第9話 セレナ・クロフォード


「大丈夫ですか、クロノ、さ……ま……?」


 追いついてきたルナさんが、馬車を降りて駆け寄ってくる。

 そして俺を見るなり、言葉を失う。


 それもそのはず。

 俺の腕には、先ほど助けた女の子ががっちりとしがみついていたのだ。

 

「……こ、これは一体どういうことなのでしょう?」

「えっと……」


 ……いやまて、別に俺とルナさんは恋人でもなんでもない。だから他の女の子とイチャイチャしてても構わないはずだ。

 

 だがなぜだろう。この言いしれぬプレッシャーは。

 災厄黒龍テンペストドラゴンと戦ったとき以上に危険を感じる。


「……クロノさん。この人、誰ですか?」

「それはこちらのセリフですっ」


 ぷんすかとルナさんが口を膨らませて抗議する。

 隣に立つナナルさんは呆れた様子で俺を見ていた。

 その視線は冷たく、俺の心臓がキュッと縮み上がる。


「ええと……この子はセレナさんです。そしてあちらの騎士さんがヴァニラさん」

「はいっ。わたし、セレナ・クロフォードと申します」

「ヴァニラです。以後お見知りおきを」

 

 ぺこり、と上品にお辞儀をするセレナさんと、冷静に自己紹介するヴァニラさん。

 そしてセレナさんは顔を上げるなり、満面の笑顔でこう言い放った。


「――そして、クロノさんの未来の妻です♡」


 ……ん?


「な、ななななっ……!?」

「ね? クロノさん?」

「……そんな約束はした覚えがありませんが」


 いや本当に、そんなことは一言も言っていない。

 

「うう、ひどいです。さっきあれほど情熱的な抱擁をしてくださったのに……」

「いや、あれは治療行為だと説明しましたよね?」

「……クロノさま、どういうことか説明してくださいっ」

「は、はいっ!」


 びしっと背筋を伸ばしながら、俺はことの経緯をルナさんに説明する。


 馬車がハイオーガに襲われていたこと。

 それを助けたこと。

 横転した馬車に乗っていたセレナさんが腕を骨折していたこと。


 ……そしてもちろん、骨折を治療するために【練気】を使い、その時に身体を抱きしめたことも。


「クロノさんは、それはもう情熱的なハグをしてくださったんです……♡」


 その言い方は語弊があるからやめてくれない?

 俺は必死に治療行為をしてただけだからね?

 あと語尾にハートもやめてね?


「クロノさま、最低でございます。ルナさまというお人がありながら」

「いや、だからあれは治療行為だったんですって!」

「その割には嬉しそうでしたよ?」

「そ、そんなことないです」


 俺は決して、「女の子の身体ってこんなに柔らかいんだー」、なんて思ってない。神に誓って。


 というか、どうして俺はこんなに必死に言い訳をしているんだろう。よく分からなくなってきた。

 そんな俺を、ルナさんとナナルさんは白い目で見つめていた。


「……まぁいいです。私はルナ・ミスティライトと申します。以後、よろしくお願いいたしますわ」


 ルナさんはぎこちない笑顔を浮かべて手を差し出す。

 セレナさんはそれに応じ、ルナさんの手を取る。


「はい。こちらこそよろしくお願いします」


 握手をしながら、見つめ合う二人。

 お互い上品な笑みを浮かべていて微笑ましい光景だ。

 ……だが、その間には火花が散っているような気がするのは気のせいだろうか。


 そして隣を見ると、なぜかナナルさんとヴァニラさんがガンを飛ばしあっていた。

 

 ……なにこのカオスな状況。

 俺はどうすればいいんだろう。分からない。なにも見たくない。


「……待ってください。ミスティライトと仰いましたか?」

「ええ、言いましたが」

 

 いまさらだが、ミスティライト家は相当有名だ。セレナさんも流石にその名前は聞いたことがあったようだ。


「こ、これは失礼いたしました。ご無礼、お許しください」


 セレナさんが頭を下げて謝罪する。

 

「構いませんわ。それにわたくし、家柄でそのような扱いをされるのが一番キライなのです。普通にして下さいな」


 ルナさんは貴族という立場に驕らず、魔導の訓練を続けていると聞く。その腕前は、国内でも有名だ。

 その言葉を聞いたセレナさんはパッと顔を上げ、ほっと安堵の息をつく。


「そういうあなたはクロフォードの方ですの?」

「はい。仰るとおり、私はクロフォード家の時期当主です」

「なるほど……。ということは、あなたの目的地もアーカニアですのね?」

「はい。アーカニアで開催される舞踏会に向かう途中、突然現れたオーガに襲われたのです」


 クロフォード家……。聞いたことがあるような気がするが……思い出せそうで思い出せない。


「クロフォード家は、この一帯の交易を統括する名家です。元は商人だったのですが、その功績が讃えられ女王様から爵位を下賜され、今に至ります」

「あ、ありがとうございます、ナナルさん」

「いえ。お安いご用です……ふふ」


 うんうんと頭を悩ませている俺に、ナナルさんがこっそりと耳打ちして教えてくれた。

 耳にかかった吐息が少しこそばゆい。


「……ちょっとナナル? なにしてるんですの?」

「これはこれは。申し訳ございません」


 あまり悪いと思ってなさそうなナナルさん。

 ルナさんは「もう……」と言いながら、改めてセレナさんに向き直る。


「目的地は同じようですし、一緒に参りましょうか」

「い、いいんですか?」

「ええ。……で、す、が! クロノさまは私の馬車に乗っていただきますので」

「くっ……! わ、分かりましたわ……!」


 そんなこんなで、俺たちはアーカニアまで同行することになった。

 セレナさんの馬車は横転して走行できるような状態ではなかったから、馬だけをこっちの隊列に入れることに。


「ふぅ……。さて、出発いたしましょう」


 ルナさんが御者さんに指示を出す。


「……それにしても、クロノさまは本当にお強いのですね」

「ありがとうございます。鍛錬の成果が出せてよかったです」


 馬車に戻り、俺たちはアーカニアまでの旅を再開する。無事セレナさんたちを助けることができた安心感で、俺はほっと一息。


 ――だが、気になることもある。

 ハイオーガの群れについてだ。

 まだ明るい時間、それも人通りの多い街道に出てくるのは明らかにおかしい。


 それに、嫌な気配がずっと後をついてきている。

 つかず離れず……一定の距離を保って。


 ……いったい、何者なんだ?


「……クロノさま? どうしたのです、そんな難しい顔をして。もしかしてお疲れですか? よければ私の膝にどうぞ」


 ポンポンと膝を叩きながらルナさん。

 それは魅力的な提案だが、さすがに遠慮しておく。

 緊張を解きたくない。


「そ、そうですか……」


 しゅんとしてしまうルナさんを見ると、決心が揺らぐ。よく見れば、ルナさんの身体は細かく震えていた。


 魔物に対する恐怖は、なかなか拭えるものではない。

 俺は彼女の頭を優しく撫でる。

 サラサラの金髪が流れ、ルナさんの顔がふにゃりと和らぐ。


「ほわぁ……」

「クロノさま、私の頭も撫でてくだいませ」

「ナナルはダメですっ」

「くっ。ルナさま、ひどいです」

「ま、まぁまぁ……。二人とも落ち着いて下さい」


 まだ旅は始まったばかり。

 二人を眺めながら、俺は謎の気配について考えを巡らせるのだった。



──

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