榊原静也

ある電車、満員に近い電車に震えながら立つ男が居た。

榊原さかきばら静也せいやだった。

ガリッ、ゴリッ…バリッ。

爪を噛む手が震えて、ポケットの中のナイフを持つ手が震えている。

「……はっ、…ふぅ…はぅ…はっ…あっ…」

怯えているのか、 体が震えて上手く呼吸が出来ない。

揺れる。電車が揺れる。あと一分も立たず、駅に着く。

榊原は目の前に座っている眠っている黒髪のボブヘアーの女子高生の前に立つ。

ボブヘアーの女子高生は完全に寝ているようで眉ひとつ動かさず、人形の様な綺麗な寝顔で、長いまつ毛が電車内にかけられているエアコンで揺れるだけだった。涙ボクロがやけに艶かしい女子高生。


榊原は、持っているナイフを振り上げた。


………


時間が遡り、数時間前。


「んで、何です?僕に用って……」

新宿マルイ、アネックスの地下カフェに自殺屋は居た。ホットコーヒーを飲んで、一息を着いていた。

それだけで、相当様になる絵面であった。

流石、好青年と言ったところか、オシャレと言えるカフェに自然と馴染む。ただコーヒーを飲んでいると言うだけで、絵として映えるのだから、イケメンと言うやつはどこまでもずるいもの。今こうしているだけで、女性どころか、男性までも見とれている。

自殺屋の目の前には、一組の男女。

儚く、人形のような、傷だらけの少女と、品行方正の彼女と真逆の金髪で少しチャラめの青年で、つい最近、成人式を迎えた男性。そして、糠星蓮以外のもう一人のイレギュラーだった。

雛姫菊と、奥野細谷だった。

「はぁ…一つ言いますけど、あまり僕とは関わるのは良くないですよ。コレは忠告です」

自殺屋の言葉に二人はポカンと、口を開けていた。

「「え?」」

「お付き合い、おめでとうございます」

と、頭を深々と下げる。

「「違います!」」

「え?違うんですか?」

「「違います!!」」

(仲良さげなのに…)

二人は頑なに否定した。奥野細谷が説明の為に口を開く。

「用があるのは雛姫ちゃんですっス。今の雛姫ちゃんじゃ、自殺屋さんに電話をかけても、繋がらないでしょ?」

「なるほど…」

(本来、繋がらない方が良いんだけど…)

雛姫が奥野と入れ替わる様に口を開く。

「最近、変な噂があって…」

「噂?」

「自殺屋さんと似た様な感じなんですけど…その、『地雷さん』って噂です。正直、まだ私はあんまり詳しくないんですけど…。

あるメールアドレスに殺して欲しい人の名前を書いて送るんです。どこからとも無く来た女の子から話しかけられたら、成功って感じです」

「それ、マジもんのヒットマンでは?」

「さすがに違うと思います…」

一瞬、自殺屋は目を輝かせたが、雛姫に冷静に否定され少ししょぼんとする。

「それじゃあ、僕の『同僚』って事になるんですかね〜」

「「…」」

二人は心配そうに一瞬、お互いの顔を見合わせた。不安な顔のまま自殺屋を見つめる。自殺屋は大きくため息をついてから、ホットコーヒーを一口飲んだ。

「何が不安なんです?お二人は。」

「いえ、その……自殺屋さんが誤解されるのが嫌で…」

「何を誤解されるんですか?」

「そ、それは…」

雛姫は、圧を感じる自殺屋の言葉に言い淀む。

「自殺屋がむやみに死なせてると思われることです」

雛姫の代わりに奥野が横から口を挟んだ。

「別に、何一つ誤解じゃないでしょう?勘違いしているようですが、僕の基準で死なせる、死なせないを決めているだけで、僕は、僕の天秤で、『死ぬに値する人間』かを見定めているだけです。そこに、人間の世界の『道徳』は存在しない。どこに誤解があるんですか?」

「あります」

「…」

「自殺屋さんは、殺人はしないと思うから」

奥野の言葉に雛姫は強く頷いた。あまりにまっすぐ言われてしまい、自殺屋は力が抜けた様にため息を着くと、背もたれに寄りかかり、メガネを外して目の位置の鼻筋を揉んだ。

「なんてね…と、言おうとしたんですが…回答が斜め上を行きましたね」

「すみません…」

「いえいえ。存外、そう言われると気持ちいいものがありますね。素敵です」

「ど、どうも?」

「だからこそ、あまりこの件には関わらない方がいいかもしれませんね。あの女は、自分勝手に動きます」

「心当たりがあるんですか?」

雛姫のお淑やかな声が問う。

「残念ながら。嫌味でめんどくさい女を知ってます。まぁ、こちらから関わらなければ、大丈夫ですので、放っておいて良いですよ」

「そうですか…」

「もし、近場にそのメールを送ろうとしている人が居たら止めてあげてください。あの女は、相当、趣味が悪い。猫撫で声に、地雷女子。その上、生意気なガキ。いちいち僕に突っかかってくるんですよ。僕とは真逆だ。気おつけてください」

と、自殺屋はコーヒーを飲んで忠告する。

「自殺屋さん…」

ボブヘアーを揺らして、雛姫は呟いた。

「なんですか?」

「私、自殺屋さんの力になりたい…」

「自分も!出来る事があるなら!」

二人が真剣に自殺屋を見る。その姿は生き生きしていた。自殺屋は「ふっ…」と、笑って二人の頭を撫でる。

「ありがとうございます。でも、子供の手を借りる訳には行かないので。大丈夫です」

自殺屋は伝票を持って、席を立った。


………


時間は、さらに遡り、二日前


青年はコンビニからの帰り道に、榊原は自分の爪を噛んで歩いていた。コンビニ袋を手首にかけ、ポケットに入れている手の中には折りたたみナイフを入れていた。

道沿いにある公園から榊原の前に青いゴムボールが転がってきた。

「もぉ〜!お前何してるんだよ!洋平!」

「ご、ごめんケンちゃん……」

弱々しい男の子が、ボールを持って榊原に軽く頭を下げた。

その姿が、昔の自分と重なった。

気が弱くて、言い返せなくて、それでも不満ばかりが溜まっていた自分。

一緒にいたくないけど、親が仲良くて、一人は嫌だったから…。もう、そんな友達もいないけど。

『つまんねぇ』

頭の中に響く声に苛立ってため息を着いた。

このセリフを言ったの子も、幼なじみだった。

「うるせぇよ…」

家に入れば、大きくため息を着く。

「どうせ、俺が悪いんだろ…」

沢山ある求人雑誌を蹴り飛ばして、昔から使っているベッドに体を滑り込ませ、携帯の液晶画面を見る。

SNSを流し見していると、不意にとある投稿が流れ込んできた。

『結婚しましたー!今まで支えてきてくださった皆様、出会ってくれた方々、本当にありがとうございます!!』

この投稿をしているのは、昔、自分をいじめてきた主犯格の男だった。

(あぁ。世の中は理不尽だ。人を傷つけて笑う奴が幸せになっている…)

クソが。クソがクソが、クソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがっ!

なんでだよ。なんでお前らがっ!なんでなんでなんで!なんでお前らが幸せになんだよ!

忘れてないからな?忘れてないからな!

お前が俺を傷つけたことをっ!

忘れていないからな!

ゴミ箱に上履きを捨てた事を!

俺の机に悪口を書いた事を!

嘘告をして笑った事を!

俺から金をとったことを!

勉強のストレス発散で俺を定期的にリンチしていた事!

今となってはもう、証明しようの無いいじめ。負け組と俺を笑ういじめ。

呪いのつもりだった。

誰かが知ってくれればいいと思った。

『地雷』さんのメールアドレスに、そいつの名前を書き込んだ。恨みを吐き出すのと同じ。

軽い気持ちだった。

呪われたら嬉しい…ぐらいだった。

「承った」

可愛らしい甘い少女の声が聞こえた。その声の方を見ると、薄暗い俺の部屋に一人の女子が居た。

「んふっ」

高い笑い声を部屋に響かせる。

不思議な髪型の少女だ。黒い髪を耳の後ろで輪を作って、長い髪を垂らしている。

服装は地雷系女子と、呼ばれる女性が着る系統の服だった。薄ピンクのフリルの着いたワイシャツに襟は黒いレースが施されていて、胸下から足の付け根より少しした程の短いレーザーで黒色のキュロット。

黒いニーハイの靴下に、厚底の黒いストラップシューズ。

方から下げているのは黒ベルトのベスト。腰に着いている銀のハートのベルト。足にはベルトのガーター。

顔立ちは猫のような可愛らしい顔立ちでメイクでタレ目になっている。目尻に赤いアイシャドウで赤系統のメイクをしている。

「初めまして。私は『地雷さん』」

「…あ……」

お、女の子?しかもめっちゃ可愛い…。超美人?可愛い系の子だ…

「あっれ〜?もしかして、あんた超陰キャ?コミ障のくそざこじゃ〜ん♡」

(クソガキだぁ…)

「は?こんな美少女が出てきて無言とか、クソじゃん。雑魚よりも雑魚?ゴミなの?」

と、布団の中に居る榊原を厚底の靴で踏みつける。

「や、やめろよ!お前なんなんだよ!」

「はぁ?『地雷さん』よ『地雷さん』よ。アンタが今、メールを送ったじゃない。楽しそうだから飛んできちゃった♡」

「は、はぁ?」

(いや待て。これは俺の夢なのかもしれない。よし。寝よう)

俺はすぐさま布団を被った。

「ちょっとー!何、寝ようとしてるのよ〜!」

ガツンっ!と俺をブーツで蹴った。

痛い…

(ん?痛いって事は…夢じゃ無い?)

布団を脱いで、しっかり電気をつけて彼女を見る。

彼女の猫のような可愛らしい顔が俺を見下していた。

「あ、う、そ、その…」

「アンタ、本気で雑魚コミ障なのね」

「あ、う、あうぅ…」

物怖じして顔を背けると、俺の耳元に『地雷さん』は囁いた。

「ざぁーこ、ざぁーこ。陰キャのざぁーこ。社会的弱者に生きる価値があると思ってんの?こんな所でうじうじしてて、ひきこもってて、ダッサ〜♡働けばいいのに〜♡」

「うるさいなぁ!俺だってこんな風になりたくなかったよ!」

「そう言って、全部から逃げてるからざこなの。分かる?」

「うるせぇうるせぇ!」

ほとんど癇癪だった。その癇癪に地雷さんは甘ったるい優しい声で返す。

「悔しくないの?変わらないと思わないの?」

「そ、それは…思うけど…でも、俺なんかに…」

「んもぉ〜!この『地雷さん』に話してごらーん?あ、そうだ!貴方の初恋の人にでも会いに行きましょうよ!」

「嫌だ。どうせ無理だ。やる気が出ない。正直、喋るのも疲れた。帰って」

俺は、病院から貰っている薬を手に取って、二錠出して、先程コンビニで買ってきた、アルコール九パーセント程のサワーで流し込んだ。

地雷さんは、捨てた薬の殻を手に取って錠剤が入っていなゴミに書いてある文字をまじまじ見る。

「るらしどん……らもとりぎん…。ねぇ、アンタ、今何で飲み込んだ?」

「…」

俺は布団の中に体を滑らせようと毛布をめくった時、後ろからパーカーを掴んでゴミ箱に顔を向けられ、口に白魚のような指が入ってくると、舌の奥、喉奥の方を押され、嗚咽と共についさっき飲んだ薬をゴミ箱に吐き出した。

「おぇぇぇぇええ!ゴホッゴホッ!」

「ばっかじゃないの!こんなアホみたいな自傷してんじゃないわよ!ほら!もっちゃんと吐き出して!」

「おぇぇぇぇっ!」

背中を散々バンバン叩かれて、胃液が出るまで吐いた。

しばらく吐いてから、地雷さんに世話を焼かれた。


次の日の朝。


まだ日は上がっていない時に目を覚ました。

「んあ……?あれ?俺……何して…」

「あ!やっと起きたぁ〜!もぅ!心配……いきなり倒れるなんて、やっぱり体が雑魚なのよ。ざぁこ!」

「ご、ごめん…」

子猫のような顔を近づけて、頭に手を構え、バチン!!!という、派手な音がした。

「いっっっったぁ!」

「ふん!私の前で自殺まがいのことをしようとするなんて、生意気なのよ。アンタは!………体は、平気?」

最後に付け加えるように声を小さくして聞いてきた。

「あ、はい…すみません…」

「そう。よかった…。あ!そうそう!私、貴方を吐かせたから、袖が汚れちゃったのよね〜!だ・か・ら♡私の服、買いに行くわよ!」

「あ……えっ……お、おれ…その……」

「そこのコミ障雑魚。言いたいことがあるなら、はっきり言いなさい!」

「そ、外出たくないなぁ……なんて………ふぶっ!」

地雷さんは俺が寝ているベッドの上に乗って黒い靴下の足を、俺の顔に乗せて来る。

「は?私の服を汚した代償でしょ?お金出させないだけ感謝しなさいよ」

「ふぁい、ふみまへん(はい、すみません)」

ニーハイ越しに伝わる小さな足の感触。指の一本一本が小さくて、足全体がやわっこい。汗の匂いの中にほのかに甘い香りが混ざっていた。

「何?コーフンしてる?きゃはっ♡女の子に顔面踏まれて喜ぶなんて、本当に変態♡死んだ方がマシなんじゃない?んふふ♡」

楽しそうに、声をキャッキャと鳴らして笑う地雷さん。普通の女なら、最高に願い下げだが、彼女の甘い雰囲気と可愛らしい容貌。どれだけ傲慢に振舞っても、今まで許されて来たからこんな振る舞いなんだろう。

(俺にそんな趣味は無いはず……が、彼女が可愛いからいっかー!!)

「何、満更でも無い顔してんのよ。変態」

真顔でガチトーンで言われた。

「すみません…」

「んじゃ、ご飯作るから、机の上片付けて」

「え?」

地雷さんは何処からか出したフリルが沢山着いたハートのエプロンを付けている。

「ほら、何してるの早く。まさか、そんなことも出来ない雑魚?そこまで来たら死んだ方がマシなんじゃなーい?ほら、早く物どかすだけで良いから!」

「は、はい!」

俺が片付けをしている間、ほとんど使っていなかったキッチンから、料理の音が聞こえる。

正直、料理の音を聞いたのが数年ぶりで……語彙力が無くて申し訳ないが、懐かしい気持ちと、憧れの気持ちが込み上げて、少し泣きそうになった。

もう、何年親と会話してないんだろう…。

まぁ、話す事なんて無いけど。

そばにいもいて欲しくないけど…

まいっか!考えてもしょうがないし!

「ちょっと!片付け終わったの?!」

「お、終わりましたぁ!」

「よし!じゃあ、そっちに持ってくから拭いて。はい」

そう言って濡れたタオルを投げられた。

「は、はい!喜んで!」

俺はテーブルを拭いて、その上にジャバジャバなお粥が置かれた。それと一緒に色々なおかずを置かれた。

「はい、どうぞ」

「おぉ……美味しそう…」

「エッヘン!私、料理得意なの!」

と、小さな膨らみの胸を張る。

「い、頂きます…」

「どうぞ!」

俺は、目の前に並べられたご飯に箸をつける。

ほうれん草のおひたし。きんぴらごぼう。だし巻き玉子。生野菜のサラダ。油揚げのお味噌汁。

どれも、料理が嫌いな母からは出てこない料理でびっくりした。

口に運べば、全て美味しかった。感じた事が無いほどの出しの味、全部、暖かくて、香ばしくい。

「おしいしい…」

初めての味に目頭が熱くなってしまう。

(そっか……これが手作りってやつなんだ…初めて食べるな…)

「そういえば、なんであの人。殺そうとしたの?」

「その…昔にいじめられて…。自分のいじめられっ子が幸せになってるの見ると、ムカつくっていうか…」

「一周まわって無関心って感じじゃないのね」

地雷さんはほうれん草のおひたしを口に運ぶ。

「いや、そうでしたよ…ただ、躁鬱で病んだ時に見ちゃってしんどくなって…本当に来るなんて思って無くて…ただ、愚痴のつもりだったんです」

俺はお味噌汁をすすって地雷さんに言う。

「というか、聞いてくださいよ!俺の人生散々なんですよ。両親が変な宗教にハマって、絶食とか、悪霊が着いてるとかで、散々な目にあって、中学に上がる時に、全寮制の中高一貫校に入れられてようやくクソみたいな家から出られると思ったら、そこでこってりいじめられて!しかも家が家だからどうにもできなくて!くっっっそみたいな学校終わって、就職したらブラック企業!それでも生きる為だから、と思って、頑張ってたら、俺が発狂して、仕事クビになって、精神病院に入れられて!でも、生活保護のお金が少しカットされるから出てけされて、薬と酒でどうにか生きてんの!なんでこんなクソなのかなぁ!俺の人生!うおぉぉぉぉおお!」

地雷さんは、喚く俺の事を一切気にせず、お味噌汁をすすっている。

「そうね。可哀想だわ。哀れ」

「そうだよな!俺って可哀想だよな!」

「でも、だったら恨みの矛先は両親に行くのではなくて?」

地雷さんの冷静な声に、俺の動きは止まった。

「……死んでんだよ。教祖様のご命令で自殺した。殺してやりたくとも、殺せないんだよ…」

「なるほど」

地雷さんは箸を止めることは無かった。俺も、馬鹿みたいな自分に呆れて、少し冷めた食事に手をつけた。

(あぁ………ホント、俺って失うもんないな)

何か、大切な物を持てば、俺の人生は変わっていたのかもれない。そう思うけど、それはアニメの見すぎ何だろうな……。


………


俺は新宿マルイ、アネックス店の七階に来ていた。

「わー!かわいい!」

「良くお似合いですぅ!」

地雷さんの甲高い声と共に、店員のお世辞が飛び交っている。

このフロアは、ロリータ系の服を売っている店が凝縮?されているフロアだ。

目を動かせば、ゴスロリ、甘ロリ、姫ロリ、クラロリ、ミリロリ、華ロリ、和ロリ…と、ドレスと小物、靴や写真館間である。

と、の事。全部地雷さんの言っていたことを復唱する形になったが、正直、何も分からなかった。

自分があんまりにも、場違いというか、俺にとって異世界すぎてむしろ感心してしまう。

「せいや!ちょっと来てー」

「あ、うん……」

おずおず地雷さんに近づくと、何やらベルトの塊をもって俺に差し出してくる。

「どっちがいいと思う?」

何が違うんだ?いや、何に使うんだ?

「えっと……」

「あ、包んでた……はいっ!コッチとコッチ、どっちがいい?」

両手にあるベルトの塊を広げて、紐になった。

(何これ?)

「えっと……何?これ?」

「え?サスペンダーだけど?肋骨サスペンダー!可愛いでしょ?」

そう言われても、何にも分からない…色も同じだし。

「えっと……失礼ながらお聞きします…何が違うのでしょうか?」

「え?生地だけど?」

(分かるかっ!!!)

「ど、どっちでもいい…」

「ダメよ!ちゃんと決めてー!」

(もう、適当でいいや…)

「…じゃ、左で」

「ふむ!まぁ、いい目利きね!合格!」

「あぁ。そう?」

分からなすぎて、頭に疑問符しか浮かばない。

(家に帰りたい…。女子の買い物とかマジでわかんない…)

キャッキャ楽しそうにドレスを選んでいる地雷さんを無視して、俺はエスカレーターで八階に向かう。ポケットの中にある折りたたみナイフを撫でる。

俺にあの空間は辛い。そもそもロリータ服が並んでいる時点で、結構居ずらいのに…あぁやって、店員との話にのめり込まれると、ぼっちになる。

「はぁ…」

(何で、この世に3が存在するんだろう。だってそうじゃん?三つ入りのお土産は、キリが悪いと思うし。兄弟の喧嘩は、必ず最後の一個で喧嘩になる。三人組で二人が楽しく喋っていたら、一人は溢れて、ギスギスする。二人で三つは分けられない。半分この様な甘っちょろい考えは捨てて欲しい。というか、半分にしたら、それは四つだ。量を減らして一を二にするなんて、ズルだ。お祝儀の三万を一万五千円にして、割れる数だと言うぐらい見苦しい。

大体、3のきりの悪さを考えれば、死を連想する4は二つに割れるのだから、寂しくないのだ。そっちの方がいい。人間関係に置いて、3では無く、3は、2、あまり1なのだから…………)

後ろからぶつかられて、相手が持っていたコーヒーが俺にかかる。

「チッ……どこ見て歩いてんだ」

低い唸る声で言われ、顔も見れず頭を下げる。

「あ、す、すみません」

「あぁ?謝った程度で許されると思ってんの?」

「す、す、す、すいません!すいません!」

「『つまんねぇ』奴だな。おい、もう飲めねぇじゃねぇかよ」

(アレ?この声……)

フラッシュバックする様に姿が頭によぎる。

頭にコーヒーをかけられながら、頭を上げると、目の前に居たのは、女性を連れた同い年ぐらいの男だった。

俺はこの男を、よく知っている。

頭の中で何度も殺した男だ。俺を、何度も『殺した』奴だ。

俺を、いじめていた、結婚した主犯。

「おい、すみませんしか言えないのかよ…チッイラつくなぁ」

俺とぶつかる前に何かあったのか、この男は酷くイラついていた。

(何で、何でこいつこんなことしてるんだ?マシな人間になったんじゃないのか?何で、あの女は、こんなクズを愛してるんだ?なんで?なんで?)

男の顔が、体が、姿が黒く塗りつぶされたように見えなくなる。

俺の事なんて、コイツは覚えていない。今、顔をみたって、分からないのだろう。

「待って……待てよ…」

俺に背を向けて、立ち去る背中の腕を掴む。

「んあ?何だよ。離せ」

「お前っ!今、幸せか?」

手が震える。これが恐怖からなのか、武者震いなのか、あるいは他の何かなのか、分からない。だけど、今、俺のここは心底掻き乱されて、ぐちゃぐちゃになってる。世界が、視界が、希望が、色々なものがっ!ぐちゃぐちゃで、現実が理想と妄想と夢を壊していく感覚に吐きそうになる。

「あ?んだよ。宗教勧誘なら間に合ってるっての。『神なんて、居ねぇんだから』」

あぁ。

あぁ、あぁ!ああああああああああああ!

そうだよな!お前に、神は必要無いもんな!お前の…その台詞は!その言葉は!俺が言うのと、意味が違うんだよ!底辺と、恵まれた人間とじゃ、その言葉の意味が違うっ!違う!違う違う違う!!!

「あぁ、お前は負け組ってやつ?もしかして、俺に嫉妬?そうだよなぁ。見るからに負け組でブサイクで誰にも相手をされないからって、俺に当たるなよ〜……可哀想な奴」

そう吐き捨てると、そのまま俺を突き放して、男はまた俺に背を向けた。

「……」

ポケットからいつの間にか出ていたのか、折りたたみナイフが俺の手元に落ちていた。


『コイツに生きる価値なんてあるのか?』


『おいおい、頑張ってくれよぉ……まだ、五発目だろ?お前が頑張ってくれないと、賭けに負けたちまうだろっ!』


手に取った、折りたたみナイフの刃を出す。何故か手の震えは簡単に止まった。


─殺しちゃえ─


誰かが俺に囁いた。地雷さんの声の様な気もしたけど、きっと気の所為だ。


─全部、壊しちゃえ─


それでも、きっと、この言葉は、あの声は、甘美で堪らない。

「おい。糠星」

男の名前を呼んだ。今となっては旧姓の苗字を呼んだ。

「あ……ぐぁ!!」

俺の握ったナイフは、服と共に簡単に糠星の背中の肉を切り裂いた。思いのほか、あっさりと切れた肉。

アニメや漫画のように、ナイフで切っただけでは血は飛び散らなかった。

激痛に悶えて、その場に座り込む糠星は、あまりに無防備で…右肩肩甲骨に狙いを定めて、またナイフを振り下ろした。

薄い皮を刺してから、グッと、固いものに止まった。骨だ。骨を彫るようにナイフを斜め下に下ろした。

顔に着くほど血は飛び出ない。腕に着くほど血は出ない。

「あは、あは、あははははははははは!」

俺にとってスローな世界は、他には早く、速やからしい。

血が出る前に、離れ、走る。

走る。

走る。

走る。

気がつけてば、どこかの階のトイレに居た。

洗面台に、地雷さんが作ってくれた食事を吐き出す。

胃の中が空っぽになって、胃液しか出ないぐらい吐き出して、口の中の気持ち悪い酸味が喉から食道にへばり着いて、より気持ち悪い。

色々は不安に泣きそうになる。今、吐いている嗚咽が炊いているからなのか、自分の笑い声なのか分からない。

けれど、不思議と手が震えない。それなのに呼吸は荒くて、口からは、笑い声が出ている。

何もやる気が出ない時の苦しい感情が押し寄せてるのに、絶望に潰されて吐きそうな気持ちが消えている。虚無的な虚しさを笑えるのだ。

笑っているんだ。俺は。

「あは……あはは…あはははははっ!」

楽しいなぁ…コレが、笑う《・・》って事か……

楽しくて堪らない。

病みつきになってしまう。

あぁ、麻薬だ…コレは。

アイツらが辞められなかったのがよく分かる。

いじめ、貶し、傷つける。

楽しくて堪らない。

俺は耐えた。散々そちら側をやってやった。

なら、俺がそちら側へ行くのを許されるだろう。

そうだ。俺は許される。

もういいだろう。いいだろう…なぁ…

許されてくれよ…

不公平だろう…不平等だろう…

大きく深呼吸をして、冷静になる。蛇口をもう開けられないほど捻って、勢いよく水を出してトイレを出て行った。

今の榊原を止める事は誰にも出来ない。

これから、どんな最悪な凶悪な事件を起こそうとも、誰にも止められない。

コップに溢れそうな水が…器を壊して、溢れ出した。

木っ端微塵に、もう元には戻らなくなるまで、壊れてしまっただけだ。

もう、ここまで来たら獣だ。

凶悪な獣と成った。成り果ててしまった。堕ちてしまった。

榊原は、パニックになっている店から出て行くと、駅に向かった。

頭は今まで以上に冷静で、感情の浮き沈みすら無かった。

適当な電車に乗った。本当に適当な電車だった。

一駅、二駅、三駅と、駅を跨ぎ、走る電車。人が少しづつ少なくなったり、また満員になったりを繰り返す中、榊原は爪を噛んでいた。

電車の中心から押されて、黒髪の人形の様な可愛らしい少女が眠っていた。その隣には、チャラそうな男が居て、その男の肩に寄りかかる様に眠っていた。男はスマホで、誰かとチャットをしていた。

不意に、少女の膝に男の視線が行くと、申し訳なさそうに少女の膝を閉じた。

セーラー服ともブレザーとも言えそうな少女の制服は、名門校のものであった。

榊原は爪をバリッと、噛み砕いた。指から血が滲む。

「はぁ…はぅ……はぁ…はぁ…あっ…はぁ……」

無防備に寝ている少女の体を切り刻みたいと思った。

美しい少女の体に一生残る傷をつけてやりたいと思った。

ポケットの中のナイフを掴む。

彼女を切りつけようとナイフを振り上げた時、全ての時間が止まった。

「殺しちゃうの?」

幻聴じゃない、地雷さんの声がした。

「…」

満員だった電車には、目の前の寝ている少女と自分、後ろに居る地雷さんしか居ない。それなのに、電車は動いている。

「殺しちゃうの?」

地雷さんは同じ事を俺に聞いた。その声は、いつもの煽るような声ではなく、馬鹿にしているような声では無い。冷たく、冷静に言う。

「もう、十分我慢した。彼女を殺す理由が一つも無い。それでも、俺は殺す。誰でもいい。誰でもいいから殺したい」

誰でもいいんだ。

傷つけるのは。

傷ついて、苦しんで、俺を憎んで、世界の理不尽さを知って、分かって欲しい。

身勝手を押し付けられて、止まらなくちゃいけない憎しみに、耐えられない気持ちを分かって欲しい。

自分の気持ちが分かって欲しい。

それで、壊れた俺を知って欲しい。

傷つけるぐらいしか、もう、俺に出来る事は無い。

それだけが、俺の意趣返し。

「いっぱい殺して、いっぱい苦しめれば、きっと死刑になる。それで良い。それが良い。死刑になる為に殺すんだ。最悪で最高の終わり方だろ?」

「そう………残念」地雷さんの言葉の後に、振り上げたナイフを少女に向かって下ろす。

「かハッ……」

ナイフが少女に当たる前に床に落ち、甲高い音を鳴らす。

心臓の部分から、大きな黒い鋭い刃が飛び出ていた。

後ろに刃が抜け、そのまま引かれるように体が後ろに倒れる。

仰向けに見る電車の景色は、新鮮だった。

(電車の広告を見たのなんて、何年ぶりだろう…)

息がしずらいのに、痛くない。痛くないけど…少し熱い。

「貴方、頑張ったのね」

地雷さんの顔は優しくて、慈愛のある顔だった。声も、すごく優しかった。地雷さんの手には、地雷さん程の大きな黒い鎌が握られていた。その黒い鎌は、炎を纏って揺らめいていた。

(あぁ…そうっか…地雷さんは…)

俺の目から一筋の涙が落ちた。

「死に……神…だったんだ…居たんだ……神様…」

地雷さんは俺の枕元に膝を落とすと、優しく頭を撫でた。

(ずっと…こんな風に優しく撫でて欲しかった。褒めて欲しかったんだ……俺の事)

「今まで、私が殺した人間の中で、一番優しい子。その優しさに免じて、苦しむこと無く………死ね」

「助けてくれたんだ……神様が……暖かい…………な」

ゆっくりと目を閉じて、二度と明けない暗闇に身を預けた。


………


新宿の高層ビルの一つ。誰も入らない屋上に髪をなびかせる少女が居た。

彼女は三つ編みをしないドーナツヘアーに長い髪を垂らして、厚底ブーツに少しくくすんだ薄ピンクのフリルが沢山着いている、肩出しワイシャツ。黒いフリルが着いた短いスカートのベルトとして、チェーンベルトをしている。網タイツに太ももを軽く締め付けて居るのはガーターベルトだった。この服装は近年、地雷服と呼ばれる服装だった。一部の女性に人気の軽装ロリータ服の一種である。

彼女は、新しく買った服の紙袋を横に置いて、足を投げ出して座っていた。

そこからは、新宿のどの建物も小さく見えて、雑踏すら見えない。ジオラマの方がよく見えるぐらいだ。

「落ち込む事があるんだな。『他殺屋』」

誰も居ないはずの無い屋上で後ろから話しかけられた。『他殺屋』と、呼ばれた少女は後ろから話しかけてきた自殺屋を眉間に皺を寄せて振り返った。

「その呼び方は辞めて。『地雷さん』って呼びなさいよ。自殺屋」

後ろには自殺屋が居た。パーマをかけたマッシュヘアーにフリルという概念がない黒いタートルネックの縦線セーターに、黒いジーパン。優しい顔立ちの好青年。少女で可愛らしい他殺屋とは真逆の対極の様に見えるが、二人の雰囲気はどこか似ている。

「ぜぇ〜ったい、嫌だ」

「チッ……死ね!心から死ね!」

「フッ、いつもの煽り口調の猫なで声派どうしたよ?頑張ってキャラ作ってる割にはブレブレだよな?『他殺屋』」

「うっさいわね!アンタだって、後付けキャラの癖に!あーあ〜!昔の冷静沈着、感情皆無のアンタの方がずぅぅぅぅっと、好きだったわ〜」

「ガキに好きとか言われると、気持ち悪いな」

「ふっっっっざけんな!ぶち殺すぞ!あ゙ぁ゙!」

自殺屋は、他殺屋の隣に立った。

「おっと、別に僕は喧嘩をしに来たんじゃないんだった」

「喧嘩売ってきたのあんたでしょ!」

「そうですね。僕はお礼を言いに来たんですよ。他殺屋」

「あ?お礼?」

「さっき、君が助けた少女、僕の知り合い何ですよ。少女からもお礼の言付けをもらいました。それを伝えに」

「あぁ…そう……」

「浮かない顔ですね〜。そんなに惜しかったなさなきゃ良かったのに。難儀なもんですね〜他殺屋は」

「うるさい…役目放棄してる自殺屋に言われたくない………。

あの子は……優しかった。

頭が良かったのよ。人の痛みを考えられる子だった。今まで殺してきた人間より、頭が良かったのよ。他の子はみんな同情なんて、できる様な人間じゃなかった。考えれば考える程、苛立ちと胸糞の悪さが増える。みんな、頭が悪かったのよ。でも、あの子は地頭が良かった。同情しちゃったのよ…」

「説き伏せれば良いじゃないですか?」

「ダメよ。あぁなったら、獣だもの。殺さなくちゃ。自殺屋、あんたにはわかんないでしょうけどね、『死刑になる為に他殺をする奴がいる』のよ。だから、殺す前に殺すの」

そう言うと、他殺屋は、ブランコから飛び降りるように紙袋をもって高層ビルから落ちて言った。

一人残された自殺屋は大きくため息をつく。

「何、許せないみたいに言ってるんだよ。彼を助長したのは、紛れもないお前だろうが。他殺屋」


ほんと、悪趣味なガキ。



榊原静也、他殺『成功』

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