第10話 応戦をする勇者の息子


 僕は気を取り直してひとまずアガタフホテルで部屋を二つ取った。そしてその後に情報収集のため、ギタ村にあるクラッシコ王国の兵がいる駐屯所に立ち寄ることにした。


 クエストを受けなれている僕はやはりここでも顔パス状態で中に迎え入れてもらった。兵士たちは慣れたもので、すぐに赤い服の魔物の件で派遣されてきたのだろうと察していた。


 早速目撃情報の集中している辺りを地図で示してもらう。その流れで僕は少し早めの昼食に誘われたがそれ断ってすぐに現場に向かう事にした。


「昼食は少し待っててください。すぐに戻ってきますから、何か作りますよ」


 僕がそう言うと期待に胸膨らませた歓声が返ってきた。


 件の場所はギタ村の目と鼻の先にある北側の山の麓であった。この山から流れる川がギタ村の主な水源だ。麓と言えど決してなだらかではなく、森に入るや否やという距離から急に壁のように山道となる。それが山賊や盗賊団のアジトが多くなる要因の一つだった。


 僕は警戒を解かぬままに山道を進んでいく。兵士団から聞いた話によるとこの辺りで賊の刺殺体が頻繁に発見されるようになったのだという。


「それにしても…刺殺体ってのが気になるな」


 そんな独り言が風に乗って山林の中に消えて行く。すると代わりにどこからかうめき声が聞こえてきた。


「うぅ」


 耳敏くその声のする方へ近づいていく。すると岩陰に腕から血を流してへたり込んでいる一人の老人がいた。老人は上質な衣を纏っており、一目で身分の高い人間だと言うことが伺いしれた。


 しかし老人の素性どうこうよりも血を流すほどの大怪我を負っておることの方が問題だ。僕は山賊や魔物の事など忘れ、慌てて駆け寄った。


「大丈夫ですか?」

「助けてくれ…赤い服の女に襲われたんだ」

「赤い服…しかも女?」

「ああ。きっとまだ近くにいるはず…うう」


 老人は腕を抑えてまた苦しみだした。色々と気になる事は多いがまずは人命救助が優先だ。僕は怪我に障らないように老人を抱え起こそうとした。


 その時だった。


 僕は後ろに気配を感じた。まるで巨大な鳥が舞い降りたかのように翼で羽ばたく音が聞こえてきた。念のため老人を庇うようにしながら、振り返った。するとそこには話に聞いた通り、赤い服の女が立っていた。


 だが僕は一目見ただけで見解を改める。


 赤い服を着ているんじゃない。返り血で白い服が赤く染まっているのだ。元は純白であったであろうその服は、恐らくは修道服だ。それだけでも十分不気味なのだが、更にそれを助長する顔を隠すばらばらの黒い乱れ髪だった。


 しかも彼女の背中から生えている翼…。


 あれは紛れもなくキャント国の僧兵が使う聖化の術。その秘儀の翼でさえも羽の先は深紅に染まりポタポタと血を滴らせていた。


 すると血塗れの女は見た目に反して丁寧な挨拶をしてきた。


「ごきげんよう」

「…こんにちは」


 しかし、挨拶が終わるや否や血塗れの女は携えていた槍を瀕死の老人に向け、突き刺してきた。戦い慣れた凄まじく早く無駄のない動きに僕は一瞬、目を見開く。収納空間から剣で槍の軌道をずらすことは叶ったが、正直警戒していなければ防ぐことができなかったかも知れない。


「…何をする?」

「こっちのセリフです。殺すつもりですか?」

「ああ。その男は罪を犯した、つまりは悪だ。死ぬには十分すぎる理由だろう」

「犯罪だったらキチンと法の下で裁けばいい。殺すのはやり過ぎだ」

「必要ない。神の名の下に私が裁く」

「…話にならないですね」

「それこそ我のセリフだ。罪人を庇うとあれば貴様にも裁きを下すまでだ。子供と言えど悪は許さん」

「そんな、」


 無茶な―――。


 と続ける前に僕の顔面に銀色の刃が容赦なく突き出された。


「マジか、この人」


 僕は槍を避けながら老人を引っ張って無理やり血塗れ女の間合いから外れた。


 相手が子供と手負いの老人だと言うのに、躊躇いが一切感じられない。代わりに感じられたのは黒く重い信念のような感情だけ。先ほどの言葉は自分に酔った修道僧のセリフかと思ったがそうではないようだ。


 本当に罪人を殺すことに使命感を帯びている。そんな動きだった。


 だが驚いたのは僕だけではない。血塗れの女も僕がここまで機敏に動くとは思っていなかったようだ。しかし同時に女から警戒の念が発せられた。完全な戦闘態勢を取ったのがその証拠だ。


 女はまるで地面を滑るかのような足さばきで間合いを詰めた。相当な実力者であることは分かっていたが、強さの中に優雅さと言うか美しさがあり所々で見惚れてしまう。


 するとその時、血塗れの女は背中の翼を太陽と見紛うばかりに光らせた。単純な目くらましだが予想外の攻撃に僕は目を逸らしてしまう。すると当然のように隙を突いた槍の一撃が一直線に飛んできた。


 そして槍は容易く僕の心臓を貫く―――はずだった。


 僕は屈みこんで槍を躱すと同時に前に踏み出して剣の柄を突き出していた。それは突進の勢いと相まって威力上げて血塗れの女のみぞおちに食い込んでいた。


「がふっ…!」


 という息遣いと共に女の意識が飛んだ。僕は心の中で「もののけ姫かよ」と思いつつそのまま女を肩に担いだ。ふと見れば老人も恐怖からか痛みからかすっかり失神してしまっている。


 血塗れの女は放ってはおけないし、元より老人の手当ても必要だ。そしてどちらもこの山の中にいたのではどうすることもできない。


 僕は一息漏らしてから、


「どうしようかな…」


 と独り言を呟いた。


 順当に考えれば老人は駐屯所に連れ帰り病院へ、血塗れの女は兵士団にでも届ければ一件落着だ。しかし僕の中の勘がそれを拒んでいる。ともすれば老人を運ぶのは当然として、血塗れの女も連れて帰るほかない。幸いにもドロマーさんといつ合流してもいいようにホテルには二部屋取ってある。ひとまずそこで休ませて様子を見るしかない。


 そこから僕は一人で二手に別れる事にした。


 僕は収納空間から一枚のマントを取り出す。これは母親から譲り受けていた代々の魔王が愛用していたという由緒正しいマントだ。魔界の最上級品であり、歴代の魔王の魔力が染みこんでいて色々な魔法の補強に使うことができる。僕は自らの分身を一体作り出してマントを着せた。これは本来は囮として敵をかく乱させるために使う術だが、マントを羽織らせればより存在感を強固にできる。その上、多少なら遠隔でも操れるようにもなる。


 こんな童顔が着るとまるで似合っていないが、この際贅沢な事は言っていられない。


 マントの方に老人を任せると、僕は血塗れの女を収納していたレジャーシートで包んだ。流石に昼間から血塗れの女を抱えていた職務質問くらいじゃ済まない。レジャーシートも大概だが、いざとなったら花見をしている最中に姉が酔いつぶれて服を燃やしてしまった、とでも言って言い逃れしよう。


 しかし意外にも街に入っても、ホテルに辿り着いても皆が気が付かないふりをしていた。治安が悪いせいで、ギタ村にはどんどんと事なかれ主義が蔓延しているのかも知れないと勝手な予想をしていた。


 やげて滞りなくアガタフホテルまでたどり着く。部屋に入るなり僕は血塗れの女をベットに乗せ、部屋に結界を張った。万が一暴れ出したとしても被害を最小限に抑えられる。


 防御を盤石にしたところで、僕は部屋にある椅子に腰かけて何故血塗れ女を兵士たちに引き渡さなかったのかを自問した。


 するとその時の事。唐突に部屋の戸がノックされた。


「どちら様ですか?」

「メロディア君ですか? 私です、ドロマーです」

「ド、ドロマーさん!?」


 まさかの来訪に僕は慌ててドアを開けてドロマーさんを部屋に招き入れた。心なしか彼女は上機嫌で肌艶がいい気がした。


「流石ですね。ちゃんとアガタフホテルをお取りになって。あ、ひょっとしてペイチャンネルをお楽しみ中でしたか?」

「お楽しんでねーよ。あなたこそ…さっきの奴らは?」

「その、お屋敷が遠くてですね…ちょうど例のラブホの前を通ったのでつまみ食いを」

「甘酸っぱい思い出は!?」

「苦い白濁に変わりましたとさ。お後よろしいようで」

「よろしくねえ」


 ドロマーさんはぬるりと扉をすり抜けて部屋に入ってきた。キョロキョロと部屋の内装を確認するように見回す。


 するとベットに血塗れの女を寝かしている事を唐突に思い出した。緊急とは言え女を連れ込んでいると知られたら絶対に面倒くさいことになる。しかしテンパってしまってしどろもどろになるだけだった…何で浮気がばれそうな彼氏みたいになってんだよ。


「懐かしい。綺麗になってますけど、ところどころに昔の面影が…あれ?」


 そして僕の懸念通り血塗れの女に気が付いたドロマーさんは、これでもかと言わんばかりに目を見開く。機械仕掛けの人形のようにパクパクと口を動かし、カクカクと首だけを僕に向ける。


「…まぜて」

「何もしてねーよ」

「これから!? 寝込みを!?」

「そうじゃねえ!」


 などと二人が騒がしくしていたの原因か、気絶させていた血塗れの女が呻き声を漏らして目を覚ました。

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