第7話 諫める勇者の息子

 

 ◇


 守護天使レイディアント。


 ムジカ大陸一、国民の信仰心が厚いと言われているキャント出身の女司祭であり、同時に百戦錬磨の僧兵でもある。


 キャント国の国民は一説には天使の末裔であり、世界に光を齎した神が最初に作った天使の子孫だと実しやかに囁かれている。その噂を裏付けるのが聖化と呼ばれる魔法とは似て非なる特殊な技巧だ。


 キャント国の僧兵の扱う聖化と呼ばれるその術は魔を退ける効果があり、魔王軍との戦いでは八面六臂の活躍を見せたと記録されている。


 特に司祭として認められるほどの信仰心と実力を兼ね揃えた者が扱う聖化は発動と同時に白く光り輝く翼が背中に現れ、正しく天使と見紛うほどの風格を得るという。そしてそれがレイディアントの二つ名の由来にもなっている。


 レイディアントはその翼で厄災を防ぎ、手に携えた槍で魔を討ち滅ぼしてきた。その雄姿はキャントを中心に多くの絵画に描かれてきている。


 ◇


 そんな英雄が…。


 この場合、魔王に寝返ろうとも生きていて欲しかったと思うのと、名誉ある戦死で尊厳を守れたと思うのとどちらが人情なのか、僕にはよくわからなくなってしまった。


 すると僕の視界が急に埋まった。鞣した皮の鎧越しにドロマーの柔らかい胸の感触が顔に伝わったことでドロマーに抱きしめられていると気が付いた。僕はつい力づくで振り払おうと思ったが、その前にドロマーがとてもとても優しい声音で語りかけてきたのだ。


「すみません。あまりにも浮かない顔をしていたので」

「…」

「君のお顔を見ていて昔の自分を思い出しました。子供たちにそんな顔をさせないために私は剣を振るっていたのに、私が弱いばかりにあのような姿になってしまいました。けれどレプリカとは言えあの頃の装備を身に着けると気持ちも少しだけ元に戻った様な気がします。良ければ私に不安や怖さを預けてください」


「ドロマーさん…」


 ふんわりと甘い匂いに耐えられなくなった僕は少しだけ身をのけ反らせてドロマーさんの顔を見た。そこにはサキュバスとしてではなく、かつて憧憬を持った竜騎士としてのドロマーさんがいた。


 それは僕が、そしてムジカ大陸の多くの人々が思い描く八英女の一人である竜騎士ドロマーの姿でもあった。


 ドロマーさんは神々しくも思えるほどの笑顔で尋ねる。


「どうですか? 少しは落ち着きましたか?」

「ええ。ありがとうございます」

「ふふふ。少しはメロディア君の思い描いていた竜騎士ドロマーに戻れたでしょうか?」

「ええ。完璧ですよ……そのサキュバスの尻尾で僕のお尻を狙ってなければね」


 メロディアは言うが早いかスペードのような先端をしていた尻尾を思い切りよく握った。正直千切れてもいいや、と思うくらいの力強さだ。


「ひぎぃぃ!?」

「オイ。何するつもりだったんだ? 言ってみ?」

「む、昔の私に憧れていたようだったので、頑張って癒して差し上げようかと、イデデデ」

「そっちじゃねえよ。この尻尾で何しようとしてたんだ?」

「隙をついて尻尾の媚薬を打ち込もうとしました、ごめんなさいぃぃぃ」

「テメエ…」

「そ、それには訳があったんです。ちゃんとお話しますから。尻尾を引っ張らないでくださいぃぃ」


 パッと尻尾を放すとドロマーはその場にへたり込んだ。半泣きになりながら優しく自分の尻尾を撫でている。


「で?」

「こ、この際だからはっきり言わせてもらいますよ!」

「何ですか?」


 意外に好戦的に食らいついてきたドロマーさんを見て、僕は少しだけたじろいだ。そしてキッと鋭い目つきになったドロマーさんは訴えるように言った。


「メロディア君はぶっちゃけすごい好みなんですよ!」

「…はい?」

「考えても見てください。あなたは私がサキュバスになるきっかけになった魔王様と、サキュバスになった後に肉欲を貪る対象にしていた最愛のスコアの息子なんですよ」

「言い方」

「スコアの面影を持ちつつ、魔王様の支配的なオーラを発する。もう性欲の捌け口として本能を抑えられないんです。それを控えろなんてサキュバスにとってどれだけ責め苦か。言うなれば人間に向かってお腹を空かせるのを止めろと言っているようなものですよ」

「う」


 自分の琴線に触れるような、上手い例えだと思った。サキュバスにとっての空腹と言われるとないがしろにしたり、無理に抑えろとは言いづらい。


「それにお尻の尻尾責めはスコアの弱点でしたし」

「会話の端々に父親の性癖ぶっこんでくるのを止めろ」


 ドロマーさんの軽口はともかく確かにサキュバスの性質として精から魔力を摂取するのは本当だ。食物で栄養補給ができても魔力の供給ができないと一時しのぎにしかならない。かと言ってドロマーさんの望むような形での魔力提供は僕にとっても不本意な事だ。


「仕方ない。ドロマーさんの淫紋を見せてください」

「はい。どうぞ。何をするんですか?」


 そう言ってドロマーさんは躊躇なくスカート型の鎧をたくし上げた。草原のど真ん中だと黒く際どいランジェリーがアンバランスな印象を与えてくる。


「もっとマシな見せ方あるだろ!」

「だって上はレザーアーマーですし、メロディア君が言霊で脱ぐのを禁止してるじゃないですか」

「ぐっ」


 そうだった。確かに自分がそう命じたのだと、僕は歯噛みした。数分前の自分を呪いつつ、もうこうなってはさっさと済ましてしまうのが一番の得策だと結論付ける。


 僕は高さを合わせるために屈みこんだ。そしてスカートの裾をくぐると淫紋に口づけをした。


「はえっ!?」


 僕のまさかの行動にドロマーさんは混乱する。しかしすぐに一体何をしているのかを理解したようだった。淫紋を通し僕の魔力をドロマーさんの体内に送り込んでいるのだ。その魔力の質は当然ながらやはり魔王に似通っていて、サキュバスたるドロマーさんの表情は恍惚感に満たされていった。


「ふう。ひとまずこんなところでどうです?」


 僕は一仕事終えたように息を吐いた。そしてスカートの中から出るとふらついているドロマーさんを支える。すると彼女はふにゃふにゃとその場にへたり込んでしまった。


「ドロマーさん? 大丈夫ですか?」

「…ひゃい」

「とりあえず僕の魔力を渡しましたからしばらくは大丈夫でしょう。母さんのソレとは似通っているのでドロマーさんにも適合するはずです。足りなくなったら夜にでもまた魔力を注いであげますよ……僕の機嫌が良かったらですが」


 僕は駄々をこねられてはたまらないと、ちょっとした悪戯心でそう言った。するとドロマーさんはたおたおと僕の服の端を掴んでくる。


「…どうしたら」

「え?」

「どうしたらメロディア君の機嫌が良くなってくれますか?」

「いや、それは…」


 トロンと潤んだ瞳で魅入られる。それはサキュバスの能力ではなくドロマーさん本人の魅力だった。強く当たりがあれば突っぱねるのも容易だが、こうなってしまうと僕はいまひとつ調子が取れないでいる。


 その時、妙案めいた事を閃いた。僕は魔力を質にとって脅しているようで気が引けたのだが、その提案を口から吐き出していた。


「…せめて人と会う時はサキュバス的な発言は控えてください」

「…わかりました。いい子にします。だから今の濃くて熱いのをもう一回私に注いでください」

「ホントにわかってんのか?」


 するとその時、クラッシコ王国の方から誰かがやってくるのが分かった。スクーターで。


 鎧甲冑を身に纏ったスクーターの主はこちらに気付くと「おーい」と声を飛ばしてきた。どうやら彼の目当ては僕らしかった。やがて目の前まで辿り着いた鎧男はヘルムを開けるとニコリと笑った。

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