糠星蓮 「下」
少しだけ、昔の話をしよう。
私が、「糠星」蓮になった直後の話だ。
まだ私が、眼鏡で三つ編みの髪型にしていた頃の事。
何も生まれた時から全てが嫌いなんてことは無かった。
まぁ、その傾向はあった。
私の家族は、私を透明人間として育てた。
小学生の頃に母と再婚した男と連れ子は、時代にそぐわない程、男尊女卑の思考を持っていた。だからか、再婚した男は、『自分の息子より優秀な私』が気に食わなかったんだと思う。
中学に入った時に父親と母親に言われた。
「私達は、もう、貴方の面倒を見ない」
「……え?」
「お前が大学を卒業するまでの、お金と家と食事は面倒を見る。だが、私達はお前の事をいない物して扱う。喋りかけても、何かしても私達は何も反応しない。コレは、決まりであり命令だ」
「…そうですか。ほんと……クソッタレがよ」
まぁ、コレは虐待なのか…と言われたらきっとグレーゾーンだと思う。いい家庭では無いが、児相だ何だと騒ぐ程じゃない。
でも、家でこんなんだと、私の居場所は自動的に学校になったのは容易く想像できたと思う。
というか、学生という身分で、見れる世界なんてそれぐらいしか無い。
小っ恥ずかしい話、この時の私は恋をしてきて、心の支えがあった。
「糠星…大丈夫か?」
と、そう言って声をかけてくれたのは、担任の先生だった。
これが私の初恋。今の私からしたら、心底黒歴史なんだけど…
「何、色目使ってんだよ!」
「きめーんだよ!」
だいぶ人気な先生だったらしく。こんな感じに先生と一緒にいるだけで、多方面の女子から嫌がらせを受けた。
女子だけだったらまだ、悪口と物の破損位で済んでいたが、何故か男子も参入して、暴力という力技が入って来て、散々な事になった。
それでも、何とか耐えられたんだ。
存外、恋心と言うやつは強いらしい。
まさに、『蜘蛛の糸』だった。
あの話では、『蜘蛛の糸を独り占め』しようとしたらバットエンドになった。
だから、私はそうしなかった。先生を一人で独占なんてしない。先生は、みんなの先生なのだ。
生徒が教師に恋をするというのは珍しくない。当たり前に、叶うはずもなく、私は失恋した。
それは良かった。そこまでは、まだ、きっと、『蜘蛛の糸』だったんだ。
けれど、糸の切れ方は残酷で、繋ぎ止める暇なく私を地獄で落としたのだ。
最悪な方法で、最低な現実で…。
学校が無い日に、先生が、恋人と歩いているのを目撃してしまった。
その相手が真逆の自分の母親。
色目を使う母の後ろ姿に吐きそうになるほど嫌悪したし、そんな母と浮気と知っていなが、手を繋いでいる先生が心底、気持ち悪かった。
多分、その時、心底色々なものに諦めがついたんだと思う。
絶望しすぎて、笑うというのも、初めて体験した。
気力が、頑張る理由が、生きる理由が、簡単に消えてしまった。
これぐらいだ。この程度の過去しか無い。
私が中学から高校へ上がると同時に、母親は蒸発した。きっと、先生と幸せに暮らしているんだろう。
私一人を地獄に落として、私を梯子にして、糸を奪い取った。
家族という名の他人との問題は、今は、解決しない。
何一つ。
解決していない。
『─────、─────』
本当、あの人はなんて言ったんだっけ…。思い出したいのに…何にも…思い出せない…。
ただ、その言葉で、私は三つ編みを切り落とした。
……
ドカッ!と、言う衝撃と激痛で私は目が覚める。
「いって……」
リビングの隅に布団を敷いて寝ている私を義理の兄が蹴ったらしい。くびれの当たりが地味に痛い。
「な、何してるんですか!」
私を見下す兄に、怒鳴る一声があった。
そしてその声は、昨日初めて聞いた声であり、昨日よりも少しだけ生き生きしていた。
「あ?」
兄の鋭い双眼に、彼女は…柳澤千春は怯えながらも睨みつけていた。そして、その隣には戸塚深冬がものすごい剣幕で睨みつけていた。
「あ、あ、そ、そ、それは!虐待です!無視も!呼んで反応しなかったら蹴るのも、虐待です!残忍です!」
怯えながらも怒るのは、柳澤千春だった。
「うちの事情に女が口出さないで頂けます?」
「い、嫌です!あ、あ、貴方がやっている事は、酷いことです!私が、言い切ります!酷い人!この家は、ゆ、歪んでます!そ、それに!今は男女平等!女が……男が……なんて、時代遅れです!」
相当勇気を出したのだろう。彼女の体は震えながら泣いていた。
どうして二人が私の家に居るのか、なんでこうなっているのかは分からないが、とりあえず、まずい状況なのは分かる。
当たり前だが、二人は私の家庭環境を知らない。
「ちょ、落ちつい……」
「蓮は黙ってて」
ピシャリとあびせられた戸塚の声に私は口を噤んだ。
「普通の家庭とは思って無かったけど…お兄さん、今のは暴力です。そして、それを黙認して何もしていないお父さん、お母さん。あなた方も共犯ですよ」
父が戸塚の言葉に青筋を立てた。
「あ?お前、人様の家に上がり込んでおいて何を言ってるんだ?文句があるなら出て言ってもらおうか?」
「ぇぇ。そうさせて貰います。蓮、荷物まとめて。学校行くついでに身支度」
「え?えぇ?」
「早く」
「え?う、うん…?」
よく分からないまま、私は言われるままに身支度をした。
「お父さん、お母さん、そしてお兄さん。さきに言って起きますが、私の両親は児童相談所の職員です。この意味、分かりますか?」
「は、はぁ?な、何を言っているんだ君は」
(あぁ〜?だから世界平和とか言ってたんか…親の影響か)
「蓮!準備できた?!」
「え、うん?」
「じゃ、逃げるよ〜!」
「は?はぁ!」
私を含めた三人はさながら警察に見つかった泥棒の様に走って逃げていくのだった。
「はぁ…疲れた」
ホームルーム直前で学校の中に滑り込みしたせいで、少し学校内でも騒ぎになった。
当たり前か。無遅刻無欠席のクラス委員が遅刻ギリギリに私と不登校少女を連れてきたんだから。
柳澤は割と簡単にクラスに馴染めている。
昼休み、柳澤は私達以外のグループと一緒に食事をするらしい。
私と戸塚は教室の窓際でお昼を食べていた。
「ああ見ると、私達の助けなんて、本当はいらなかったのかもね」
「そんな事ないんじゃん?アンタが、見捨てずに家に行ったからだし、一緒に登校してくれるだけで、結構足は進むもんよ」
「そう?なら良かった」
「んで、朝の張ったりはどこまでがほんと?」
「朝の?」
「両親が児童相談所職員って話。まぁ、大した証拠も無いのに動いてくれるとは思えないけど」
「いやいや。流石に蹴り飛ばした映像があれば、動くよ。両親は違うけど、親戚周りにはそういう人達多いから。現に、私の両親は警察官。おじさんが職員さん」
「親族のほとんど公務員って…凄いな……」
「えへー。私も、似たようなの目指してるよ!」
「世界平和?」
「うん。医者。国境なき医師団!」
「おぉ……頑張れ…」
「うん!だから、私の正義感でやった事だから」
「ん?私を気遣ってる?良いよ。そんな事しなくて。私はあの人達になんの思い入れもないから。あ、恨みはあるわ」
「そう。なら良かった」
「こっちこそ、しばらくそっちの家に泊めてもらうでいい?」
「いいよぉ」
「どうも」
「そういえば、『自殺屋』さんの話、覚える?」
「んあ?あぁ…そんな事言ってたね」
「柳澤さん、電話したんだって。その電話番号に」
「ふーん」
「出なかったんだって…」
「私もかけたの」
「ん?うん?」
「出なかった…て事で糠星さんかけて!」
「なんでさ!!!!諦めなさいよ!!!」
「最後!最後の最後の正直!三度目の正直って言うじゃん!」
「なんでそんなに繋がりたいんだよ!死にたいの?」
「違うよ!オカルトが大好きだからだよ!」
「もっとダメな理由!!」
「一生のお願い!」
「こんなに一生使うな!!!!!」
私は呆れながらため息をついた。スマホを取り出して、電話ダイヤルを出す。
「で、番号は?」
「やってくれんの!ありがと〜!」
「今回だけね」
(恩作ったばっかりだし…これぐらいなら…)
「電話番号は『090ー444444ー83』だよ!」
「ふーん。絶対に存在しない電話番号ね。そもそも全部打てなくない?」
「ダイヤルだけなら出来るよ〜」
プルルルル……プルルルル……
「ほんとだ」
「え……?」
「ん?」
表情が固まった、戸塚に私が首を傾げていると、柳澤が私達に話しかけてきた。
「あの!二人とも!」
「「ん?」」
「わ、私……頑張りましたか?」
「「?」」
突然の事に首を傾げて、頷いてしまう。
「そっか……なら良かった!一生分!頑張りました!」
柳澤は私達の間を駆け抜けると、窓枠に乗り込んだ。そして、そのまま四階の窓から飛び出した。
「っ!」
「はっ!蓮っ!馬鹿っ!」
戸塚の怒号の様な叫びに、私は自分の行動を自覚した。
(あれ?なんで私…落ちるだ?)
体の浮遊感と、視界がスローモーションになって、思考が早くなる。目の前の驚いた顔に私は納得した。
(そっか、私、柳澤を引き戻す代わりに、私が落ちかけてるんだ)
窓から飛び出した柳澤の腕を掴んで、引き戻した。
大分外に投げ出された柳澤と入れ違うように私がこの空の中に居る。
(いや……マジかよ)
確かにさ、確かにさ、クソみたいな人生だなって思って生きてきたよ?
でも、戸塚とも理解し合って、あのクソみたいな家から出れる希望が出来たって、そう思ったのに…。
なんだって、なんだってこんな…こんな……
(ホント、この世界の神様は、バットエンドが好きだよな)
上げてから、叩き落としやがって……
(はぁ、柳澤もさ、『一生分の頑張り』ってそういうことかよ…勝手に心残り無くして、終わらそうとしすんなよ…助けちゃうじゃん…アイツは、家族に愛されてんだから…きっと、まだ……やり直せると思うんだ……)
私は目を閉じる。
死ぬなら、悪あがきなんてしたくない。潔く。そんな死に様で……。
(あぁ、でも……思い出したかったな……あの人の言葉)
傷だらけで、壊れてたけど…すっごく綺麗だったんだ。
黄色いカーディガンの人。
すごく綺麗で、強くて、笑顔が綺麗な人だったんだ。
あんなに傷だらけで、包帯だらけで、半部ぐらいしか顔が見えなかったけど……すごく綺麗な笑顔の人だった。
『────、────』
あんな風に、私も強くなりたかった。
成れたかなぁ…
近づけたかなぁ…
近づけたらいいなぁ…
嗚呼、そっか。私は、あの人に苛立ってたんじゃなくて、憧れてたんだ。
「『ふざけんな、こんな程度で諦めるなんて許さない』」
「っ!」
走馬灯の言葉と耳に届いた言葉が重なって、目を開く。
体は浮いている。けれど、視界はスローモーションという訳でも、思考が早くなっている訳でもない。普通だ。手首にゴツゴツした男性の手の感触がある。体はゆっくりと挙げられて、窓枠の中に戻され、ゆっくりと降ろされた。
その直後、戸塚が私に抱きついて大泣きする。
「ぶぁぁぁぁ!良かった!!ぁぁぁぁぁあ!」
「ごめんなさいっ!ごめんなさいっ!私、そんなつもりじゃ…っ」
柳澤は私の制服の袖をぎゅっと掴んで、泣いている。
この状況にぽかんとしていると、大袈裟なため息混じり好青年が喋る。
「全く〜!困りますよ!もう少し早く連絡してくださいよ!状況がわかんないまま落下とか、結構きついんですよ?分かってます?」
と、張り詰めきった空気にはそぐわない子供のような言葉遣いに、気が緩みそうな甘い青年の優しい声。その声の方を見れば、パーマをかけたマッシュの黒髪に縦線の黒セーター。白いパンツ。ブロンズ眼鏡に整った顔立ち。いわゆる好青年が、黒い霧に包まれた大鎌を持って、私の方を見ていた。
「ちょっと〜!聞いてます?ねぇ〜!」
好青年らしからぬ口調に少しだけ動揺した。
「まぁいいや」
黒い霧に包まれた大鎌は火が消えるように見えなくなった。
「あ、貴方は?」
戸塚が目を輝かせて聞く。
「え?僕?『自殺屋』です」
「きゃ〜〜〜〜〜〜!ほ、本物!サイン下さい!」
「良いですよォ」
と、『自殺屋』は、差し出されたノートとペンにサインをしている。
(軽いなコイツ…)
内心私は呆れながらも立ち上がる。
「糠星さん、一応聞きますけど、僕、要ります?」
「要らない…」
「それは良かった。一応言いますけど、あなたがかけた電話番号は、死にたいと本気でで思った人間にしか繋がりません」
「そう…」
「念の為に聞きますね。大丈夫ですか?」
「うん。平気。さっきは諦めたけど…」
と、私は力なく笑ってしまう。
「そうですね。まぁ、困ったらいつでも電話ください。多分、貴方ならいつでも繋がると思いますよ」
と、名刺を渡された。『自殺屋』と明朝体でデカデカ書かれた裏に、電話番号をサラサラと書いて私に渡して来る。
「どうも。ねぇ、聞いていい?」
「はい。どうぞ?」
「どうして柳澤の電話は出なかったの?」
「電話をかけた時に、死ぬ覚悟が出来ていなかった。この学校に来た時点で僕にかければ、出ましたよ?覚悟が決まっていましたから」
「なるほどね…タイミングか…」
「本来、貴方がイレギュラーというか…狂気の沙汰ではありますからね」
その自覚はしている。
「そうだね。もう一つ。さっき、私に言った言葉の事なんだけど…」
「あぁ、思い出したがっていたので、少しお節介をさせて頂きました。ご迷惑でした?」
「い、いや…」
「それは良かった。僕も、
「え?」
あの人の…あの少女の事を知っている?
「あの、あの人は今、どうしてます?」
「殺しましたよ?僕が」
「…」
「先程の君にも、『彼女』ならきっとまた同じことを言った。なので、僕からも同じ言葉を送らせて頂きました」
自殺屋の言葉は嘘では無いと思った。あの時の私にも、さっきの私にも、あの人の言葉はきっと正しい。
正しいと言うより、あの言葉に振り向いた時点で、私の負けなのだ。
だから、負けた私のやることはきっと一つだ。
「そうですか。分かりました。今度、あの人のお墓の場所教えて下さい」
「良いですよ。後ほど住所送ります」
自殺屋は私の頭に手を置くと、安心したように笑っている。
「良かった。もう泣いて居ませんね」
そう言って、自殺屋は蜃気楼の様に揺らめいて消えてしまった。
この後先生たちが来て、この騒ぎが問題になって次の日は休校となった。
次の日、私と戸塚、柳澤は自殺屋から教えてもらったお墓に手を合わせていた。
(ありがとうございました。良かった。ちゃんとお礼を言えた)
無縁仏の中にある蜘蛛の巣がかかった位牌を私は拭いて、元の位置に戻す。
「良し、行こうか。ありがとね。付き合ってもらって…」
私がそう言うと、戸塚は明るく私の背中を叩いた。
「良いってことよ!糠星さんの恩人なんでしょ?なら、ちゃんとお礼を言うのは賛成。ちゃんと言えた?」
「うん」
「所で……花ってこの花瓶であってる?」
「合ってる」
戸塚が花を花瓶に刺す後ろ姿を見つめながら、柳澤は言う。
「でも、その恩人さん?の位牌だけ蜘蛛の巣がかかって、あまり手入れされていませんね」
「そうだね……あの人は、きっと、私以上に一人ぼっちだったんだと思う。それでも、私の自殺を止めるぐらい強いひとだった」
(あの人に…私は近づけただろうか…)
私は、戸塚と柳澤を見て言う。
「ねぇ、たまにでいいから、付き合ってくれない?一人じゃ、きっと
上げたお線香の煙が揺らめいて、上がっていく。
「良いですよ」
「もちろん!」
二人の言葉に私は安堵して、私達はその場を去ったのだった。
糠星蓮、自殺『失敗』
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