・雛姫 菊


「死にたい…」

 平日の昼間、制服を規定どうりに着ている大人しい、黒髪の少女が電車に乗っていた。

確実に学校がある時間に、不良でもなさそうな名門校の女子生徒が電車に乗っているという不可解な状況からか、彼女の座っているボックスシートには、誰も座っていなかった。

「…」

少女の虚ろな視線は、外を見ているようで、見ていなかった。静かで壊れた人形の様な……糸が切れたマリオネット、とでも言うのが正しいのか。彼女の黒髪が相まって、日本とフランス人形の不気味さを足したような怖さがあった。姫カットの黒髪に黒い瞳。泣きぼくろが不気味の中にある妖艶さを出していた。気高く、儚い、少女は力なく窓に寄りかかっていた。

彼女の手の中のスマホには、『090ー444444ー83』という電話番号があった。

よくある都市伝説の『自殺屋さん』の電話番号だ。

単なる気の迷いで番号を押して、かけてしまった。どうせ、使われてないだろうと思って、電話をかけてしまったら、コール音がなってしまって、慌てて切ったのだ。

(馬鹿らしい…)

「やぁ、お隣座っていいかい?」

明るく声をかけてくるメガネの青年に少女はコテン、と首を傾げてから「どうぞ?」と手を差し出して、誘導した。

誘導されるままニコニコしている青年は、前の席に座り、ニコニコしている。真顔で表情が死んだ、壊れた日本人形の様な少女は、首を傾げる。

「どうして、笑ってるんです?」

黒髪の少女は黒い瞳で人形の首がおれるように首を傾げる。

「いやー、美人さんの前に座る許可が降りたことが嬉しくて〜!あ、その制服、私立白金薔薇百合高校の制服?珍しいよねー!ほんと、セーラー服かブレーザーか分からない制服だ!」

「そうですね…」

青年の指摘の通り、人形の様な少女の着る制服はセーラー服の襟があり、細い赤いリボン。その下にブレーザーのジャケットを着て、腰元から膝下までの紺色のプリーツスカートとという、なんともアンバランスな制服なのだ。

前に居る明るい青年は、彼女とは正反対のナチュラルで、整った、格好だった。黒い縦線セーターにジーパン、ナチュラルパーマをかけている黒髪、おっとりした柔らかい好青年の顔立ち。女性の様に大きい目にはボストン型の黒縁メガネ。

いかにも好青年を絵に描いたような彼を警戒する人間の方が少ないだろう。

「それで…これからどちらへ?」

「どちら…?」

少女が首を傾げたら、明るい好青年は優しい顔の目を少し細めた。

「いえね?先ほど「死にたい」と、呟いていたものですから。お節介ながら気になってしまって…」

「ああ、お優しいんですね。大丈夫ですよ。死ぬ気なんて無いですから。「死にたい」って言って死ぬやつの方が少ないでしょう?」

「そうですか?言う奴は言うのでは?そう言う風潮が、相談する機会をなくしているんですよ。よく無いですねぇ〜」

「そうですね…」

「お悩みがあるなら聞きますよ?何もできませんが。いじめと虐待なら、警察に任せます」

「ふふ、頼もしい」

「あはは〜。大人ですから!」

「…」

「…」

お互いにお世辞の時間を終えて、愛想笑いが消える。沈黙を破ったのんは青年の方だった。

「正直、僕は、自殺が悪いなんて、思ってないんですよ。ぶっちゃけ誰が死のうがどうでもいい。死にたきゃ死ねば?って感情なんですよ。仮に助けて縋られるのもキツい。それこそ、現代稀に見るお優しい主人公様でも無い限り、一人一人にフォーカスして慰めるなんて至難の業でいるわけないんだから」

「…そうですか、?」

「そうですよ。これについて行政が悪いとか言う人いますけど、人間がたくさんいる時点で管理できるわけないでしょ。そこまでやるんだたら、それこそ、人権侵害だ。自由を許されているなら、自由の理不尽を受け入れなくちゃいけないんですよ」

「はぁ…?」

少女は首を傾げる。

「あれ?わかりません?だから…」

「でも…それは、貴女の意見ですよね?それ、押し付けないで欲しいのですが…」

「…」

少女の顔が苦悶に満ちて、プリーツスカートをぐしゃぐしゃに握って、端正に整った顔を歪めた。

「黙って聞いていれば自分語り。みんなそう。自分の意見だとか言って、喋ってるのは全部、自分が気持ちよくなる言葉だけ。感情は理論じゃない。経験則とか言われても、私は経験してないからわからないの!

いつかきっと、いつかはきっと、いつかは、いつか、いつか、いつか、いつかいつか!うざいんですよ!じゃあそのいつかはいつ来るんですか?辛いのは今なの!今!どうにかして欲しいの!なのに、「いつか、今の苦しみが笑える日が来るよ」って、そうなってからじゃ遅いの!

未来に………責任転嫁すんな…っ!」

「…」

「だから死にたいの。消えたいの!今が続くのが嫌だから、死にたいの。もう、限界なの。「あの場所より」社会が今より厳しいなら、私はこの世界で生きていけない。希望が…持てない……」

と、先ほどの人形のよう顔が、恨みがましく、苛立ちがましく好青年を睨んだ。

「いいえ」

「…え?」

「社会、言うて厳しくないですよ?学校が一番、社会の荒波に揉まれます」

呆気なく答えた青年に少女はおどきが隠せない。

「…」

「いつかって、言うから駄目なんですよ。学校出て社会を知れば割と何とかなります。少なくとも、近年の日本は十八から成人なんですから、上京でも、田舎に行くでもすればいい。やっちゃえば、存外簡単ですよ?」

「そ、そんなの、できるわけ!大体、お金は?仕事は?どうするのよ!」

「さぁ?」

「さぁって…、無責任よ!」

「そうですよ?大人は無責任だ。だが、子供には追えない責任を背負ってる。思春期の君たちには想像つかないような…ね?恵まれてて羨ましいよ」

「あなたねえ!だから、軋轢ばっかりで、苦しいのに…っ!」

「感情は理屈じゃないとさっき言った。感情は違くとも、世の中は理屈と現象だ」

「…」

「鶴見済氏の著作、『完全自殺マニュアル』で言っていた、

 「僕たちの誰かが死んだって、必ず別の誰かが代わりにやってくれる。誰一人かけがえのない存在なんかじゃない。暗殺するに足りる政治家なんか居ない。レンガが一つ無くなったぐらいじゃ壁は壊れない。

 僕たちはひとりひとりが無力で、居ても居なくてもどうでもいい存在で、つまり命が軽いこと。これが死にたい気持ちを膨らます第2の要素。」

と、言うけれど。悲しきかな。今、少子高齢化が進み、君たち若い命の価値がぐーーーんと、あるわけで。未来ある若者に死なれては困るのですよ。どんな子供にも、価値のある素敵で馬鹿らしい時代なのですよ。本当にどんな子供にも。

けれど、また哀しき話。この繰り返しの日々は嫌だという病は、90年代から再来しているか、あるいは続いている。全く。生きるの舐めすぎなんですよ!ぷんぷん!」

「怒っちゃます!」と、腕を組んで頬を膨らませる好青年。

「ま、僕にはどうでもいい話ですけど」

わざとらしく頬を膨らませて怒った姿が嘘のように、冷たく嘲笑した顔になった。

「あの、先ほどから、話が見えないのですが…」

「ま、多少の夢見て、ポジティブに生きましょって事ですよ。物語のハッピーエンドは、幸せに死ぬ事なんですから。つまらなくて当然なのですよ。日常なんですから。知らんけど」

「先ほどから、言葉に責任が無いのですね」

「そうですよ。みんな、言葉にも、行動にも、何一つ責任持ってないんだから。流すぐらいでちょうど良い」

青年は、不意に少女の細腕を掴むと、手首を表にして、痛々しい切り傷をあらわにする。少女は気まずそうに顔を背ける。

「…」

青年はポケットから大きな絆創膏を手首に貼る。

「真面目に考えなくて良いですよ。抱え込むのも、恥ずかしくて言えないのも、個人の自由です。けれど、ちゃんと知って下さいね。人は逃げて良いんですから。上手くやり過ごすのが手ですよ」

「〜〜駅、〜〜駅、左側から、下車してください」

と、車掌のアナウンスが流れた。

(あれ?駅名が…聞こえなかった…?他はあんなにハッキリ聞こえたのに…)

「おや、終電についてしまいましたね。降りますか」

青年は少女の手を取って、席を立つ。

「…」

少女も黙って手を引かれる。列車から下車し、向かいのホームに立ち、電車が来るのを待つ。

「この後、どうするんです?」

「帰る…。意味なく逃避行してみたけど、知らない人に説教された」

「あはは。それは災難」

「無責任…」

少女は恨みがましく、青年を睨む。

「僕に何を期待したんですか?」

「肯定して欲しかった。私の事を。叱るんじゃなくて。肯定が欲しいだけ。状況は、諦めてるから…」

「僕は君に何があったなんて知りませんよ。それなのに、そんな事を言われてもね?」

「わかってます」

「大丈夫ですよ。僕が褒める必要なく、君の頑張りは周りがよくわかってますよ」

「そう……ですかね?」

「そうですよ。ええ。君は真面目に行き過ぎているんですよ。『存外、相談すれば変わるかも』しれませんよ?少なくとも、一矢報いることはきっとできる」

「一矢報いる…」

目の前に電車が来た。強い風圧に、少女と青年の髪が揺れる。

「その先が、君の望みの通りに行くとは限らないけどね」

少女は絆創膏を自分の手首に目をやる。前の電車のドアがあ開く。

「あの、名前、なんて言うんですか?」

「ん?」

「私、雛姫菊ひなひめきくです」

菊は青年と、しっかり目を合わせた。

「うーん、うん。『自殺屋』ですよ。死神の『自殺屋』さん」

「自殺屋さん…」

「雛姫菊。君は失敗です。君に、自殺の権利は無いですよ」

電車のドアが閉まる直前に自殺屋は菊の肩を押して電車に押し込んだ。


ピピピッ!!ピピピッ!!

けたたましい目覚まし時計の音に意識が浮上した。

「っ……」

眠い目を擦って、ぼーっとする頭をあげて、椅子の上に掛けてある制服に手を伸ばす。自分の体は痣だらけで、一糸まとわぬ姿だった。

重たい体をふらつかせながら、ずっと憧れていた制服を手に取った。

『存外、相談すれば変わるかも』

菊は、自分の手首に貼ってある絆創膏を撫でて、ボサボサな髪の隙間から涙を流す。綺麗に伸ばしていた髪は、遊びで切られ、炙られた。

伝う頬は痣とライターで炙られた火傷だらけだ。

「ホント、簡単に言ってくれるよ…無責任め」

菊の頭に過ぎるのは、お風呂場で自分の手首にカッターナイフを突き刺した記憶だった。

(そうだ。私は、自殺したんだ。自殺に屋に助けられたのか…無責任め…本当に、無責任。もういいや。全部、ぶっ壊してやる)

菊は、スマホを手に取って、110番を押した。

「──、助けて…下さい…お義父さんに…顔を……炙られました…襲われました…」




雛姫菊、自殺『失敗』

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