第5話 引き留める勇者の息子
「うぅ…」
翌日。
ドロマーさんは陽の光と小鳥のさえずり、そして森の香の乗った微風とによって起こされたようだ。
言葉だけならさぞ爽快な目覚めが訪れそうなものだが、彼女の気分は最悪だったに違いない。叩き付けられた厳しい現実が未だに攻め立ててくる。いっそ夢だったと現実逃避したかったかもしれないが、喉にある逆鱗に残る鈍い痛みがそれも許してくれない様子なのは顔色を見て分かった。
「あ。起きました?」
僕は瓦礫や壊れた家財道具を片付ける作業を一旦やめた。つかつかと歩み寄ってくる僕を見て、ドロマーさんは不安に駆られ自分に掛けられている薄いシーツをギュッと握りしめた。
だからなるべく優しい声音を意識して話しかけたのだ。
「具合はどうですか? 朝ご飯ありますけど食べられます?」
「え?」
ドロマーさんは僕の年相応な雰囲気に戸惑ったようだ。というよりも昨日見せた勇者と魔王から受け継いだであろう威圧感が嘘のようになくなっていることが腑に落ちていない様子である。
すると声の代わりに彼女のお腹が返事をした。それを聞いて僕は申し訳なさそうに顔を背けた。
「顔色もいいし、問題なさそうですね」
「ど、どうして助けてくれたのですか?」
「あなたがお腹を空かしているからです」
「はい?」
それは僕の信念であったが、それを知らないドロマーさんにとっては意味不明な理由にしかならない。だから嚙み砕いて説明をした。
「僕の個人的な哲学です。お腹が減っている時はそりゃ誰だって盗んだり殺したりしてでも食べ物を探します。それは生き物として当然の思考です。だから僕はまずあなたにお腹いっぱいになってもらいたい。満たされている時に悪い事を考える奴が本当の悪人だと思うんですよ。だから満腹になって冷静に判断しましょう。お互いにね」
「…」
ドロマーさんは言葉が出てこなかった。何かを言おうとしたのだが、僕は暖かい食事を出したい一心ですぐに青空が天井の台所に行ってしまった。
「どうぞ。まだ胃が回復しきれていないと思うんで、パンのミルク粥にしてみました」
ふわりと優しい匂いがドロマーさんの鼻孔を刺激する。しかしこれは食べることができないと拒絶されてしまった。
「すみません。実は私、乳アレルギーで…」
「え? そうなんですか?」
「はい…あ。乳アレルギーならこの胸は偽物かって思いました?」
「思ってねーよ」
強調するように胸を手で押し上げたドロマーさんに僕は冷たい声で応じる。
「けど、そうなると…他に食べるものあったかな?」
「一つだけそこに大好物があるんですが、頂いてもいいですか?」
「ええ。どれのことですか? 遠慮せずにどうぞ」
「ありがとうございます…ではお言葉に甘えて」
重々しく身体を動かしたドロマーさんは腕を一直線に伸ばす。ドロマーさんの右手はふんわりと僕の股間のイチモツに触れた。
だから殴った。
「いったぁい。何でも食べていいって言ったじゃないですか!」
「食べ物の話に決まってるだろ!」
「サキュバスにとっては立派な食べ物ですよ…あ。というかそれじゃないと満足な栄養補給はできないんです」
「嘘をつくな。サキュバスだって人間と同じ食べ物でも体力の回復はできるはずだ。こちとら母親にがっつり魔物の知識も教えられてんだよ」
「うぅ…」
「まさか乳アレルギーも嘘なんじゃないだろうな?」
「…それは本当ですぅ」
僕は台所に向かうと大急ぎでパン粥を作り直した。今度のはコンソメスープをベースにして卵と細かく刻んだブロッコリーを散らしてある。白い粥に黄色と緑の色合いが加わり、食欲をそそる出来栄えだと自画自賛した。
ドロマーさんはそれを受け取ると今度こそ大人しく朝食を食べたのだった。
「…ご馳走様でした」
「はい。お粗末様」
「美味しかったです。とても」
「それは良かったです」
僕は気を利かせて食後用の紅茶を淹れに再び台所に向かった。
しかしその様子を見つつドロマーさんは気配を消した。勇者の息子である僕に逆恨み的な復讐を遂げるという目的は達成できなかったが、代わりに勇者とそして魔王が健在という有益な情報を聞けたのが原因だろう。
あの二人が結婚していたというのは少し…いやかなりの衝撃であったかも知れないがそれでも死んだと思っていた人が生きていてくれたことは喜ばしいに違いない。
これからは一先ず勇者と魔王を探す旅に出ようと思っている、そんな表情を見た。ひょっとしたら魔王が勇者を陥落させるために何かを企てているのかも知れないし、反対に勇者が魔王の魅力をとうとう理解したのかもしれない。どんどんとドロマーの中で妄想が膨らんでいるのではなかろうか。
いずれにしてもそれはドロマーさんが二人に直接会えば解決する話だ。
問題はその二人の力を色濃く受け継いだ僕の存在。ドロマーさんはいまひとつ、僕の行動原理を計りかねているようだ。勇者のような慈愛を見せたかと思えば、途端に魔王のような冷徹さも垣間見せてくる。それは僕なりの人心掌握術の一つなのだけれど。
いずれにしても実力で立ち向かうのが難しいのは昨晩の事で経験済み。厄介な事になる前にそっと姿を消してしまおうという算段なのは雰囲気から伝わった。
観察眼に関しては中々なものを持っていると自負している。自分で言うのもなんだけど。
しかし。このまま黙って行かせる訳にはいかなかった。
「どこに行くんですか?」
「ぐえっ」
僕は忍び足で逃げ出そうとするドロマーさんの髪を掴んで止めた。
「いえ。スコアも魔王様も生きていると聞けたので少しでも早くお会いしたくて」
それを聞いた僕はニコリと笑った。
その途端、彼女の瞳は揺らめきは鼓動が早くなったのを理解する。散々に恋い焦がれた勇者スコアと、淫靡で蠱惑的な魔王の良い所だけをかき集めたようなそんな笑顔にやられたといったところか。
だが僕は低く冷たく言い放ち、彼女の幻想を破壊する。
「行くんなら家と屋台、弁償してください」
「え?」
「え? じゃないですよ。昨日の事は覚えているでしょう? 散々暴れまわったんですから」
「あ、はい」
「それにどう考えたってあなたの事を放ってはおけないです。平気で人を襲いそうだし、聞きたい事も沢山ありますし」
「な、なんでしょう?」
「まずは他の八英女の事です。確か一人を除いて六人の事は知ってるんでしたね?」
「ええ」
「何となく予想はついてますけど、ドロマーさんと同じようになってるんですか?」
そう聞かれたドロマーさんは不敵に笑った。
「ふふふ。その通りですよ。もうあなた達の知る八英女はいないのです。私達はそれぞれが魔王様によって救われ、魔王様をお守りすることこそがこの世界の為と気付かれたのです」
「という事は母さんがやんちゃしてた頃に眷属にさせられたんですね。少し厄介だな」
「魔王様の所業をヤンキーの過去話みたいに言わないでください」
「ところで他の八英女の方たちは?」
「…魔界を出るところまでは七人で行動していました。そして人間界に辿り着いた途端、スコアが魔王様を討ち、子供までいるという噂を聞いたんです。それが本当かどうか、真実であれば腹いせにその子供を堕落させて勇者に見せつけてやろうという事で結託しました。そのついでに誰がその子供を堕落させられるか競争しようと…」
「…はた迷惑な。けど好都合ですね」
「え?」
今度は僕が不敵に笑って見せた。
「という事は黙ってても向こうから来てくれるって事じゃないですか」
ドロマーさんはその笑顔にゾクリと身体を身震いさせる。
「とにかく弁償できないのならしばらくの間は労働力を提供してください。父さんと母さんには一度戻ってきてくれるように伝えますから」
「え? それって大丈夫ですか?」
「何がです?」
「私がメインヒロインになりますけど、非処女ですよ? しかも相手は主人公の父親」
「言うな! 意識しないようにしてんだから」
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