第11話 ドキドキ露天風呂


 露天風呂。

 日本人の俺にとっては、とても甘美な響きだ。


 この世界は、前世に比べれば技術が遅れている。

 風呂というのはどこにでもあるものではなく、こういった高級宿か、貴族の屋敷などにしかない。


 俺はそこそこの稼ぎもあるし、前世の習慣が抜けていないのもあって、毎日風呂に入って清潔にしていた。


 なにより、モテるためには清潔感が大事だ。……まぁ、これは前世の知識の受け売りだが。


 だから髪は定期的に整えていたし、服も毎日洗濯したし、香水や香油などを使って匂いにも気を遣っていた。


 そして……そんな努力もむなしく、俺はまだ童貞なのである。


 おかしい。

 俺の知っている知識が正しければ、今ごろ俺はモテモテで、非童貞のヤリチンになっていたはずなのに。


 ……いやまぁ、モテたとしてもヤリチンになるつもりはないが。

 俺は一人の女性を愛し、そして添い遂げたいと思っている。たくさんの女性と関係を持つような、そんな不誠実なことはしたくない。


 それに、今まで見守ってくれた師匠やミュゼ、アイリスさん。彼女たちの信頼を裏切りたくもない。


 この世界の男は、たくさんの妻を娶るという。

 男が少ない世界では、それが当たり前なのだろう。


 だが、彼らはその環境に甘え、傲慢に生きている。

 女性たちへの感謝も忘れ、やりたいように生きて、ハーレムを築く。


 ――俺は、それが許せなかった。

 前世でも童貞を捨てられなかった俺からすれば、彼らは甘やかされて生きているだけにしか見えなかった。


 俺はそうなりたくない。

 童貞を捧げた人と、添い遂げたいと思う。

 そして大きなマイホームで、愛する人と幸せに暮らすのだ。


「――さま、クロノさまっ」


 ぼんやりと未来への展望を思い描いていた俺の耳に、名前を呼ぶ声が聞こえてくる。


 ハッと顔を上げてみれば、ルナさんが心配そうに俺の顔を覗き込んでいた。


「どうされたのです? ぼうっとして」

「……ああいえ、この旅のあいだ風呂に入れていなかったので、露天風呂と聞いて嬉しくなってしまって」


 アーカニアまでの三日間、俺たちは風呂に入れずにいた。

 途中、川で水浴びはしていたが、それだけ。

 それはもちろん、ルナさんもナナルさんも同じだ。


 二人の水浴びには非常に興味があったが、俺は強い意志で自分を抑え込んだ。

 

 ……そういえば、俺が水浴びしている間、やたらと感じた視線はなんだったのだろうか。敵意はなかったから放置したが。


「ここの露天風呂は、混浴らしいですよ?」

「……えっ」


 耳元で囁かれたナナルさんの声に、思わず驚きの声が漏れてしまう。


「とはいえ、男性が入ることはないみたいですが。一応、混浴として開放しているだけのようです」

「は、はぁ……」

「ちょっとナナル、一体なにを話しているのですかっ」

「ここの露天風呂は混浴らしい、とお伝えしていたのです」

「そっ、そうなんですの?」


 その言葉を聞いたルナさんの顔には、まず驚きの色が浮かんだ。そしてモジモジと俺の方に視線が向けられ、次第に紅潮していく。


「はい。この宿はアーカニアでは有名な湯治場のようです」

「……クロノさまはどうされますか?」


 真っ赤な顔をしたルナさんが俺に尋ねる。

 

「どうされますか、とは?」

「いえそのっ、ええと……」


 どうされますかと言われても、混浴をするわけにもいかない。

 俺としては大歓迎……ゴフン。

 いや、もちろん護衛という意味も兼ねてだが――。


「私は、クロノさまと入りたいです……」


 なっ――。

 

 ルナさんの口からこぼれた言葉に、俺は耳を疑う。

 まだ少女といっていい年齢のルナさん。

 そんな彼女と、混浴……!?


 俺の中の理性が、「いやそれはさすがにヤバいでしょ」と訴えかけてくる。もし前世でそんなことをしたら、確実に逮捕されるだろう。


 いくらルナさんが求めているとはいえ、俺は誇り高き騎士だ。


 毅然とした態度でお断りしよう。


 ――そう思って口を開こうとした時だった。


「クロノさま。ここの露天風呂には、混浴用の湯浴み着があるようです」

「湯浴み着……?」

「はい。ですので、混浴といえど裸ではございません」

「な、なるほど……?」


 くそ……!

 せっかく断る決心がついたというのに、迷わせるようなことを言わないでくれナナルさん!


 そう叫びたくなるのを抑えながら、俺はルナさんの方をチラリと見る。


「……じーっ」

 

 ……彼女は期待のこもった眼差しで俺を見つめていた。


「……分かりました。そこまでいうなら」

「ほ、ほんとうですかっ?」

「やりましたねルナさま。これで一歩リードです」


 二人の熱意に俺が折れると、二人はハイタッチをして喜ぶ。

 ……そんなに俺と混浴できるのが嬉しいのだろうか? というか一歩リードってなんだ?


 いやまぁ、俺も二人と混浴できるのは正直嬉しい。

 なにせ俺は童貞。女性の裸なんてもちろん見たことがない。……まぁ今回は湯浴み着があるとのことだから、裸ではないのだが。

 

 それでも嬉しいものは嬉しいのだ。

 だが、喜んでいるとバレるとドン引きされそうだから「まぁ、興味ありませんけど?」感を出しておく。

 童貞のちっぽけなプライドである。

 


 俺たちは宿の部屋に荷物を下ろすと、さっそくお風呂に向かうことにした。

 

 長旅で疲れているというのもあったし、旅で溜まった汚れをさっさと洗い流したい。


 向かう途中、ルナさんがなにやらフロントに言付けをしていた。「なにを話していたんですか?」と聞いてみると、「貸切にしてもらっていたんです」と返される。


 さすがは大貴族のご令嬢。貸切はありがたい。存分に羽を伸ばしたいからな。


 大浴場の入り口は、一応男女で分かれていた。

 だが、【男性様】の暖簾をくぐったのは、おそらく俺が初めてだろう。


 脱衣所で服を脱ぎ、用意されていた湯浴み着を着る。

 湯浴み着はゆったりとした水着のような形をしていて、特に迷うことなく着ることができた。


「ふんふふーん♪」

 

 鼻歌を歌いながら早速湯船に向かう。

 ガラッと扉を開くと、そこには絶景が広がっていた。


 大きな湯船から立ち上る湯気。

 空を見上げれば満点の星空。

 自然と見事に調和した、完璧な露天風呂。


 これほど立派なお風呂は初めて見た。前世でも見たことがない。思わず「ほわぁ……」とため息が出る。


 早くお湯に浸かりたい気持ちを抑え、湯桶に汲んだお湯で掛け湯をしてから、湯船にゆっくり浸かる。


「ああ゛ーーーっ……」


 気持ち良すぎる。

 どうやらここのお風呂はちゃんとした温泉を使っているらしく、うっすらと白く濁ったお湯が肌を流れていくと、肌がすべすべになったような気がする。


 素晴らしい。

 こんなお風呂なら毎日入りたい。

 よし、マイホームには露天風呂を作ろう。今決めた。


「ナナル、いきますわよ……!」

「はい、ルナさま。参りましょう」

 

 そうやってしばらくお湯を楽しんでいると、入口の方から声が聞こえてくる。


「……ここに、裸のクロノさまがいらっしゃるのね」

「はい。ですので早く扉を開けてください。寒いです」

「や、やっぱりできません。ナナルが開けてください」

「分かりました。では」


 その声を合図にガラッと脱衣所の扉が開かれ、二人が露天風呂に入ってくる。

 見てはいけないと思いつつ、ついそちらを見てしまう


 湯気が濃くてはっきりとは見えない。

 だが、確実に二人のシルエットがそこにはあった。


 ドクドク、と胸が脈打つ。

 湯浴み着を着ているとはいえ、一緒にお風呂に入るという事実は変わらない。

 いまだかつてない興奮に、俺はのぼせてしまいそうだった。


 そうしているうちに、二人の人影がどんどんとこちらに近づいてくる。

 ゆっくり、だが確実に俺たちの距離が縮まり、シルエットがハッキリしてくる。


「クロノさまっ。こちらにいらしたのですね!」


 ルナさんからも俺のシルエットが見えたのだろう。

 タタッと彼女のシルエットが近寄ってくる。


「……え」


 そしてついにはっきりとルナさんの姿が見えたとき。

 俺は言葉を失ってしまう。


 なぜなら――。


「ど、どうして裸なんですか……!?」


 ――そこには、生まれたままの姿のルナさんが立っていたからだ。

 


──

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