けるかなって」


 ヤタムは愉快そうに、それでいて自虐的に笑う。


 それをみて次兄のマズナイが口を尖らせて言い返す。


「なんて卑劣な事を!」

「っは。説教できるような立場じゃないでしょ、アンタらは誰も気が付いていなかったよ?」

「い、家の者は一体何を…」

「少々破天荒だったり、気の強いことを言っても屋敷の召使い如きじゃなにもいえないでしょ。それに私が来たのは症状が出始めた初期の頃だったし。誰も寄せ付けないように頑張ってたからね。アンタらだってほとんど家にいなかったし」

「お父さん…」


 子どもらはこぞってシャニスにさん目をやった。しかしここまでの騒ぎにあっても眠たそうにするばかりで覇気がない。弱っているのは誰の目にも明らかだ


「日に日に悪くなっていってるよ。特に今日はひどいわね、どんどん悪くなってる。ひょっとしたらここにいる全員の事も覚えていないんじゃない?」

「そ、んな…お父さん?」

「…どうした? 食事はまだか」

「う…」

 そんな間抜けなやり取りを見たヤタムは恨み節を飛ばしてやろうと、再びドロマーとレイディアントに目を向けて言った。


「アンタらも偵察ご苦労様。台無しになったから報酬は出ないけど、私の計画もオジャンだから同情はしないわよ。それともそこのおデブちゃんからいくらもらえたり…あれ? あのメロディアとかいう子はどこ行ったっの?」

「え?」


 そう言われてこの部屋の全員がハッとなった。とりわけずっと隣にいたドロマーとレイディアントの驚きは一塩だった。まるで気配を感じていなかったことに、戦いを身を置く者としても冷や汗が出た。


 扉越しに中の様子を伺っていた僕はまるで何でもないような風にドアを開けて入ってきた。その途端、食欲をそそる良い香りが充満する。静まり返った部屋には皆が匂いにつられて生唾を飲み込む音が聞こえんばかりだった。


 誰もが突如として現れた僕の事を見ている。


 だから飛び切りの笑顔で言った。


「お待たせしました。お食事です!」

「「はい?」」


 よもやこのタイミングで食事を出すとは思っていなかった面々は絵に描いたように呆気に取られていた。すると配膳台を押して目の前を通り過ぎた僕に向かって、ヤタムさんはとても強気な声を出した。

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