第3話 堕ちた竜騎士と勇者の息子

 ◇


 そんな御伽噺の中でしか語られない英雄本人が目の前にいるという事実を容易に受け入れることはできない。


 しかも話を鵜呑みにできないのは別の理由もあるのだから。


 僕は必死に感情の高ぶりを抑えて、どうにかこうにか「けれど」と前置きの言葉を出して話を続けた。


「けれど待ってください。竜騎士ドロマーは…いえ、ドロマーだけでなく八英女は全員戦死しているはずですよ。魔王との戦いの中で」

「なるほど。道々に色々と風聞は聞き集めましたが、やはりそう語り伝えられているのですね…」


 ドロマーさんは大きく息を吸い込んだ。そしてため息を一つ吐くと例の冷たく光る青い瞳で僕の事を見据えた。


「本当の事をお話します。聞いてくれますか?」


 ドロマーさんは顔に影を落とした。それだけの事なのに怖さよりも美しさが際立ってしまい、僕はつい息を呑んでしまった。


「その前に私達の事はどのように伝えられているんですか?」

「…お伝えしたように八英女は魔王との戦いで戦死したと」

「誰がそのような事を?」

「父です…」

「ふふふ。まあ当然でしょうね。スコアだけが魔界から無事に帰還できた上、あの人にとっては消し去りたい過去なのでしょうから」


 何やら含みのある言い方だと僕は不信感を覚えた。しかしそれも次に語られた事実の驚きで吹き飛んでしまった。


「八英女は少なくともあと六人は生きています。私はその六人と共に魔界にいました」

「! では、なぜ今になって…?」

「封印されていたのです」

「封印…」


 そう聞かされて僕の頭の中に様々な予想と憶測が展開される。


 恐らくは魔王によって封印され勇者パーティの戦力を分散させられたのだろう。もしかしたら、それを父に仲間は死んだと偽って伝えていたのかも知れない。もし生きていたと知っていたなら父は再び魔界に赴き、仲間たちを救い出すために動いていたはずだ。そうしなかったという事は、少なくとも父は八英女が魔王の手に掛かって殺害されたと思い込んでいるのではないだろうか。


「魔王は…そんな姑息な手を使ってきたのですか?」


 僕はそう結論付けて手を握りしめる。すると勝手に体が義憤に震えた。


 しかしドロマーさんが急に笑い出し、僕の中に沸いた怒りのような感情もすぐにかき消されてしまった。


「ふふふふふ」


 最初は可愛らしいと思った笑い声が、今ではやけに不気味に聞こえる。彼女の中に何やら黒い感情が満たされていくような感覚を持った。


「違いますよ。封印は魔王様ではなく、あなたの父親である勇者スコアにされたんです」

「え?」


 それはどういう事ですか…と尋ねようとした矢先。僕は声を呑んだ。突如として夥しいほどの殺気を浴びせられたのが原因だ。反応したが、それは一歩及ばない。反応しようとした瞬間、僕の身体は床から突如として飛び出してきた触手に絡めとられ、椅子ごと縛り付けられてしまったのだ。


 一体、何が起こったのかと事態の飲み込めない僕に向かって更に追い打ちがかけられる。混乱は加速する一方だった。


「きゃははははっ!!」


 甘く、それでいて身震いするほど冷たい笑い声がこだました。その悪魔の様な声が英雄である竜騎士ドロマーの口から発せられる笑い声とは認めたくなかった。


 ドロマーは高笑いと共に身体から魔力を放射した。途端に家の半分が魔力の衝撃に耐えきれず吹き飛んでしまった。森を抜けた夜の冷たい風が僕の首筋を掠める。しかし家がどうとかそんな事を気にしている場合ではなかった。僕はじっと豹変したドロマーを睨みつけた。


 魔力により浮遊したドロマーは淫靡に僕の事を見下すと、やはり淫靡に舌なめずりをして見せた。ローブもいつの間にか吹き飛んでしまい、初めて彼女の全貌が明らかになっている。


 過度に露出度の高い服。一応鎧の体を装ってはいるものの申し訳程度に局部を隠すだけのその服装は、彼女の美貌と相まって余計に淫らな煽情さを演出する。その上淫猥を強調するのが、腰から生えた悪魔の翼と下腹部に刻まれた紋章だった。


「い、淫紋? まさか…『サキュバス化』しているのか?」


 目の前で起こっている事実から最も単純に導いた推論を口にした。するとドロマーはニヤリと笑って


「その通りですよ」


 と言った。


 全くもって予想だにしていない展開に僕はどうしていいのか分からなくなってしまう。するとゆっくりと目の前に舞い降りたドロマーが彼の耳を指でなぞりながら、甘い吐息と共に囁いてきた。


「ふふっ、大丈夫ですよ。約束通り、魔界で何があったのかはキチンとお話しますから」


 そう言ってドロマーは長い髪の毛を後ろで一本にくくり始めた。しかもわざと艶めかしく身体を動かし、僕を煽るようにしながら。


「順を追って話しましょう。伝え聞いているように、私達は最高のパーティと称されながら順調に旅を続け、満を持して魔界へと乗り込みました。しかし、私達は到着と同時に魔王軍から総攻撃を食らいました。読まれていたんですよ、私達の行動が」

「な、なぜ?」

「内通者がいたんです。ご存じでしょう? 弓の名手だったラーダです」

「く、蜘蛛籠手のラーダが!?」


 蜘蛛籠手ラーダと言うのはドロマーと同じく八英女の一人に数えられる英雄だ。


 エルフの国であるヴァンジェロ出身の弓使い。二つ名の通り、蜘蛛をモチーフにした籠手を身に着け弓を引く。その腕前は百発撃って二百の的に当てると伝わり称されている。


「ラーダの事はともかく、あまりにも不測過ぎる事態に私達は逃亡する以外の選択が取れませんでした。その時、私の頭の中にはスコアを守る以外の考えはなくなっていました。自分の命を賭してでも彼を無事に逃がす。そうすれば勝機は潰えない、とね」

「…」

「私は一言もなく囮を買って出ました。スコアさえ逃がせばもうどうなっても構わないという一心で。目論見通り彼を逃がすことには成功しましたが、あとは多勢に無勢。私は魔王軍に捕らえられ捕虜となった」


 そして口元だけで笑った顔を僕に見せつけてくる。そしてくすっと生々しい息遣いをする。


「女騎士が捕虜になる…あとは余程の初心うぶか純朴でない限り想像がつきますでしょう?」


 敵国に捕まった捕虜。しかも女で、相手は悪逆非道と名高い魔族の軍隊。その上、忌むべき八英女の一人ともなれば、確かにその後の顛末は僕にとっても想像に難くなかった。


 僕は眉間にしわを寄せ、想像した陰惨な光景を必死に払拭しようとしている。するとドロマーは優しく彼の頭を撫でた。


「ふふ、そんな顔をしないで。ごめんなさい。少し意地悪をしてしまいました。今言ったのは途中から少し誇張しすぎてしまったようです」

「誇張…?」


 一体どこからが…? いや、もう全てが嘘であってほしい。僕は願うようにそんな事を思った。


「捕虜になった後、魔王軍の慰み者になった訳ではありません。私はすぐに魔王様の元に献上されました。魔界には多種多様な種族が混在して社会を形成しています。そして基本的には実力主義にて政を為しています。そんな魔王様はサキュバスとして初めて王政を取り仕切るお立場になった方でした。これがどれほどの事か分かりますか?」

「…サキュバスはどちらかと言えば低級魔族です。夢の中や性的な行動では他を寄せ付けない強さを見せることもありますが、魔族を統べる王になるほどじゃない。それなのに魔王として君臨したという事は…サキュバスの中でも特異でしかも絶大な力を持つリリス・サキュバスだったと言いたいんですか?」

「そうです! サキュバスなのにも関わらず、それだけ類稀な魔力と強さを有していたのです。流石に博識ですね。それともスコアから聞かされていたのですか?」

「教えてもらったのは確かですけど、父さんからじゃありません」

「? まあ、知っているのでしたら話は早いです。魔王様は私の事を一目見るや否や、私の中の淫靡の種に気が付かれたのです。三日三晩、あの手この手で快楽を教え込まれ、サキュバスの魔力を注がれ続けられた…その結果、こんな素晴らしい力を手に入れることができたんです」

「魔王の快楽による洗脳で堕とされたという事ですか…」


 父が頑なに八英女について語りたがらない訳が分かった様な気がした。


 僕が一人で納得していると、いきなりドロマーにものすごい力で喉を締め付けられた。そして怒りと殺意の込められた声を浴びせる。


 喉を締め付けられたせいでゴホゴホとせき込んだ僕を無視して、ドロマーは告白を続けた。

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