奥野細谷


別に、死にたい訳じゃない。

だからと言って、生きたい訳でも無い。

ただただ、消えたいだけだ。

この気持ちに理由は無いし、虐められている訳でも、虐待を受けてる訳でもない。

普通の人生で、普通に生きてる。本当に、普通なんだ。それに不満を持った事は一度もない。

なのに、消えたい気持ちだけが心の奥にあった。それを抱えて生きることが辛かった。それけだ。

本当に、ただそれだけ。

それ以外何でもない。

なにはともあれ、大人になったら……二十歳になったら、この感情にも、折り合いが着くと思ってた。

「なのになんでかなぁ…折り合いどころか、よりいっそう深まるとは…さすがに予想外だわ」

東京のど真ん中。ビルの階段を上がる。足が重い。息が上がる。上手く、歩けている自信が無い。

それは、中学の同窓会が終わった深夜だった。

『おー!細谷!元気にしてた?』

あぁ、変わらず元気な振りをしてるよ。悪友。

『ほっちーじゃん!やっほ〜!あ、この後一緒に飲もうよ!うちら成人したし!』

いつも元気で優しいな…幼なじみは。

『細谷、順調か?お前は優等生だったからなぁ、あまり抱え込むなよ。たまには息抜きしていい』

先生、ごめんなさい。もうずっと抱え込んでます。

階段を上がる度に涙が出てくる。

「あぁ、ほんと、自分は恵まれてるなぁ…」

本当、友達に恵まれている。きっと、この酔った状態で家に帰れば、実家に帰れば、母が眠そうに起きてきて、怒るんだろう。

『帰ってくるなら言いなさいよ。ご飯なんにもないわよ?』

そう言って、何かしらパンだの、残り物場所を教えてから寝室に戻って寝るんだろうな。

『来てたのか…朝飯食べていきなさい』

父さんだったら、そう言って食パンとか、自分の分まで焼いてくれるんだろう。

なんでだろうな。なんでだろうな。

なんで、足が重くて、息が上がって、疲れて、嗚咽でうまく声が出ない位ぐらい苦しいのに…、足が止まらないんだろう。

ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。

自分勝手でごめんなさい。幸せなのに。恵まれてるのに、死にたがってごめんなさい。

ご飯があるのに死にたがってごめんなさい。

健康な体があるのに、死にたがってごめんなさい。

愛されてるのに、死にたがってごめんなさい。

健康な心があるのに、死にたがってごめんなさい。

夢があるのに、死にたがってごめんなさい。

友達がいるのに、死にたがってごめんなさい。

親がいるのに、死にたがってごめんなさい。

ごめんなさい。本当にごめんなさい。

生きようと思うのが、下手くそでごめんなさい。

上手く、心が整理出来なくて、ごめんなさい。

最後の階段を上がる。

きっと、見回りすらもあまり来ていないのだろう。

ドアは錆び付いて、鍵すらかかっていなかった。

運命は、自分の死にたい気持ちを圧倒的な物理の力で止めてはくれなかった。

不愉快な音を立てながら重たい鉄扉を開ける。冷たい風が自分の肌にあたって、髪が自分の目と口に入る。

空はうっすらと深い浅葱色になっていた。

もうすぐ、きっと、朝が来るんだ。

光の当たらない自分の景色は、自分自身が影になってよく見えなかった。

深い浅葱色にぼんやりと浮かぶ、柵の影に手をかけて、柵の外に体重をかけて、足を落とした。

小さな段差の上に足を載せる。下から強い風が吹いて、乱暴に髪を乱す。

ポケットからスマホを取り出して、遺書を残すつもりでいつだかに友達がふざけて掛けた「存在しない電話番号」に電話をかけた。

ボイスレコーダーより、見つかりづらいと思ったのだ。遺書は残しても、内容までは知りたくないと思ってしまった。

大分ひねくれているけれど…

「ま、最後ぐらい、素直でいいか」

(遺書なんて無くっても、どうみたって自殺だろ)

自分はスマホを投げて、思いっきり飛び立った。

誰も止めてくれない。親友が叫びながら来てくれる様なフィクションは自分には無い。

視界に空が入る。朝日が上り、世界に光が戻る。

夜が明けた。青い夜から紫の空へ。太陽は優しい光の糸で引かれて、夜を終わらせて行く。


(あぁ、綺麗だな。世界って…綺麗だったんだ)


綺麗な空が歪んで、涙が飛んだ。


「ちょぉおおぉおぉぉぉぉどぉぉ!!」

突然の叫び声にハッとして目を開けた。何故か隣で落ちている、好青年。

「なんで落ちてるんですかァァァァァァァァァァ!!」

黒髪にブロンド形のメガネ。黒い縦線セーターに、白いパンツの好青年が自分の隣で落ちて居た。

「なんで落ちてるんですか?」

思わず聞いてしまった。自分の後ろには誰も居なかったはず…。所か、人の気配なんて無かった…。この人は何処から来たんだ?

「こっちのセリフなんだなぁぁ!なんで落ちてるんですか!普通、もうちょい前に呼びません!?」

「呼ぶ?どちら様?」

「自殺屋です!あ、名刺入ります?最近名刺作りました」

と、好青年は明朝体で『自殺屋』とデカデカ書かれた名刺を差し出された。

「あ、ご丁寧にどうも…すみません、自分…名刺持ってなくて…」

「あ、お気になさらず…どうしたんです?飛び降りる直前に自殺屋を呼ぶなんて、中々レアケースですよ?初めて落ちましたよ」

「いやぁ、昔友達が掛けた時に、通じなかったから…てっきり使われてないのかと…」

「あ〜。なるほど。あの電話番号、本気で死のうとしてる人か、死ぬしか選択がない人が電話をかけないと、通じないんですよ」

「すげぇ〜」

「ま、死神と通じる電話なんで、ある程度の条件が必要なんですよ。よくあるでしょ?メリーさんの電話とか、さとるくんとか……知らなきゃ知らないでいいですけど」

(それぐらいは知ってる。両方とも電話に関する都市伝説の一種だったはず……ホラー漫画で言ってた)

「なんか、すみません…もう助からないのに…呼んじゃって…」

「別にいいですけど…もうちょい早めにかけて貰えたら嬉しいですね…」

「すみません…」

「どうしたんですか?」

「え、なんか、同窓会で感極まって、爆発したみたいな…」

「思春期の男子みたいな理由で自殺するですね」

「あ…まぁ…幸せだったんですけど、なんか、心が軋んでて…それが、二十歳って言う切れ目もあって…」

「成人は十八歳でしょうに…」

「それは!き、気持ちの問題ですぅ!」

「よく居るんですよね。明るいのに物凄いマイナス思考の人。繕いまくって貯めすぎる人。あなたそういうタイプでしょう?ていうか、完璧主義でしょ。一つ欠点が自分に出来ると、全てが嫌になって全部マイナスに見える人だ」

「うっさいわ!」

なんか、所々の言葉がクリティカルヒットしてるっ!

「それで、幸福病だ。自分が幸せだと、勝手に負い目を感じて他人の不幸を憐れむ。って言う」

「ぐはっ!!」心に、物凄く…言葉が刺さった。

「そ、そんな事は…」

(いや、あるな。自分のさっきまでの心情が証明になるのか…)

「あるでしょうに。なきゃ、落ちてないでしょう?細谷くんは相当余裕が無いんですねぇ?」

と、ため息をつきながら自殺屋は自分に言う。

(余裕が無い…まぁ。そうか。いや、当たり前なのか。余裕がある人間が、自殺なんて選ぶわけが無いし。みんな、それぞれの理由で余裕が無いのか)

こうやって紐解かれると、自分がちっぽけでしょうが無い。いや、最初から自分はちっぽけでなんの価値も無いのか。

「余裕もって生きればいいのに〜人生焦ってもなんの意味もないよぉ~?」

自殺屋は呑気に言う。

「無理。それが出来たらこんな事になってない。単純に限界なんだ。もう、自分は生きるのが辛い。消えたくて、堪らないんだよ。今まで、足重くて行動できなかったけどさ…でも、今日はコレたんだ。重い足が、止まらなかったんだよ…行動出来たんだ。やっと死ねるんだよ!やっと!終われるんだ!」

自分の言葉は、幼稚で、褒めて欲しいと言いたげな子供の様だった。

「そうですね。けれど、貴方は『不運』な事に、僕を呼びました。そして、また『不運』な事に僕は貴方を助けてしまいます。『幸運』な、貴方が嫌ならば、『不運な子』に手を伸ばしてみては?存外、生きがいを見つけることができるかもしれませんよ?」

「はぁ?余裕ないって言ってんだよ?何んの面倒なんて…」

「でも、誰かも知らない他人の幸せに目を向けられるんでしょ?」

「…」

「どちらにせよ、『不幸』な貴方は少しはっちゃけてみるのをおすすめします。誰かのせいで破滅して見るのも、一興ですよ?」

「はっ何言ってるんだか…」

(まぁ、良いか。『不幸』な事には変わりは無い。あぁ、やっと終われると思ったのにな。運がいいのか、悪いのか…)

自殺屋は、自分の事を掴んで、大きな鎌を出すと、横のビルに突き立てた。

切り裂かれるはずのビルは無傷のままで、火花を散らしながら落ちるスピードだけが、落ちる。

(どんな仕組み?)

こういうのは、深く考えない方がいいんだと思う。

自分は自殺屋の小脇に抱えられて、地上に着く。

「はい到着。いやー、長ーーい、バンジージャンプでしたね〜。エッフェル塔か、東京スカイツリーぐらいはありましたかね?あれ、どっちが大きい居んでしたっけ?確か、東京タワーが世界一とか言ってたから…」

降りてみると、落ちて上がっていた髪は、パーマをかけたマッシュヘアーだった。ボサボサの髪を整えれば、本当にこれはイケメンというか、人に好かれる顔というか。その辺にいる女性に微笑めば、女性が照れてニヤけるぐらいにはイケメンだった。

「あの」

自分が話しかければ、ブツブツ独り言をやめて自分の方を見る。

「あぁ、すみません!どうしました?」

「あんたは、なんでこんな事してるんですか?」

「はい?」

「いや、なんで自分のこと助けたのかなって…。言ってたじゃないですか。本当に死にたい人間にしかあの電話は通じないなら、アンナはかけられる度にあの電話の場所に行くわけでしょ?その度にこうやって止めてきたんですか?」

「まぁ…?結果的には止めたことにはなっていますね」

「なんでそんな慈善活動してんですか?」

「…」自殺屋は驚いた顔で自分を見つめると、顎に手を当てて、少し考え込む。好青年の優しいく甘い微笑みが消えて、何かを思い出しているのか、何故か、苦しそうで冷たい顔になった。

「慈善活動…そのように見えるのなら、そうなのかもしれませんね。けれど、僕がやっているのは、意見の押しつけです。慈善なんて言葉とは真逆ですよ。僕がやっていることは、悪魔の所業です。自分で死ぬ命を、僕は選別してる。それだけですよ」

優しい声が地を這う程低くなって、頭のてっぺんからつま先まで悪寒が走る。

「…」

「『幸せを幸せと言えない不幸な人間』である貴方は、死ぬ権利なんて、贅沢はないですよ」

「そうですか。最高の死刑宣告ですね」

自殺屋は何も言い返さなかった。

「自殺屋さん?」

儚い少女の声に振り向くと、黒髪のボブヘアーでセーラー服の襟の下にブレザーのジャケットを着ている不思議な制服の少女が居た。頬には大きなガーゼをしていて、手首にも大きな絆創膏をしている。

(あれは…薔薇百合の制服……?)

「おや?菊さんじゃないですか」

「お久しぶり?ですね」

と、近づいてくる彼女は、儚く、ガラス細工のような顔で微笑んだ。

「そうですね。実際に会うのは初めてでは?」

「前は、ありがとうございました」

「あぁ。あの後、どうでした?」

「何とかなりました」

「綺麗なロングだったのに切っちゃったんですね……残念」

「ふふ。ありがとうございます。流石に、炙られてた髪は品にかけますから」

「それもそうですね。今の髪型もとっても似合いますよ」

「ありがとうございます」

「あ、そうそう」と、自殺屋は手をポンッと、叩いて自分を指さした。

「この方の話を聞いてもらっても良いですか?」

「え?」

「この方、幸福病の方なので、どぎつい経験した人が目の前にいると、治ると思うんですよね」

「幸福病?まぁ、はい。いいですけど…」

「それは良かった。あっちのモックにでも入ってお話でもしてあげてください。話し相手が欲しいだけの寂しい人に」

自殺屋はくるりと大鎌を回すと大鎌は煙のように消えた。

「んじゃ」

と置いていこうとする自殺屋を引き止めた。

「ちょっ!ちょちょ!なに女子高生と二人っきりにさせようとしてんですか!」

「え?」

「え?、じゃねぇ!色々まずいでしょ!」

「犯罪に巻き込む気なんですか?」

「んなわけ!変な誤解が…」

「いいじゃないですが。それ言える貴方が人の目を気にして生きるのはアホらしいですよ。 結局、自分次第です」

「…」

「んじゃ!」

と、消えていった。

「そんな身勝手なー!」

「ふふ。本当に勝手な人ですよね。よく分かりますよ」

「…なんか、すみません」

「いいえ。私も、ちょうど家に帰りたくないと思っていた所なんです」

「………じゃあ、行きます?モック……」

「奢りなら」

と、菊と呼ばれた少女は微笑んだ。

「ちゃっかりしてんな…」

「ええ。つい最近、ずる賢くなりましたから」

「まぁ、いっか…」




奥野細谷、自殺『失敗』

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